「Mr.Moon Light」と書いて「月光の聖者達」と発す。
ビートルズのことだ。
1966年、来日したビートルズは武道館で公演を果たす。
その時の熱狂に触れた経験を基に桑田さんは曲を紡ぐ。
夜明けの首都高走りゆく
車列は異様なムードで
"月光(つきあかり)の聖者達(おとこたち)"の歌が
ドラマを盛り上げる
知らずに済めば良かった
聴かずにおけば良かった
「人生(ショー)はまだ始まったばかりだ!!」って
胸が張り裂けた
ひとりぼっちの狭いベッドで
夜毎 涙に濡れたのは
古いラジオからの
切ない"Yeah Yeah(イエイエ)の歌"
今はこうして大人同士に
なって失くした夢もある
時代(とき)は移ろう
この日本(くに)も変わったよ
知らぬ間に
車列は異様なムードで
"月光(つきあかり)の聖者達(おとこたち)"の歌が
ドラマを盛り上げる
知らずに済めば良かった
聴かずにおけば良かった
「人生(ショー)はまだ始まったばかりだ!!」って
胸が張り裂けた
ひとりぼっちの狭いベッドで
夜毎 涙に濡れたのは
古いラジオからの
切ない"Yeah Yeah(イエイエ)の歌"
今はこうして大人同士に
なって失くした夢もある
時代(とき)は移ろう
この日本(くに)も変わったよ
知らぬ間に
「1966年6月29日日のビートルズの初来日によって、私のその後の人生や運命が変わったと言ってもいいだろう。まさにあの来日公演こそが私にとって黒船が来たかのような出来事だった。当時まだ小学校5年だったが、あの来日当時の喧騒や、日本テレビで見た中継録画も私の記憶の中に生々しく残っているのだ。あの日、ビートルズが羽田空港に着き、その足で宿泊先である赤坂のヒルトンホテルへと向かう様子が延々とテレビ画面に映し出され、夜明けの首都高速を「Mr.Moonlight」をバックに走っていくビートルズー行を乗せたアメ車のキャデラックを、数台のパトカーが先導していく映像が今でも鮮明に焼き付いている。」(桑田佳祐ライナーノーツより)
1966年当時、桑田さんは小学5年生、「人生(ショー)はまだ始まったばかり」
日本はと言えば高度経済成長に沸いていた。
そこにビートルズの来日。
世界を席巻するビートルズの勢いに、桑田さんの未知なる人生への期待と、明日への希望に満ちた日本の行方が重なる。
時は流れ、この曲がリリースされた2011年。
桑田さんは、ご両親とお姉さんをすでに亡くされていた。彼にビートルズを教えてくれたお姉さんだった。
桑田さん自身も大きな病を経験した。
日本経済は長いトンネルを抜け出せずにいた。
ビートルズはとうにいない。1969年には解散しているのだ。
輝いていたあの頃と曇り空の現在。
あの頃に戻りたい、でも戻れない。
寂寞感が桑田さんにこの曲を書かせる。
ところで「ミスター・ムーンライト」はドクター・フィールグッド&ジ・インターズのカバーであり、ビートルズのオリジナルではない。
オリジナルはシングルのB面曲という、まさに月明かりにぼんやり浮かびあがる程度の存在ながら、ビートルズが歌うことで世の中の知るところとなった。
さて、桑田さんの「月光の聖者達」は荘厳なバラード。
ストリングスをフューチャーしたスローバラードをラストに持ってくるのは極めてサザン的だ。
「人気者で行こう」→「Dear John」
「Young Love」→「心を込めて花束を」
「さくら」→「素敵な夢を叶えましょう」
いずれも壮大なアレンジが施されたスローバラードだった。
2005年、サザンが無期限で活動を休止。
縛りの取れた桑田さんは「MUSIC MAN」においてついに1人サザンを解禁する。
「月光の聖者達」をラストナンバーとしたのもその証左だろう。