雅が虹の橋に行って2年。
今年も庭先にはアプランサスがたくさん花を咲かせました。
家の前の排水溝で雅を保護して2年が経ちました。
朝からにゃーにゃーとひたすら泣き続け、何事?と思い捜索して発見してみればマウスか?と思えるような小さな身体に長い尻尾。生後間もない子猫と初めて遭遇し、衝撃を受けたものです。
その雅が旅立ってしまってから2年。今年は曇り空で今にも降り出しそうな空模様でしたが、慰霊碑に出向いてきました。
相変わらず奇麗にされている慰霊碑。
自分たちが参った直後にも別の方がみえて、花を手向けて祈っておられました。
色々な事情で合同葬にせざるを得なかった方々の善意が、この場所を奇麗に保っていると信じています。
ハチが元気に飛び回っている家ですが、雅の事を忘れた事は一日とてありません。
命の重さと失う事の侘しさを、教えてくれたのが雅だったのだから。
うちの子達はその後も元気に過ごしています。
雅だけでなく、霧丸、霞、結と次々に旅立ってしまったあの喪失感は忘れる事が出来ないでしょう。
だからこそ今元気な子達を精一杯お世話する。人間と比べると短い一生だかこそ、キラキラと輝いた生が引き立つのでしょう。
生き物のお世話をする、という事は、小さな命と向き合って生きていく事。両手サイズのモルモットだって、自分の意志があり、人語を理解し人間の生活に寄り添ってくれるのです。
確かにお世話は大変です。想像もつかないアクシデントも間々あります。それでも、そのキラキラした命の輝きをみると、一緒に過ごす時間の大切さが本当に心に染みるのです。
彼ら、彼女らと過ごす時間は笑顔にしかなりません。たくさんの思い出を共有しています。
先に旅立ってしまう運命だとしても、自分は変わらぬ気持ちで接していきたい。この子達が少しでも楽しく過ごせるよう、心配りをして手をかけてあげたい。
たくさん元気をもらっています。そのお返しがお世話だと。それはこれからもずっと変わらない日常でもあります。
悲しむ事も必要だけど、それ以上に、今の日常を守っていく。
2年経っても忘れられないあの鳴き声が、今日も聞こえたような気がした。