「南霞町」といううたをつくってから2年が経ちました。
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つくったときのブログ記事はこちら )
で、歌ってる動画が上がりました。こないだの「三歌月」のやつなので、動画の後半では浴衣着てかぶりものつけて妖怪の役でお芝居してます。お芝居は6つの動画に分かれて収録されてるので全編見たい方はチャンネルからごらんください。
VIDEO これがねえ、自分で言いますけど、ええうたなんですよね。笑
や、自分ではもちろん言いますよ。ええと思ってるからやってますからね。作ってからいままで、弾き語りでライブするときは必ずうたってます。
A-B-Aという形式で終わるとてもみじかいうたで、そしてこれはつくってから半年ほど経ってから気づいたことですが、
たとえばTwitterの字数制限である140字もあれば歌詞はすっぽりとおさまってしまうほどです(このリンク先でその様子がご覧いただけます) 。ふつう日頃わたしたちがうたをつくろうとするときに考える楽曲の、一般的な、常識的な構成としては、このあと少し間奏が入って、2番があって、まあもしかしたらCメロと呼ばれる部分があって(とここまで書いて思いましたがいわゆる「サビ」がこのうたにはそもそもありませんが)、さいごにまたサビを歌って(だからサビないってさっき言ったじゃんまあいいか)、で終わるみたいな。そういう大枠を、作ってる途中のどこかの段階で、何かの理由をもって決めるわけですよね。
で、たぶんわたしはこのうたについても、まずメロディーを作り始めた段階では、そういうふうにせななーというか、するんやろなーと、いつものように最初は漠然と思っていました。それが普通なんで。
で、そういうことって歌詞との兼ね合いで決まってきたりもするので、メロディーが定まった時点でとりあえず構成はおいといて、歌詞を書いていってみようと。そうすると、上のリンクにあるような歌詞がわりとすらすらと出てきて、この形でまとまっちゃった。
なんだか、そのときに感じていたことはそこまでの量ですっかり全部言ってしまったような気がしました。これ以上何かを加えても、たぶんなんだか引き伸ばして薄まってしまってだめになっちゃうだろう。ピザは薄いのすきですけど。あれはいいものだ。いや、そしてもっと上手な人ならもっとたくさんの文字を費やしても薄まらないように書けちゃうのかもしれませんが。今回のこれに関して言えば、ほどよい分量でほどよく書けちゃったんですよね、なんか。そういうもんじゃないですか。140字どころか、17文字で世界を描き切ってしまうこととかだってあるんだし。描き切るというか、うーん描き切るんじゃないな。受け取る人が受け取ってそのひとの気持ちでまわりを包むことによってはじめて完成するというか。ぜんぶ説明しないことで逆に共有できる部分が出てくるというか。そんな感じです。
そしてこの短さが功を奏してというか、ゆしんとか皿屋恵はこの同じメロディーを使って、1番(と便宜的に呼びますが)で「きみ」と言われてる人物かどうか、それはわかりませんけどもうひとり主人公をつくって、それぞれなりの「2番」を作ってくれたりもしたわけで、続きじゃなくてね。そういうことってめったに得られない経験なので、それもとてもよかったなと思っています。
まあなんかここまで普通とか普通じゃないとかいろいろ言ってますけど、念の為に一応弁明しておくと別に普通じゃないもん作ったろとか思ってそうしてるわけでもないし、そんなに特殊なことしてると思ってるわけでもない(し、たぶんそういう構成のうたは探せばいっぱいある)ので、なんかこいつ(こいつってわたしのことね)普通普通言いやがって普通じゃないのがかっこええおもてるやろみたいなことじゃないんで笑、そのへんは誤解のないようにと。むしろ「普遍的なもの」って偉大な存在やと思うし畏敬の念すら抱いてます。なんか書き方おおげさやけど。でその、ある種のフォーマットを含めた普遍性と、そこに自分だから加えられる独自性があって、そのバランスをうまく取るのがポップスなんちゃうかなと思ってます、つねづね。持論なんであちこち(特になんかの打ち上げとか)で言ってますけど。既視感と未視感、っていう言い方することも多いな。あのなんか今日のこの記事、後半からちょいちょい大阪弁の混入率が高めですけどそれもたまたまなんで気にせんといてください。笑
話がそれたわ。それで、そう、上の動画のMCでも言ってるんですけど、「南霞町」っていう駅(正確には停留所だそうですが)、なくなるんです。なくなるというか、名前が変わっちゃう。12月1日から。「新今宮駅前」になるそうです。
そら、重い腰を上げて半年も書いてないブログあわてて更新するわっちゅう話じゃないすか。笑
正直にいうと、「南霞町」をつくるまではあの駅自体になにか深い思い入れや特別な思い出があったわけでもなくて、でも気になる物体ではあったんですよね。異質な感じがある。建物の隙間みたいな、高架下の日陰みたいなとこにあるし(実際には電車が止まる位置は高架下ではないが)。もともとは道路の反対側にあったのが、1990年の暴動で焼き討ちにあって焼失して、それを受けてつくった仮設の駅がそのまま常設になってるんですよね。1990年と焼き討ちっていう言葉が合わなさ過ぎていま書いてて戸惑ったぞ。事実なんですけど。まあそういう事実関係に興味のある方はそれぞれ正確に調べていただくとして。
ちょっと話は変わるんですけど、たとえばお住まいの最寄りの駅前の風景って、10年前、20年前とくらべていかがですか。わたしは40年おなじ街に住んでいますが、全然変わっちゃいました。再開発で複合ビルが建って、タクシーが待ち続けてるロータリーと小綺麗な広場ができて。でね、べつに変わっていくことに対して、あの時が良かったとかいまがだめとか、そんなん人それぞれだしわりとどうでもよくて、そういうもん、変わっていくもんやと思ってる。んだけども、そこを歩いてて、あれこここうなる前どうやったっけ、あー確かここに○○書店があって、喫茶店がここでこのへんがカメラ屋で、でそうそう路地があって、みたいなことを、だんだん細かくは思い出せなくなってる。なるよねそりゃ。忘れるもん。当時のもの、跡形も残らず全部なくなってるから。で、なんかそれがね、その思い出せないということが、もったいないなあって思うことがある。惜しいというか。たとえばまあわかりやすく写真にでも撮ってたら、あーそうやわこうやったよなーって思えたりするわけじゃないですか。なんやろ、あーでもだからあれやわ、もの捨てるのがヘタやねんわ。いやそういう話じゃなくて。こないだNHKで、見つかった昔の白黒フィルムに彩色したいろんな時代の東京の映像みたいなのやっててさ、わーすげーなーって思いながら見てて。んー?いやこの話はちょっと違うか。ちょっとこれは置いときます。
同じように地名が変わることもよくあって。平成の大合併とかもありましたけど、それに限らずいろいろね、まあありますやんか。変わることに抵抗があるとかないとかの話じゃなくて、変わる前のものが忘れられていっちゃうのが、なんというか、寂しいとか惜しいとかそういうのがわーっと混ざったような、そういう感じね。うーん難しいな。
で結局なにが言いたいかというと、ひょんなことからこの「南霞町」といううたに触れて記憶のどこかに持ってくれている方が、たくさんではないけどいてくださっていて、そのことであそこが南霞町だったってことが忘れ去られないでいてもらえるなら、このタイミングでこの題名でこのうたを作っておいてよかったなあって思うんです。なんか、途中へたくそに長々と書きましたが、なんだ、それだけのことでした。
もちろんこれからもときどきうたいます。だってとてもお気に入りのうたですから!