映画「稲村ジェーン」のドキュメンタリー番組が上映前にテレビで放送された。確かその日は、同映画のサントラが発売された日だったと記憶している。

番組内で「希望の轍」がほんの一部だが流れた。

 

CMのテーマソングやドラマの主題歌を聴くのは、スーパーで試食をするのと似ている。

 

ポイントは少量であること。

 

一口食べる→食欲が刺激される→満たされることは決してない→欲望は渇望へと変わる

 

気づくと私は近所のレコード屋に向かって自転車をこいでいた。

私の記憶が確かならば1990年9月1日のことである。

 

その日がサントラの発売日であることは知っていたが、明日買えばいいやぐらいに思っていた。

ところが、「希望の轍」を試食、いや視聴したら居ても立っても居られなくなったのだ。

 

夢を乗せて走る車道

明日への旅♪

 

サザンの新譜を手に入れるため自転車で疾走するにはもってこいのBGMではないか。

 

 

相変わらずの失恋ソングだが、この曲の主人公は過去にとらわれてはいない。

「涙」が「熱くこみあげ」、「面影は哀しく」「揺れる」が「夢を乗せて」「明日への旅」をすでに始めている。「風の詩(うた)」を聴きながら「エボシライン」を遠ざかり、「希望の轍」が「車道」に刻まれる。

 

後ろ向きの失恋ソングは数あれど、未来を見据えた前向きな失恋ソングは桑田にとって後にも先にも「希望の轍」だけではないか。

シングルではないこの曲が、数多のシングルナンバーを抑えて不動の人気を誇る理由はそこにあると思う。





 


桑田史上屈指のイントロに導かれ、必殺のコード進行が切なさをかきたてる。

いつもならバラード(真夏の果実、TSUNAMI、白い恋人達など)で使われるコード進行だが、疾走感を表現するためテンポが速い。そこがまたイイ。

2番の部分的なアカペラもやはり少量だけにパンチ力と美しさが際立つ。

 

「『わだち』という非日常的な言葉はボブ・ディラン『血の轍』がヒントだろう」とは中山康樹氏の指摘。

 

「血の轍」は1975年にリリースされたボブ・ディランのアルバムである。

このアルバムの制作時、ディランは妻サラと別離の状態にあった。

胸張り裂け、流れ出る血を目の前に突き付けるような楽曲がいくつか収録されており、ディラン最高傑作の呼び声高い。(個人的には「Blond on Blond」と並ぶ最高傑作だと思う。)


「希望の轍」は、いわば「血の轍」の反意語である。

 

 

 

 

なお、2008年3月12日にリリースされたDVD「桑田さんのお仕事07/08~魅惑のAVマリアージュ~」には桑田氏がエレキ一本で歌う「希望の轍」が収録されている(ツアー『呼び捨てでも構いません!!「よっ、桑田佳祐」SHOW』のライブ映像)。

のちの「それ行けベイビー!!」へとつながる感動的な名演である。