姿勢制御セラピーの萩原です

これから生きていくには、何を頼りにすればいいのか、この社会の退廃と、個人の苦悩は、自分以外の他者にも分からず、人は何から思考を始めていいのか、今悩みを抱えています。
そんな中、人の感覚は知覚に入力から出力の転換はストレスが加速する現状から周りを見る視野は活動的です。
周りを見ては、未来に当てはまる言葉がないかと探し回る心のアルゴリズム。
視野に入る言葉は、男性社会が思惟のパターンとして、男性の個性とする古典的表記が視覚神経に焼き付いてしまう。
まず一つ。
理解してはいけない。
受容してはいけない。
信仰してはいけない。
男性社会は言葉に権威を残存し、慣例としているのです。このシステムは世界を運動させる物理的運動性と安定性を意図していない非制御なのである。
「15周年記念感謝祭」
「15年勤続でリフレッシュ休暇をもらった」
「出会って今年で15年だね」
この表記を男性社会は特に経済活動において乱発し、記念だと言ってアニバーサリーという日本語英語を使用し、他者の思考を奪うと共に、自己の思考も停止することを男性は気づいていません。
街に見受けられる周年記念のロゴ。
飲食店(居酒屋やバル、カフェ)
モールやショッピングストリートなど。
中小企業や零細企業でエンドカスタマーが一般消費者である場合。
男性は、周年記念をすると、粋の良い言葉で発信するのだけど、その言葉に勢いはなく、言霊には至らない、不信を自信に変える作用を内部運動でない他の内部で起こしているのだった。
この周年記念はいつの頃からか、男性社会の吹き溜まりに蓋をする役目(機能)を果たすようになってきました。
周年記念という慣例は、起源説に直接的に連結し、客観性を主観性に直ちに変換され、原型の生命体から発生された表記は失っている。
そして、起源説に信仰する時間経過の足し算が年数となり、内部構造の非運動と運動は、主観性という何にでも主体にさせ、演出する運動に接続すると、一切の未来は視野からなくなり、過去の一次元にスイッチされるのです。
起源説は数式に魂をのせる。
年号こそがすべて。
新しい未来は数式は適応しない不規則の世界。
男性社会は周年記念の発信で息の根を終える。
東京では銀座や六本木、大阪では北新地では、一周年や五周年など、お店開業(創業)から数えた年数をアピールし、信頼を獲得するための偽装された主観性でカスタマー(固定顧客)を来客させる。
日本人の国民性の構造は、主観性の差異に気づけない特性があります。
何もかもを内部(内面、国内、地域内、業界内)で主観性と客観性を混合し、一つする方向性を発達させてきました。
気づきというのは、感覚が発動し、伝達経路を使用し感覚神経が感覚自体を探し出す運動性から生まれます。
感覚が今存在する形のないものを形にしようとする運動性と、感覚神経が感覚を捉えようとするところに神経物質が興奮されていたら、必ず差異が発生するのです。
日本人が起こす全を一にする発展力(還元力)には、あらゆる物事を分解(因数分解)し、全体の中の構造を呑み込む習性があるため、意味のある見せ方(魅せ方)にした無意味な数式が世の中の大多数に主張してきているのです。
開始した年号が認識の操作の電源を管理する。
キリの良い数式は、5年、10年、15年と区切られる。
単なる通過点であるが、日本人はそこを通過、経由する際、祭りの慣習を立ち上げる。
これは、日本人が信じてやまない祭りの風習がそこにあるのです。
循環の法則という方式がありますが、本質的循環は、同じ場所に還らず、螺旋状を描き、違う地点に開始の旗を立てます。
これが、循環の真の法則ですが、日本人の慣習(風習)は違い、一に立ち返ることで、未来を見ようとしていくのです。
その非運動が眼前に現れ、視覚(視野)に入力すると、身体なき心で感慨し、日本人になり、忘れかけていた日本人らしさを演じることを思い出すのでした。
ある物事を活動として開始したとします。
それを1年以内に終了しても、問題はないですが、日本人が理解する循環の法則と起源説の連環は、最低5年はしなければ、他者は承認しないという非運動が思考を経由しないで、固定した観念を持っています。
循環の法則と起源説。
これらは、膨大に超越した永遠性を内在し、循環は元の場所に還り、また一から発生すると考えたら、永遠に継続すると理解し、起源説は生まれる前の地点から生まれた地点を前提にし、これもまた無限(永遠)に継続できます。
このいつまでも続く長い道のりに、日本人はそびえ立つ自然からの原動(現動)を無視して生きています。
内部構造は、不可能さからエネルギーを貯蔵させ、溜め込む圧力で物理的様態を保持に、それによって生きている実感を感じています。
どの活動(仕事)、日本で実行するあらゆる行動は、最初から永遠性を抱えないと開始できない価値意識の定置した坂道の形状があります。
日本人は手に入らないところに憧れと絶望を組み合わせているのです。
ポジティブが憧れ。
ネガティブが絶望。
どちらとも、手に入る実感(実態)がなく、ポジティブとネガティブが共有する。
この二つの不等号は、物理的運動、物理的作用、物理的世界では、対立し合うのに、日本人の世界観では、同時に発生しています。
日本人は超越性に美学を求める。
求める人間と求めた後の人間は別人。
同時に二重の断層は心を他者に開示する。
カモフラージュの二重人格
自己を解体し殻にしフリーズするのが日本人の選択。
一周年、五周年、十周年。
そうやって、ビジネスはカスタマーが回帰してもらえるように、その都度、循環の法則と起源説に還るのです。
一年目と五年目は時代が立たせている現実の旗の色は変わっています。
一年目と五年目に吹いた風は、たとえ風向きや風速が同じ数字だとしても、気流というのは、一致しないのです。
何年継続したのかにこだわり、その年数を他者に言いたがる日本人は、承認の欲望が内部より外部に着目する位置を合わせ、内部運動の停止(心の不在さと存在さの困惑)を他者に引き出されないよう、線(ライン)をひいています。
周年記念の表記。
よく見かける祭りの回帰は、意識なく、無意識にそれが正(正しい価値意識、正当化)とさせる誘惑があって、周年記念に関して、自信のない日本人が飄々と、自信過剰なぐらい自己顕示してきます。
頼る証がどこにもなく、日本人は自己喪失し、二重人格に近い自己不在の違和感を抱えながら生きています。
それが、現実だと認識している日本人は、自己もなく他者もいません。
痕跡だけが、神経系を抑制して、何年継続したかの数式がドクマ(信仰に必要な教義)となり、日本人を内面からでなく、外面から仮面を作ります。
日本人という自己認識は、外側から見ています。
周年記念の表記は、そのお店や人物に義務が生じます。
外面から日本人を再認識させられていき、周年記念に呼ばれたら、お店なら来店し、ショップなら買い物をします。
歌手が周年記念といってベストアルバムを発売したら、買わないといけないのです。
こうして、日本人は日本人であるための信頼が周年記念(慣習を継続する年数で判断、評価)であり、これは持ちつ持たれつに再認識し合います。
しかし、この価値意識の独特なドクマが内在した日本人らしさに限界が来て、この先活用できない状況になるのです。
この独特なパターンは、旧体制男性社会であります。
欧米や欧州に影響を受けた憧れと自己アイデンティティーの喪失に気づいた絶望が世界基準と適合しない現実に障壁を抱えていくでしょう。
周年記念で日本人を支配し合い、自己を奪い合うマーケット。
経済成長ないマーケットは、日本人らしさを強め合って、お互い様が定義の内部のない統一性は、これ以上生きることが困難になり、中心核がない生命体は生命ではありません。
実践が何年継続したのかは、人間の価値に無関係。
生きることに区切りを付ける日本人のドクマを切断する。
周年記念をやめ、マーケットで生きる。
今がその時。
あなたが今何歳なのか、あなたの価値に無関係。
周年記念、誕生日、さまざまな慣習、儀式。
すべて人間の価値を外部から取り繕っている。
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