意識すべき稽古方法 | 時代劇 実験室

時代劇 実験室

「時代劇らしい時代劇」且つ「新しい時代劇」を模索・創作するための研究所

これから、強く意識してやっていこうと思っている稽古。


1、常に空気椅子に座っているような状態で型をする。

2、左肘を身体にくっ付けて刀を振る。


2に関しては、つまり「使うとラク」な部分をわざと不自由にすることで、全身で刀を振るようにする稽古。

左肘がぶれると軸がぶれ、かつ腕振りになってしまい、速い殺陣にすればするほど、素人っぽさが際立ってしまう。無駄な動きをせず、かつ迫力を損なわないための稽古方法が上記ふたつ。

※示現流の「左肘切断」って、どういう意味なんだろう…と、長く思っていたのですが、もしかしたら、「全身を使える」ようにするための思想なのではないかと最近思っています。(あくまで私的に。)




……さてさて。今日も殺陣稽古お疲れ様でした (^-^)/

新選組滝野川隊 剣戟隊長のブログ-深夜稽古


写真は槍の稽古に励む佐藤君!合格

今日も、通常稽古後、幾人かで公園に行って稽古。


いや、しかし、通行される方や近所の方のご迷惑になってはいけませんから、それはそれで、隅々まで気を配って◎


今日、上記の稽古をやっていたら、それぞれに「発見」「気付き」があったようで。その嬉しそうな顔を見ていると、「そうか、この顔見るために、会をやっていくべきなんだろうな」と思いました。



速い殺陣、誰が見てもかっこいい殺陣を目指すと、どうしても言動が厳しくなるんですね。「楽しみたい」って入って来た人たちにも、こういう厳しさでいいんだろうか?と、考えると、時々凹むのですが、


凹んでいるときというのは、

「この笑顔を見るために、会をやっていくべき」

という―殺陣を成功させた先にある―志をたぶん見失っているときなんだと思います。厳しさの先に、志がないと、自己嫌悪に陥ってしまう……。


いまさら書くなよ―って、内容ですけどね。いや、意識しながらやっていた時期・瞬間というのも、これまであったと思うのですが、腑に落ちたのがついさっきってカンジでして。このところ、「もっとやれ」「もっとやれ」って、自分が空回りしてとばしているような感覚があって、ホント嫌だったんです。


そしたら、俺自身が着地すべき点は、案外近くにあったようで。


そういう笑顔に、実は支えられ続けていたから、殺陣をやってこれたのだと、俺自身は「気付き」があって、とても嬉しかったです。「おごるな!」なんて、自分自身に強く戒めてもダメなんですね。結局、目の前の笑顔を「(俺が教えた)当然の報酬」のようにとらえおごっていたから、自己嫌悪から抜けられなかったのだと思います。


あの笑顔が「俺」を構成する全て!―目の前の霧が一気に晴れたようで、とても清々しい気分になりました。(面と向かって云うのも気恥ずかしいので、こんなところにこっそり書きますが、これまで殺陣を一緒にやった皆さん、習いに来て下さった皆さん…)ありがとうございます。これからもよろしくお願い致します。