「沖縄の、基地の街の、とある物語。」
と桑田さんはライナーノーツに書いている。
「いいひと〜Do you wanna beloved?」の次にこの曲を配したのは意図的だろう。
基地問題に奔走した政治家を揶揄し、沖縄を政治問題として捉えた「いいひと」。
他方、「SO WHAT」では米軍基地側の真昼の情景を写実的に描く。
沖縄にとってアメリカは排除の対象でありながら日常生活に密接している。
沖縄とアメリカの二律背反とも言える関係性。
「いいひと」〜「SO WHAT」の落差で表現したかったのはそこだろう。
汗がへばりつく
ベッドが軋んでる
強引(むり)に肉体(カラダ)を挿入(いれ)て
舌を這わせりゃ身悶う ナナ
強引(むり)に肉体(カラダ)を挿入(いれ)て
舌を這わせりゃ身悶う ナナ
シャワーも浴びないで
求め合うがいい
芳ばしい雌の匂いが
濡れて鼻先かすめた夜
頭上をヘリが飛ぶ
真横に基地がある
青い海が見える
求め合うがいい
芳ばしい雌の匂いが
濡れて鼻先かすめた夜
頭上をヘリが飛ぶ
真横に基地がある
青い海が見える
「黒澤映画のような趣になっていった」
と桑田さんが述べる通り、まるで映画のワンシーンを観ているかのような写実的かつ退廃的な歌詞。
その世界観は村上龍の小説「限りなく透明に近いブルー」にも通じる。
この小説の舞台は福生だが、基地の街でセックスとドラッグに明け暮れる若い男女を五感に訴える文章で描き鮮烈だった。
「黒澤映画のような趣」を持ち、かつ「歌謡曲とジャズとラテンの融合のようなアレンジとなった」曲調は、確かにひとつのジャンルに囚われない、奇妙で不気味な雰囲気を醸し出している。
「かつての沖縄、ベトナム戦争、コッポラ監督の『地獄の黙示録』という安易な連想ゲームの中で私だったらさしずめ“ジミヘン”か“ドアーズ”あたりの曲だろうかということで、ラストの歌詞に“The Doors”や、彼らの曲の『The end』の一節を入れた。
というわけで最後は「ジ・エ〜ンド♪」とジム・モリソンのおどろおどろしいモノマネをして終わる。ドアーズっぽいと言えなくもないが、演出過剰な歌い方とジャンルの融合が生み出す特異なサウンドに、個人的にはトム・ウェイツが思い浮かんだ。
いずれにせよ桑田さんの過去のナンバーに類似作はない。
ここに来て新たな景色をリスナーに見せる桑田氏。
「TSUNAMI」の歌詞「止めど流る清か水よ」とはまさに止めどない彼の才能を言い当てた言葉に他ならない。
1967年リリース、ドアーズの大傑作ファーストアルバム。「ハートに火をつけて」、「ジ・エンド」、「ブレイク・オン・スルー」収録。ボーカルのジム・モリソンはコッポラ監督とUCLAで同級だった。