現時点はどこなのか?今そのものを問う。 | Body Creater 萩原貴一

Body Creater 萩原貴一

姿勢システムの活性化!姿勢を高めることで、運動せずに日常動作で代謝を上げ、楽に美しくなれる。
医療の現場から学んだオリジナルな姿勢を脳を学習させる考え方です。

こんばんはv(^-^)v




姿勢制御セラピーの萩原です音譜




私たちは今を消化し、今を分解して、不要老廃物は排泄するという生物が構造として持つ順序立てた手続きに同意しながら考えることができます。


私たちが向かっているのは、これから哲学的思惟に取り組む前でも感覚で実証的に推論できるのは、今から未来であるということです。


哲学的思惟がどのようなことを意味するのか分からなくても、私たちは未来に向かっているという普遍的な論理は何となく分かる気はするのです。


とはいっても、私たちが現実だと思っている現実は、抽象化された曖昧なものの連続性で成り立っていますので、今という表記や未来という表記を私たちの面前に立たせてみると、飾り気のない普遍的な表記からまったくと言っていいぐらい想像することが難しいと感じてしまいます。


あと、その普遍的な見方を現実に対してできない要因というのは、私たちはあまりにも今やらなければいけない業務があり過ぎるというのもその一つです。



本来、私たちが考えるべき今という時間単位は、単純作業であるルーティーンワークはその中に入れることはできませんが、私たちが今について哲学的思惟を発達させるために問うなら、どうしてもそれらの仕事や家事などの業務が立ち入り、私たちの自己探求を妨げます。



そして、私たちは今から未来へ向かうのは、覆せない事実ではあるのですが、それだけでは何も見えてきませんし、問えば問うほど今は不鮮明となり、私たちは今抱えている未来に持ち込むべきでないルーティーンに目を向けていきます。


そのように考えてしまうと未来は私たちの現前から消え、今を繰り返せば先があるとか、今の蓄積は未来に繋がるなどという連続性に巻き込まれます。


こうした私たちが生きる価値基準は、人間の根底から自然発生する生に基づくものでなくなり、社会が定めた今と現実の見事な連動は、今を積み重ねれば未来があるという道徳的神話と、逆に言えば、今何らかの不都合な生活があるなら、それは今から見れば過去に今を積み重ねなかったから今があるのだと判断し、これから先もこのままどうしようもないと受容していく考えを繰り返すのです。


今、こうして今や未来の時間単位を脱構築してみると、私たちは本当に存在するのか分からない今に目を向け、どれだけ人間に適応するかそれが在るのか分からない今を直接見ようとし、それがやめられなくて、不安を消し去る目的を果たすだけの今を見つめることになっています。



(脱構築。よみ  だつこうちく。構築されている対象を脱すること。最初に一つ目の定義付けがなされています。私たちが意識できる対象、もしくは意識できないけど実存する対象は、構築されたものだということ。私たちが見たり、聞いたりできる人やものは、一つ一つ順序性はなく、規則性もなく、連続性もない段階によって構築されている。これが脱構築により、第一に分かるもの。そして次に第二に分かることは、その対象を覆っている構造に目を向け、バラバラにしておく。そのバラバラになった牌(ぱい)は、諸々の断片たちとなり、それぞれの牌は複数性を弱めたり、廃棄したりすることなしに、総体化される。)




私たちは今どこに立っているのだろうか?
私たちが向かうであろう未来は、今よりも本当にこの先にあるのだろうか?


私たちが日々の仕事で行なっている業務というのは、一ヶ月単位で分かったりします。
今週やるべきことや、その日にやるべき業務は、だいたい同じです。


販売業や営業で売り上げた数字を帳面として入力する経理やサービスに関して準備するさまざまな様相のための作業も、新しいアイデアは生まれません。


私たちはこれから先のことを予測できると思ってしまっています。
そのような段階をさも連続性を保っているように進んでいると思っているのが、私たちの考えたり、思ったりする主格にそれらが並んでいて、未来について構造的な誤差により、未来という真実は私たちに今存在していないのです。



今を知る。
今を探す。
今を知り、探すために、私たちの周りのルーティーンをすべて見えなくする。
すると、今と未来は繋がらずに動いているのが分かる。



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(無造作。どこに行くか分からない。人は戸惑うだろう。行き先なき計画はないと思っているから。)



それでは、現時点を知るために、今がそれだと解釈するところに対して疑いを持ち、無理に繋がった関連性を剥がしていかなければいけません。



人間は今日まで、とても大きな誤作動を作動したかのように思いながら生きてきました。


人間が製造に製品化されたものは、責任が生まれるため、もしそれが電気やガスを扱う機械であるなら、もし誤作動が発生すると、自然に電源が落ちるシステムに作っています。


それは、もし事故があると責任が製造会社に課されるため、そうならないように製品はちゃんとそこを配慮して作ったのだと、使える機能を付けています。


それが責任が発生しないのなら、製造会社はそんな機能も作らないかもしれませんが、これらはだいたい機械に関して当てはまりますが、仮にサービスに関する責任はどうなるのかといえば、契約書にサービス側は責任を追えませんよと同意させ、何らかの事故に応じませんし、それはお客さんに責任がありますとなるのです。



しかし、私たち自身は人工的な機械にはそのような防止機能をつけたにも関わらず、私たちは自分自身の誤作動について、何の情報源も感覚的に引き出すことはできません。



人間である私たちは誤作動を無意識のうちに、機能としての正常を求めるようにできていて、それが私たちの目の前の物事に対する見方を乱し、狂わすのです。



それはどのような意味での乱しなのか?狂わしなのか?


その多くは、未来に自己を内面からサーチライトを照らすようにする入り口である今に影響が促されていますが、私たちはこの今に絶対的地位を与えているのです。



今の先に未来はない。
今を拒否し、未来を拒絶。
今という綺麗な王冠に自己をのせると、未来は闇よりも光に照らされたユートピアに見える。



今を拒否することで、本来は未来は独立する惑星と同じく、姿と形、像を見せてくれます。


しかし、この今の拒否に惑わされてはいけなくて、私たちは未来を独立させるには、真の今を知ることが求められます。その今とは、今の現時点はどこにいるのかという問いです。



私たちが知っている今は、道徳観に基づいた今というもので、学生時代に私たちは誰もが経験した違和感、それはいわゆる学校の勉強というもので、今頑張れば、将来に繋がるといった歴史観に基づく誤報です。



誰もがそう信じ、楽しくない、受け入れがたい学校の勉強は、そこに親や周りの大人、教師たちは意味付けをし、抽象化を飛び越え、未熟なままに具体化させ、今に光を当てたのです。



そうした作為により、私たちは今を否定できなくなりました。
今やるしかない。今しかない。そこに何のための意味があるのか。
数兆個の細胞は、今を信仰させ、善をモチーフにした法規に神経は強い繋がりを持たせ、数兆個は失われ、たった一つの選択肢となっていきました。



一つ以外はすべて排除し、今を疎かにすれば、不幸な未来が待っていると脅すのでした。



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(いつやるの?は不適切。何があるから今があるのと問う。今やり残したものを未来で表現するのが哲学)



私たちが知っている今は廃棄すべき今なのです。
私たちはどの方向から見つめなおしても、私たちが幼いときに、教育という社会の雑破なシステムにより、概念なき今と未来は繋がりに施錠し、それらは切り離せなくなりました。



私たちは苦しくなると、今から始まると捉え直す内部治癒性は活性化しますが、そのシステムは生に基づいて運動したわけではなく、その既視(デジャヴ)は道徳観から見た今なのです。



少し立ち位置を変え、論理的にスムーズなリズムとテンポで問われたら、その既視はすぐに汚れることも見えてきますが、私たちはこの世にいる人間すべてが今を現状に基づいた今だと思っているため、誰もそこに問いを入れることができません。




今頑張らないから、不幸になるわけではない。
今学ばないから、人から引き離され、自立できないわけではない。
今仕事にやる気を出さないから、自分を受け入れ、納得できないわけではない。




この命題は、非常に微妙な内部運動へ刺激を送信しますが、かすかなノイズしか引き出せないでしょう。


その理由というのは、今と未来は形にすることができず、視覚に頼れないからです。


(ここに注釈を入れる。今と未来を見つめることは不安という苦痛を伴うため、ここで、方向転換と休息を入れる。視覚に頼ることが、私たちを新しくできる破壊のあとの更新された概念作りに必要な反対命題です。視覚に頼ることで、私たちは納得する誤作動がある。西洋なら、教会やルネサンス期建築を見れば、それだけで歴史の重みを感じる誤作動。歴史は今を棄てることで、歴史は成立する。しかし、歴史は残存してしまった。東洋ならお寺か神社。そのたたずまいが、風土をモチーフさせるが、私たちはそこに精神性は活性化されず、人間力は弱まるばかりである。そこに割り込んだのが、戦後教育。視覚に植え付けるために、教科書は同一性とされるデザインとなり、新学期になると一斉に渡される。その日にいなければ、今を否定したことになり、同一性から誤作動を抱えた人間たち、それは他者と言われる化け物たちは、あなたを苦しめ続けた)



知らないうちに、私たちは未来より過去に引き込まれます。
現代建築が増えるほどに、対立された過去の遺産は、巨大化していきます。

マスメディアは町おこしだと綺麗事を発信し、世界遺産を強調します。


しかし、ここで私たちはかなり恐ろしい状況に出会うのです。
そうした今の取り組みに対して、それを対立させる批評を言語レベルで完全に逸脱し、言葉を失うのです。


世界遺産に取り組む過疎化した街。
地方の野菜を都会に運び、生産者を強調した、マルシェ。
ネットでいくらでも買える地方名産とその流通の敏捷性。



批評できないということは、それを取り組んだ人の頑張りが、情熱として代償された熱意に切り替わります。


これが、現代の最大の悪質なパターンで、今をどんどん強めていき、今頑張れば未来は変わると信じることをやめられなくなります。



人はみな今に信仰を与え、今は一瞬で棄てられるのに今がずっと続く気にさせる。
そうすれば、私たちは手足を切断され、さらに鉄塔に縛り付け、視覚に依存させるように、私たちは過去に支配されます。


街を歩けば、科学性を含意した現代建築は、ここら最近今までとは違う運動が生まれています。


それは、「過去に回帰する」という現象です。
しかし、この価値基準に生まれた運動は、生がそこに高まらず、勝手に一人進んできています。



私たちは、未来を独立させ、未来に自律させること。
その根源は、今から権威を奪わなければいけません。


あなたは今何をしていますか?
今、明日の仕事の準備をしていることでしょう。
詳細を述べるなら、明日の仕事、それは将来身を結ぶ有益な時間だと思っている誤作動です。



あなたは明日のために生きています。
明日を光らせるには、今に権威を施錠させ、絶対化しなければならないのです。



あなたが仕事に疲れ、人が羨ましくなる感情は、生なる欲求に伝達されることなく、今に固執するルーティーンに意識を向けるでしょう。


現時点はどこに立っているのか?
あなたが今日の仕事での経験を振り返り、そこで自信を持ち、自分を満たしたなら。
そこから、あなたの体内リズムは壊れていくでしょう。


私たちは過去に立ち返ることを事あるごとに求めてしまいます。
世界の運動は、螺旋的であり、同じ地点に還ることはできません。


今、体に良いことをすれば、将来病気を防げるのは、最も危ない価値基準です。
病気を防ぐことは不可能であり、病気という観念は、医師たちが定めた基準です。


今はあらゆるところで、関連付けられてきます。
今と未来は関連することはありません。
何もかもが必然ではなく、累計でもありません。
その割り合いは二割以下で、あとは私たちにも計り知れない、さまざまな事情が絡み合ってきます。



今を棄てられたら、今日努力することに満たすのをあなたはやめられるでしょう。


現時点を知るために、先に未来に柱を立てなければならないのです。
しかも観念を超えた、数字を立てられず、盲目的なもの。認識や理解に向かっていく理性ではなく、未来という無限から有限となるその襞(ひだ)にあなたが生きる唯一の空白があるのです。


決して、そこに輝きはなく。
決して、そこに光はなく。
闇から光に抜け出すよりも、光から闇に入る寸前。
そこが未来の空間であり、生が定めた(定立と言います)死を未来の隣に置き、そうすることで初めて、未来は形が出てきます。
未来がはっきり見えたとき、あなたの中で、今が消えるでしょう。
それが分かっても、今が消える速度には追いつけません。
それぐらい今は高速スピンにより、未来のために、積み残された荷物が廃棄された場所。それが今なのです。




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