「栄光の男」は「栄光の男」になれなかった男の
物語です。

「短編小説を書いたような気持ちになった」と桑田さん。
1番から3番まで、Aメロ、Bメロ、サビ、同じフレーズの繰り返しは一行たりともありません。
字面だけでなく、行間からも物語が伝わってきます。
聴き終えると、まさに短編小説を読み終えたような読後感を味わうことができます。


「ハンカチを振り振り
あの人が引退(さ)るのを
立ち喰いそば屋の
テレビが映してた」


冒頭の一節。
まさに小説のような描写的散文です。
「あの人」は長嶋茂雄。
栄光の巨人軍の4番打者。
1974年10月14日、引退。
彼の引退セレモニーはテレビ放映されました。

桑田さんはこの放映を「立ち喰いそば屋」ではなく、喫茶店で観たそうです。

「私は青山学院大学に入学して花の楽しいキャンパスライフを夢見ていたが、現実は特にモテることもなく、何をやっても思い通りにいかず、モヤモヤとした気持ちを抱えていた。ある日、喫茶店に入ると、長嶋さんの巨人軍引退試合が映っていた。それを見ていたら「こんなはずじゃ無かった」という思いがこみ上げて、涙が零れていた。」(桑田佳祐「葡萄白書」)

当時、桑田さんは18歳。
歌の主人公が同年齢だとすると、この曲のリリース時(2014年)は58歳と推定できます。

高度経済成長、バブル、その崩壊と失われた10年、経済の浮き沈みに翻弄されつつも、いつか「栄光の男」になる日を夢見てがむしゃらに働いてきたのでしょう。

しかし、「ビルは天にそびえ、線路は地下を巡」るようになったとき、彼が「信じたモノはみなメッキが剥がれてく」…
「立場がある」地位まで上り詰めたものの、実態は、部下と思われる女性に「居酒屋の小部屋で酔ったフリして」足を触れさせ喜ぶセクハラ親父でしかありません。

「もう一度あの日に帰りたい」と「あの娘の若草」を思い出しながら「ひとり寂しい夜」を過ごす。
「老いてゆく肉体は愛も知ら」ず、もはや彼の人生は詰んでしまったかのように見えます。
恐らくはこの先も独りの人生を歩む可能性が高いでしょう。
しかし、彼自身は「恋人に出逢えたら陽の当たる場所に連れ出そう」と人生の大逆転に一縷の望みを抱いています。


ハンカチを振り振り
あの人が引退(さ)るのを
立ち喰いそば屋の
テレビが映してた
シラけた人生で
生まれて初めて
割箸を持つ手が震えてた

「永遠に不滅」と
彼は叫んだけど
信じたモノはみんな
メッキが剥がれてく

I will never cry.
この世に何を求めて生きている?
叶わない夢など
追いかけるほど野暮じゃない


悲しくて泣いたら
幸せが逃げて去っちまう
ひとり寂しい夜
涙こらえてネンネしな








ダンディズムを歌にするのはKUWATA BAN〜ソロの専売特許でした。
それが、「MUSIC MAN」でソロとサザンの境界線が消滅し、ソロがサザン化し、サザンがソロ化しました。
以前だったらソロでとりあげるべき、タイトルに「男」のついたこの曲を、ためらうことなくサザンでリリースしました。
サザン復活後のイメージ転換の表れと言えます。

桑田さんのボーカリストとしての表現力はさらに深みを増しています。
キャラクターが感情移入しやすいというのもあったでしょう。
これは桑田さんのそうなったかも知れない人生を生きる男の物語ですから。

名脇役の原さんはキーボード、コーラスで存在感を示します。
こみ上げる男の悲哀を鬱陶しさから解放するのは原さんの存在に他なりません。
そして、原さんがそこにいるとき、「栄光の男」は正真正銘のサザンナンバーとなります。

個人的には復活後で1番好きなサザンです。