(※この日記は2012年1月29日に書いたものです)
「ドラゴンボーン」の旅の目的は今はっきりとしたものになった
ドラゴンのパーサーナックスと話し合い=剣を交え、今理解した
不死の存在などあってはならぬ
ましてやアルドゥインのように死者の世界に行き英雄の魂を我が物にするなど
許されるべきものではない
慈悲深き神は定命のものにドラゴンと同じ能力を与えたもうた
それはすなわちドラゴンに安らかな死を与える為に
パーサーナックスはアルドゥインの右腕であったことは確かだが
それでも不死の不都合に気が付いていたに違いない
ドラゴンの存在自体が厄災なのではなかった
不死こそが不都合なのだ
アルドゥインは不死である故にできる事をやっているにすぎないのだ・・・
えー・・・私はパーサーナックスを倒しました
自分でもあり得ない選択だったと思います えぇ(´・ω・`)ショボーン
普通の感覚ではパーサーナックスを心情的に倒せない(倒そうとはしない)と思いますね
なにしろ協力者であり英知の象徴としてのキャラ付けをされてますから
いまさらドラゴン=悪だからというつまらない理由で倒せと言われても無理がある・・・
だけど改めてパーサーナックスと話をし、戦闘を挑んでみて
あまりの抵抗のなさに気が付きました
スカイリムの世界は自由な世界
そしてどのような行為の結果もゲーム内に反映される
パーサーナックスと戦わないのもよし
ここで倒すのもよし
(最後に彼と戦うという選択肢があったのかもしれませんが・・・w)
自由ではあるが当然その結果の責任は自分で負うことになります
そしてパーサーナックスをここで倒すのにはそれなりの理由が必要となりますよね
ゲーム内で語られるのはブレイズの恨みだけだったので、私の個人的理由ではありません
私は1周目の選択として単にブレイズに味方したのではなく
パーサーナックスは死にたがっていると理解したドラゴンボーンを演じることにしました
(2週目は違う展開にしたいですねw)
ドラゴン=悪といった単純な勧善懲悪ではなく
私がこの世界に生まれ落ちた意味として必然的に
パーサーナックスを倒さなければならないのではないかと感じたからです
山奥で交わされたパーサーナックスと私の会話は誰も聞いていませんから
結果として残るのは私がパーサーナックスを倒したという事実のみ
スカイリムのストーリー解釈としては様々に解釈できるんでしょうけども
底流に正義とは? 善とは? 悪とは? 生とは? 死とは?
という哲学的な話が横たわってる気がしますね
私がこれまで辟易としていた、いきなり長話の裏にはこういう問いかけに対する
背景があり、説明があり、動機づけがあるのだと思います
2週目3週目こそ、このゲームの本筋が追えるのかもしれませんね
NPCが語る一言一言の背景をもっと深く理解できる事でしょう
各地に点在する膨大な本の中にもこの問いに対する答えがあるのかもしれない
様々な選択とその結果で構成されるこのゲーム・・・実に深い作りになってますなー
最初はオープンフィールドとその風景の美しさに圧倒されますがね
それだけのゲームではなかったんですなー
耳に残る印象的なBGM
敵対するもの達との戦い
そして残る哲学的な命題・・・
実にすばらしいゲームです