tkoはタケオの省略形です。

tkoはタケオの省略形です。

ピアノ弾きながら歌ったり、人の傍らで楽器弾いたりしてる廣瀬武雄(Orange Thompsons)が書いています。

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毎度のごぶさたです。
最近かかわった音源関係のお知らせです。
すでにぜんぶ発売中です。

細かいこと話し出すと止まらないんで、ざっとだけ。3作品ご紹介です。

梶有紀子「想像グライダー」

9月発売。神戸チキンジョージでのレコ初ワンマンライブにも鍵盤で参加しました。

梶さんは去年の「ビー玉モノローグ」、今年2月の「ナツガカエル」に続き、音源制作にかかわるようになってからもう3作目のシングルになります。今回は選曲や構成(買わないとわからない仕掛けとか)、ジャケット案に至るまであーしたら?こーしたら?こんなんどう?などわたしの適当なアイディアをわりと反映してくださいまして、なおかつ音楽的にも前2作とはまたちょっと違う雰囲気の作品になったと思うので(ブルースハープとかも吹いた「あの娘になれない」が地味にお気に入りです)、ぜひ聴いてみてください。iTunesとかでダウンロード販売もあります。

→梶有紀子 サイトへ

andRE「今回、7曲入り」

7月発売。心斎橋JANUSでのレコ発ワンマンにも鍵盤で参加しました。

去年の音源「9曲の究極入り」は部分的な演奏のみでしたが、今作はプリプロから参加しまして、クレジット的にはなんか共同プロデュース/アレンジみたいなことにしてもらってますが、サポートメンバーみんなと協力して作りましたねー的な感じです。個人的には実は「SaSiM」のホーンアレンジが特に気に入ってます。打ち込みやけど。あとは「バラッドno.1」のいかにもわたしのピアノって感じのピアノとかも。ぜひ。聴いて。

→andRE サイトへ

栫ミュウ「夢、とける時」

6月発売。心斎橋ブラステでのレコ発ツーマンにも鍵盤で参加しました。

栫さんは実は知り合ってからは結構長いんですが、栫さんの音楽をお手伝いするというのは今回が初めてです。去年の終わりごろからプリプロみたいなことを始めてて、のちに一旦止まってたんですが、今回の発売に向けてわたしが再構成したというところです。打ち込みで作ってるのにわざわざカホンの音、みたいな、アコギ/ピアノ/パーカッションのアコースティックトリオ編成ぐらいの雰囲気を再現しようとした音源になってます。

→栫ミュウ サイトへ

 

まずは、すみません。
1年ぶりの更新とかまじすみません。
いまさら謝られてもって思わせてしまっていること自体にすみません。


ここ読んでくださる方はたぶん普段のツイートとかをご覧いただいてると思うので、わたしが無事に暮らしていることはかろうじてご存知なのではないかと推察しております。むろん想像の域を出ませんが。なんかまあ、だいたい。

あの、それで、久しぶりということと右端のスクロールバーがきゅーっと小さくなったことでで薄々感づいていらっしゃるかとも思いますが、長いです。この記事。お察しください。


さて、12/16(水)、という日はすでにずいぶん近づいておりますが、この日のステージはわたしにとって特別な意味を持っています。なぜ特別なのかということをこれからご説明します。

まず先にこの日のイベントの概要をお伝えしておきます。

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2015/12/16(水)
谷町六丁目ページワン [web]
K River Band and Friends[イベント特設ページ]

出演:
K River Band / 横井幸博 皿屋恵 ゆしん

open 18:30 / start 19:00
¥2000(1ドリンク代含みます)

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普通に読みとれるのは、「ああ、皿屋さんのピアノで出るのね。ゆしんも出るならなにか一緒にやるのかもね。」ということぐらいだと思います。
まあそうですよね。それはもちろん全然間違ってないんです。

話せば長いのですが、ざざっと書いてみます。


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この日の主催のK River Bandさんの鍵盤は佐藤心さんという方で、NHK「ストレッチマン」の音楽をはじめとして放送・舞台の作曲などもされている大先輩です。過去を遡ると、かつては劇団そとばこまちやDUMDUM団などに所属し、関西小劇場シーンに深く携わっていらっしゃいました。

その頃からしばらく経って1989年、26年前のちょうど今ごろ。わたしは高校1年生でした。

演劇部(正確には当時はまだ、学校から予算が下りる部活動とは認められていない「同好会」でしたが)に所属していたわたしは、2学期終業式の日の放課後に行われるクリスマス公演に取り組んでいました。演目はかつて劇団そとばこまちが上演した「五線譜のうえの国」。高校の先輩がそとばこまちの運営に関わっていたことが幸いして、わたしたちの手元にあったのが、当時の上演脚本と、それに添えられた主題歌「歌はいらない」の楽譜でした。

公演当日、劇の終盤で「歌はいらない」を全員で歌う場面がありました。
それが、わたしがお客さんの前でピアノを弾いた最初の瞬間でした。

もうお気づきだと思いますが、
佐藤心さんはこの「歌はいらない」を作曲された方です。


心さんとの接点ができたのは何年か前のことで、心さんが楽曲を提供されている劇団「スクエア」と、わたしがサポートとかアレンジを担当したことのある「ゆしん」が何かしらで共演したりなんやしていて、そしてちょっと細かい話になりますがスクエアとゆしん両方のスタッフをしているかおりという人の存在がこの件にはとても重要で、先程述べたようなわたしの高校時代のことを心さんに伝えてくれたのはかおりでした。

話はようやく2015年に戻りますが、心さんが鍵盤を弾くK River Bandが、結成から数年が経過したこのタイミングで初ライブをするにあたって、共演者としてゆしんに声をかけて、その流れで話題に上がったわたしにもお話が回ってきました。で、わたしがアレンジした新譜ができたばかりの皿屋恵が「三歌月」の関係でちょうど帰阪している時期だったこともあって、わたしの希望も汲んでいただいてこういう組み合わせのイベントになったという次第です。


そういうわけなので、わたしは16歳のときにはじめて人前でピアノで演奏した曲を、その曲を作曲したひとと一緒に演奏するという機会を、42歳にして奇跡的に得たというわけなのです。


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だいたい、おわかりいただけたかと思います。

12/16、「歌はいらない」は当然、演奏します。
皿屋恵の新譜「暁月の夜」、いい仕上がりになってます。当日販売しますし、収録曲含めわたしが伴奏します。
ゆしんですが、本人のツイートにもありますように、出演できない(出番までに会場に着けない)可能性があるとか言ってます。聞いたことないわそんな話。いや、普通なら出られませんと断言するところをそれでも出たいという気持ちのほうが強いからこその告知ってことなんだと思います。で、万が一彼が来れない場合は、わたしが及ばずながら何らかの埋め合わせをします。なにでって、演奏もしくはそれに伴う歌唱でってことになりますけど。

そういうことなんで、よかったら遊びに来てください。
もっとはよゆえよ!っていうご意見はごもっともだと思います。ごめんなさい。
できればもちろん19時のスタートから来ていただければ幸いですが、20時過ぎても皿屋さんにもゆしんにも間に合います(ゆしんが間に合うかどうかは神のみぞ知る)。

諸々お問い合わせは
tko.hirose@gmail.com
まで。

長文おつきあいいただきありがとうございました。
別件で書かないといけないことがいくつかあるので、また近々お目にかかります。
ではまた。

「南霞町」といううたをつくってから2年が経ちました。
(つくったときのブログ記事はこちら)

で、歌ってる動画が上がりました。こないだの「三歌月」のやつなので、動画の後半では浴衣着てかぶりものつけて妖怪の役でお芝居してます。お芝居は6つの動画に分かれて収録されてるので全編見たい方はチャンネルからごらんください。



これがねえ、自分で言いますけど、ええうたなんですよね。笑

や、自分ではもちろん言いますよ。ええと思ってるからやってますからね。作ってからいままで、弾き語りでライブするときは必ずうたってます。

A-B-Aという形式で終わるとてもみじかいうたで、そしてこれはつくってから半年ほど経ってから気づいたことですが、たとえばTwitterの字数制限である140字もあれば歌詞はすっぽりとおさまってしまうほどです(このリンク先でその様子がご覧いただけます)。ふつう日頃わたしたちがうたをつくろうとするときに考える楽曲の、一般的な、常識的な構成としては、このあと少し間奏が入って、2番があって、まあもしかしたらCメロと呼ばれる部分があって(とここまで書いて思いましたがいわゆる「サビ」がこのうたにはそもそもありませんが)、さいごにまたサビを歌って(だからサビないってさっき言ったじゃんまあいいか)、で終わるみたいな。そういう大枠を、作ってる途中のどこかの段階で、何かの理由をもって決めるわけですよね。

で、たぶんわたしはこのうたについても、まずメロディーを作り始めた段階では、そういうふうにせななーというか、するんやろなーと、いつものように最初は漠然と思っていました。それが普通なんで。

で、そういうことって歌詞との兼ね合いで決まってきたりもするので、メロディーが定まった時点でとりあえず構成はおいといて、歌詞を書いていってみようと。そうすると、上のリンクにあるような歌詞がわりとすらすらと出てきて、この形でまとまっちゃった。

なんだか、そのときに感じていたことはそこまでの量ですっかり全部言ってしまったような気がしました。これ以上何かを加えても、たぶんなんだか引き伸ばして薄まってしまってだめになっちゃうだろう。ピザは薄いのすきですけど。あれはいいものだ。いや、そしてもっと上手な人ならもっとたくさんの文字を費やしても薄まらないように書けちゃうのかもしれませんが。今回のこれに関して言えば、ほどよい分量でほどよく書けちゃったんですよね、なんか。そういうもんじゃないですか。140字どころか、17文字で世界を描き切ってしまうこととかだってあるんだし。描き切るというか、うーん描き切るんじゃないな。受け取る人が受け取ってそのひとの気持ちでまわりを包むことによってはじめて完成するというか。ぜんぶ説明しないことで逆に共有できる部分が出てくるというか。そんな感じです。

そしてこの短さが功を奏してというか、ゆしんとか皿屋恵はこの同じメロディーを使って、1番(と便宜的に呼びますが)で「きみ」と言われてる人物かどうか、それはわかりませんけどもうひとり主人公をつくって、それぞれなりの「2番」を作ってくれたりもしたわけで、続きじゃなくてね。そういうことってめったに得られない経験なので、それもとてもよかったなと思っています。

まあなんかここまで普通とか普通じゃないとかいろいろ言ってますけど、念の為に一応弁明しておくと別に普通じゃないもん作ったろとか思ってそうしてるわけでもないし、そんなに特殊なことしてると思ってるわけでもない(し、たぶんそういう構成のうたは探せばいっぱいある)ので、なんかこいつ(こいつってわたしのことね)普通普通言いやがって普通じゃないのがかっこええおもてるやろみたいなことじゃないんで笑、そのへんは誤解のないようにと。むしろ「普遍的なもの」って偉大な存在やと思うし畏敬の念すら抱いてます。なんか書き方おおげさやけど。でその、ある種のフォーマットを含めた普遍性と、そこに自分だから加えられる独自性があって、そのバランスをうまく取るのがポップスなんちゃうかなと思ってます、つねづね。持論なんであちこち(特になんかの打ち上げとか)で言ってますけど。既視感と未視感、っていう言い方することも多いな。あのなんか今日のこの記事、後半からちょいちょい大阪弁の混入率が高めですけどそれもたまたまなんで気にせんといてください。笑

話がそれたわ。それで、そう、上の動画のMCでも言ってるんですけど、「南霞町」っていう駅(正確には停留所だそうですが)、なくなるんです。なくなるというか、名前が変わっちゃう。12月1日から。「新今宮駅前」になるそうです。

そら、重い腰を上げて半年も書いてないブログあわてて更新するわっちゅう話じゃないすか。笑


正直にいうと、「南霞町」をつくるまではあの駅自体になにか深い思い入れや特別な思い出があったわけでもなくて、でも気になる物体ではあったんですよね。異質な感じがある。建物の隙間みたいな、高架下の日陰みたいなとこにあるし(実際には電車が止まる位置は高架下ではないが)。もともとは道路の反対側にあったのが、1990年の暴動で焼き討ちにあって焼失して、それを受けてつくった仮設の駅がそのまま常設になってるんですよね。1990年と焼き討ちっていう言葉が合わなさ過ぎていま書いてて戸惑ったぞ。事実なんですけど。まあそういう事実関係に興味のある方はそれぞれ正確に調べていただくとして。

ちょっと話は変わるんですけど、たとえばお住まいの最寄りの駅前の風景って、10年前、20年前とくらべていかがですか。わたしは40年おなじ街に住んでいますが、全然変わっちゃいました。再開発で複合ビルが建って、タクシーが待ち続けてるロータリーと小綺麗な広場ができて。でね、べつに変わっていくことに対して、あの時が良かったとかいまがだめとか、そんなん人それぞれだしわりとどうでもよくて、そういうもん、変わっていくもんやと思ってる。んだけども、そこを歩いてて、あれこここうなる前どうやったっけ、あー確かここに○○書店があって、喫茶店がここでこのへんがカメラ屋で、でそうそう路地があって、みたいなことを、だんだん細かくは思い出せなくなってる。なるよねそりゃ。忘れるもん。当時のもの、跡形も残らず全部なくなってるから。で、なんかそれがね、その思い出せないということが、もったいないなあって思うことがある。惜しいというか。たとえばまあわかりやすく写真にでも撮ってたら、あーそうやわこうやったよなーって思えたりするわけじゃないですか。なんやろ、あーでもだからあれやわ、もの捨てるのがヘタやねんわ。いやそういう話じゃなくて。こないだNHKで、見つかった昔の白黒フィルムに彩色したいろんな時代の東京の映像みたいなのやっててさ、わーすげーなーって思いながら見てて。んー?いやこの話はちょっと違うか。ちょっとこれは置いときます。

同じように地名が変わることもよくあって。平成の大合併とかもありましたけど、それに限らずいろいろね、まあありますやんか。変わることに抵抗があるとかないとかの話じゃなくて、変わる前のものが忘れられていっちゃうのが、なんというか、寂しいとか惜しいとかそういうのがわーっと混ざったような、そういう感じね。うーん難しいな。

で結局なにが言いたいかというと、ひょんなことからこの「南霞町」といううたに触れて記憶のどこかに持ってくれている方が、たくさんではないけどいてくださっていて、そのことであそこが南霞町だったってことが忘れ去られないでいてもらえるなら、このタイミングでこの題名でこのうたを作っておいてよかったなあって思うんです。なんか、途中へたくそに長々と書きましたが、なんだ、それだけのことでした。

もちろんこれからもときどきうたいます。だってとてもお気に入りのうたですから!

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