こんばんはv(^-^)v
姿勢制御セラピーの萩原です

本質を説きたいといった強い内部運動から生まれた欲動は欲求に繋ぎ、反応を待っていると、自分の内面に向かってなのか、他者に向かってなのか、それが主体になるのか、客体になるのか、分からないまま、さっきまで感じていた欲求のコードがとぎれていることに気づくことがあります。
欲求のコード。
あなたの意思が拒否するコード。
そして、あなたの意思が抑制され、無意識の領野につながっているコード。
これらのコードは、あなたの脳とからだ、こころが内部での範囲、あなたの外側にある世界が外部での範囲、それらを繋いでくれるものであります。
これらのコードは、ひとの体内に実際に束となっている肉眼でも見ることができますが、このエクリチュールで表現するコードは、この束のなかの神経系の運動による伝達で作られている集合体をさしています。
コードというのは、身近で目に見えるものなら、電源と本体を繋ぐ電気の線にあたり、それはアダプター同士が電流を一方的に出力させるものとなります。
本体の機器は、電源のアダプターから得られる電気が供給となって使用できますが、本体から電源に還るシステムがなく、これらから分かる構造の理解は、本体から電源のアダプターに伝達が入力されることはありません。
物質の始源をなくすと、物体になり、化合物になる。それは、人為的な道具になる。
物質の循環で生物的なヒトを保持できる機能を失い、物体と物体が融解される人間になりすます。
人間が創造した事物は、神が創造された人間との間での恣意性が生まれ、神が主体だったのが、いつしかその変容で、人間が主体になっていきました。
あなたは日本に生まれたので、西洋文化が価値基準にする神性をほぼ知りません。
それなのに、神がいて、人間はその属性であるのは、人間という名の絶対者になる意識が望むことと同じなのです。
認識的に神性は西洋文化をそれほど知らなくても、西洋から輸入された物体を見れば、なるほどと思う文化水準を維持していますので、素直に受け入れてしまうものです。
物体というのは、資本主義システムに合わせた商品化されているモノであり、これらを製造し、これらを販売して現金を得る。そして、それが人間を自由に見せるような規定を入れ、お金を貰い、それによって生きることができるというシステムに内在されています。
物体はそれ以上に何の価値も持ちません。存在を問うこと、存在とは何度問うても、感覚的視野に介入することはなく、いつも認識を経由し、あなたは物体を廃棄できず、背負い続けないといけなくなるものです。
断捨離(だんしゃり)という時代の苦悩からマスメディアが創作した言葉があるように、一見、精神性に派生させて、あなたにその気にさせなければ、誰も反応しないのが、物体の永遠の所有が、呪いのように、小さな声で囁くのです。
「あなたの代わりをするのが、あなたが所有している物体。物体はあなたの名前をコードにして、記入してください。そうしなければ、あなたはこの世で不必要で、無価値な人間になりますよ!」
放っておいてくれたらいいのにというパロール化された言葉のありさまですが、物体は次から次へと製造され、この地球上で抱えきれないぐらい、環境を汚していっています。
物体に名前を入れ、あなたはカバンや財布、ハンカチ、さまざまな物体に所有する意味をつけて、それ以上自己内のエネルギー生成に何の作用もなく、どうしようもなく、棄てることが不可能な解体できない物体を受け入れるしかありません。
そのために、物体に名前をつけます。
物体は、質量のある形象で、地球上に限れた空間を増えるほど、占領していき、人間も物体と同じく、質量のある物体なので、人間と物体はいつしか対立され合う関係になっています。
ふたたび、欲求のコードについて思考します。
欲求とは、あなたが人間でなくひとになっているときに、湧き立つように、生成される自然発生する内部運動です。
欲求をパロールさせると、物体と関わりあう文脈が生まれます。
たとえば、食欲や性欲という汚れたイメージを予感させる文脈です。
これらを語るには、西洋文化から輸入されてきたものなので、キリスト教やユダヤ教のような信仰が内在され、どうしても人間を認識によって導く見方になってしまいます。
欲求とは、コードのなかで終わる運動になり、行動は脳で予測された90%で完了していることを知る必要があります。
つまり、欲求のコードは、行動に変換されるまでに90%はその中に巡っていく神経系の循環で終わるので、行動を見ても、欲求のコードが出力するすべてが分かるわけではないのです。
あなたがある行動をしたときに、他者が客観的にあなたの行動を見ても、欲求のコードがどうなっているのか、予測がつきにくいのです。
欲求のコードの90%は、自己像や自己知覚のなかの領域で、あなたの内部表象という感性を作り出し、外部の世界の複雑さを抑制することができるようになります。
エクリチュールの微分積分。
仕上がりは、できてみないと分からない。
いや、仕上がりは出来上がる前から分かっている。
あなたの生きる時間の価値も同じ。
コードにネームが記されているなら
それは偽物。
コードに無記名なら
それは本物。
今すぐ確認をしよう。
あなたは物体になっているのか。
あなたは物質のまま
自然と共有しているのか。
欲求のコードは、あなたが生きていくための精神性と想像性の基礎構造になります。
欲求のコードが機能していると、あなたの生き方の90%以外の10%しか表出されていないことで、あなたは存在をこの世から消去でき、あなたは自分の内部領域を築いていける状況になっています。
欲求のコード90%の生き方を選択できたあなたは、物体の所有を回避し、物質の階層に知覚を合わせ、あなたは自然体になって、自然界の運動を知覚できます。
そこは、あなたの内部表象と未来が時間的出来事で認識される次元を内包させ、それらを折り曲げるように、反転し、転覆して、何もかもを抽象的にとらえられます。
煩わしい(わずらわしい)慣習は、すべてあなたには必要なくなり、最初は恐ろしく、孤立した気分になるかもしれませんが、こんなスタイルでいいのだろうかと、懐疑心に悩まされていくこともあるでしょう。
それでいいのです。
あなたが自己内の欲求のコードの扱い方を知れば、この世の物体と化しているものを、一つのタグ付けにでき、あなたと他者のすべてというように、あなた以外をすべて脇に置き、片付けることができます。
それまであなたの側にいた他者は、あなたが欲求のコードを運動を与えた瞬間から、何者にもならない他者に変身します。
そして、 その他者を見る目が、あなたの主観で判断した認識であった事実にさらされます。
他者をあなたは、自分の味方にしようとしていました。
そのために、その他者は、あなたから見て、あなたの都合の良い、身分を与えていて、そこにかならず、優越性も内在させていたのを知ってしまうでしょう。
あなたはそんな悪い人間になるつもりはありませんし、現に他者を利用するような、打算的な人間でもありません。
これは、欲求のコードが抑制され、自分の内部運動がなく、内部表象が停止しているために、仕方がなく、他者と共有しなければならない状況でした。
あなたは一人では生きていけない、として、社会から、周囲の大人から、そして尊い親から、そう習ってきました。
あなたは一人で生きていけないのかどうか。このテーゼ(命題)を立てていないのに、そこから見えることは何一つなく、これは何も知らないのと同じであるため、あなたは生きることの真理を追求していません。
ここに、エクリチュールでの断層が出てきました。
社会システムから見たあなたという思弁を導入してみます。
あなたは一人の人間で、ある市町村に戸籍を置き、住民票があって、行政という社会システムの一員にならざるを得ない環境になった社会に生きています。
あなたがそうしたいと望んだわけでないのに、あなたはそう望んでいるものだと、仮説にさせられて、社会はそれを遂行し、社会が必要であると認めさせています。
社会システムは、現状は資本主義が最高に人々を幸せにすると説かれています。
あなたが生きるこの日本という国家は、東洋文化に属しながら、それを反転し、拒否させる西洋文化を明治時代から取り入れてきました。
そこに内在していたのが、社会システムや憲法、民法などの構造で、あなたは西洋文化に根本を支柱にする社会に属しています。
つまり、西洋文化というのは、簡単に言うと、資本主義システムを肯定するすべての情報が入っている文化ということになります。
憲法を受け入れる。
民法に従う。
教育に従事し、就職を目的に時間を活用する。
結婚し、家族構成を求める。
このような生き方は、中庸(ちゅうよう)精神を持った日本に、聖書を基調とする西洋文化があなたの自己を失わせているのです。
必死になって固守する社会システムを受け入れる以外に選択肢はありません。
なぜなら、そこに他者と共存するように記された規定があるからです。
この規定を覆す(くつがえす)理由は、何一つ持っていません。
物体がコードネームになって、容赦なく、あなたに膨大な情報としているので、それを処理することに一生が終わっていくように想定されているのです。
あなたは、まずこの世に生まれ、戸籍に登録され、物質を否定する設定にさせられます。
これが、現状の社会システムだから、回避できないのです。
だからといって、そんなものを仕方なく受け入れるのは、ただの人になってしまい、生きていくことに魅力も、魅惑も発達できません。
もし、あなたに欲求のコードを機能させる熱意があるなら、今を変えたいと思いが高まり、何か起こしたいと、今から何ができるのかと考えていくエネルギーがあるでしょう。
しかし、どうやって、自分を持つために、欲求のコードを物体から物質に接続させるのかという段階をこの社会のどこを探しても、知恵らしきものが見つかりません。
そこで、過去を調査し、自分を探してしまうとするなら、見つかる知恵としては、社会システムに対抗する勢力に属し、社会に対する運動をすることという見方に出会うこともあるでしょう。
これは、過去の遺産であり、社会システムに勢力があり、あなたが属する大衆側に集団化できる弱者意識が高まっていなければ成り立たないのです。
欲求のコードは、物質にあなたの内部運動を接続すると、あなたは社会や他者から距離を置き、自分だけの生きる時間に価値を与えられます。
これが、幸福というのです。
幸せは社会システムに依存し、承認されることで、偽装を正当にできるものです。
幸せはそもそもの感情から運動を抜き出し、運動をなくして、結果というゴールを先に設定してから作られています。
この世の基準は、自分が幸せかどうかと問う傾向がありますが、幸せはあなたがみずから立たせることができない社会が作った他者との相対論なのです。
ここにも、物体がコードネームに記されています。
物質とは、運動を繰り返し、過去をその場から廃棄する永遠の循環活動です。
あなたは物質と同じ性質を持って、この世に誕生しました。
欲求のコードをあなたが知れば、生きることの迂回する時間のロス、後悔の念、時間喪失の憤り(いきどおり)をなくしていけるのです。
他物に例えるものが、あなたの欲求をうまく引用できるわけではありませんが、あなたの構造的本質は、周囲の見えるところには、物体ばかりで、ほとんど見ることができません。
あなたの周りに、未来につながる知恵はまったく見えてこないのです。
誰の意見も参考にしてはならないのです。
物体と物質の差異は、現状の社会システムでは、許されないと説かれています。
あなたが素直に、子どものように、思考の運動に興奮作用が炸裂し、物事の本質を問うたとき、これまでの習性から、身近にいる他者に聞いてしまうでしょう。
「世の中ってお金がすべてではないって知ってる?」
「会社に属すると幸せになれる可能性が少しはあるけど、幸福にはなれないって知ってる?」
他者は、驚愕し、他者の基準から見て認識したあなたの異常性にこころがあなたから疎外され、あなたとこれから付き合うには難しいなどと思われることも出てくるでしょう。
そうなれば、あなたは規定された幸せを完全に棄て、あなたに合った内部運動によって構造に一から築き上げていく幸福の段階に入っていけます。
幸福は、欲求のコードでの運動がいります。
欲求のコードは、90%が内面で気づきになり、そのなかで収束し、それが大地の上に垂直に立つ領域にとどまるような知覚です。
他者を介さないで、外界の自然界につながることができるのが、欲求のコードが生み出す運動の諸反応、諸現象です。
そこは、あなたの存在に意味はなく、あなたの生きることに価値があります。
物体はそのときすべて棄て、経歴などの観念も勢力は弱まり、幸福の第1地点に立つのです。
幸せは、家族構成が社会と融合するため、格差や差別、確執を生み、競い合いの世界で勝ち取らないといけませんが、幸福は違います。
幸福の構築は、すべての人が一から大地に立てます。
幸福は内部運動がいるのが、自然界の運動と同じ内部の差異があります。
差異にあらゆる物体は吸い込まれ、抹殺されていき、あなたが信頼していた親、友人、会社の関係者はその空洞に入り、埋葬されます。
一見、不幸な話のように聞こえますが、あなたが生きるのは、あなたのなかの生がみずから自然界と共有して、リズムを感じ、運動を生む契機にする以外に、生きることは説明できません。
騒々しい天空
あなたが生まれてすぐに背負わされた物体
どうしてもそこから離れられずに生きてきた
押し付けたつもりのない大人たちに罪はない
背負ったあなたはただもがく以外できなかった
いつの頃か
それが重く感じ
こころの動きが止まるように思えた
あなたはそれを解除する選択肢はない
そんな本質を説く聖典があなたには送付できていない
こころのポストには時間不明の不在票が入っていた
郵便物のコードネームは真理の輝き
あなたはいかがわしい宗教だと思い
そのままにしていた
天の運動は瞬く間に過ぎ
世界はもうすぐ終末だと巷では騒がれていた
天は永遠に続く
あなたの内面にエネルギーを入れれば
あなたの生は永遠に続く
あなたはある真夜中死を予感した
このまま眠りにつき
朝が来ないのではないのかと
おびえていた
天は循環があり永遠に続く
あなたもそのように創造されている
あなたの創造主は神ではなく
あなたである
あの不在票
そのままにしておいた
それをもらえたら
そこに解答があるのは知っている
あなたは永遠のままおいておいた
あなたはようやくそのとき真理に近づいた
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