本日、強度の強いヨガレッスンを受けてきました
ときどき自分に「喝」を入れるためなんですけど
いやいや、どちらかと言うと自分への「チャレンジ」ですかね
だって強度の強いヨガレッスンって、もうできないポーズだらけですし
受け始めた当初は心折れました ←打たれ弱い
(強度の高いヨガはコロナ禍になってチャレンジするようになりました)
今ですか?
レッスン前はヨガ友と「ドキドキするね」なんて言っていますが
レッスン中はヨガに没頭です
ただただ、ひたすら汗を流しますホットヨガです
(ウェアもラグも汗がしぼれるほど)
そしてレッスン最後にインストラクターの先生から言葉のご褒美です
「全てを解放して自分を取り戻しまぁす」
なんて言われちゃうと 気持ちよくなっちゃって
みんなで、またスタジオに通ってしまうわけです
さて、私、東京から北国に住まいを移した時に
絵本を諦めきれず持って来た話を書いています
その中で『チロヌップのきつね』の話を少し
(まさか『チロヌップ…』と舞台が同じ北国に住むとは自分も思わなかったけれど)
『チロヌップのきつね』
たかはし ひろゆき 文・絵 (金の星社)
あらすじはググってください
悲しいお話ですが、胸に響く何かがありますから
実はこの絵本、子どもたちに読み聞かせをしていても
一度も最後まで読み聞かせをしてあげることができなかったのです
だって私が途中で泣いてしまって、そのまま号泣しちゃうんです
そのときの私を不思議そうに見上げたあの子どもたちの目
「お母さん、なんで泣いているの?お話の続きは?」って問うような…
人は心の中に「原風景」を持っているそうです
例えば原っぱで近所の仲間と缶けりした、あの夕暮れとか
(結構空き地やすすきの原っぱとかあった時代なんです)
ちなみに「原風景」ウィキでは
『人の心の奥にある原初の風景。懐かしさの感情を伴うことが多い。実在する風景であるよりは、心象風景である場合もある。個人のものの考え方や感じ方に大きな影響を及ぼすことがある。』とのこと
私にとっては、この無邪気に見上げた子どもたちの目が、心の奥深くに眠っています
時に流されそうになっても、いつも私の心を支えてくれました
きっと人はそんな「原風景」を持っているからこそ頑張れるのかもしれません
『チロヌップのきつね』
久しぶりに思い出し、本棚から取り出し、ひとり読んで、また泣いちゃいましたけど…
(ひとりで読んでも泣くんかい?ってツッコミは無しで)