Keisuke Kuwataをめぐって-平野武蔵 VS 舘ひろ子3rd Edition (10)の続き

ひろ子は寝てしまった。

 

一日中酒を飲み、それでも酔ったそぶりなど少しも見られなかったひろ子が、小料理屋「辻堂辺り」の帰り道、武蔵の一世一代の愛の告白の途中で突然酔いが回り、道端に嘔吐したのだった。

 

そのまま吐瀉物の上に座り込みそうになるひろ子の腕を武蔵は慌てて掴み、肩を貸しながら引きづるようにして帰ってきた。

 

ひろ子を寝室のベッドに寝かせると、武蔵は一人、リビングでミネラルウオーターを飲みながら呆然としていた。

 

明日、目を覚ましたときには、ひろ子は何も覚えていないに違いない。

 

それにしても、なぜあのタイミングで酔いが回って嘔吐したのか。

 

ひろ子の防御反応が無意識下で働いたのか。

 

それとも神のお告げだろうか。

やめておけ、お前とひろ子では年齢も見た目も釣り合わぬ。

そして神の見えざる手が、ひろ子の口に指を突っ込んで武蔵の告白にゲロを吐きかけたのか。

だとしたら神とは何と無情なことか。

 

時刻は午前1時を回っていた。

 

起きていても仕方がないので武蔵も寝ることにした。

シャワーを浴びて、ソファで寝よう。

そう思って立ち上がったとき、スマホが鳴った。

 

メールではなかった。電話だった。

画面には見覚えのない番号が表示されていた。

 

真夜中過ぎの電話など無視すべきだった。

しかし、武蔵は、愚かにも出てしまった。

 

「武蔵さんかしら?」

 

女の声が言った。

 

「はい、そうですが・・・」

 

「あなたにお願いがあるの。これからそちらにお邪魔するわ」

 

「あの、どちら様でしょうか?」

 

「そうね、LADY LUCK(幸運の女神)とでも言っておこうかしら」

 

LADY LUCK?

 

「あの、おかけ間違えじゃないですか」

 

「あら、だってあなた武蔵さんでしょ?」

 

「そうですけど。武蔵違いじゃないでしょうか」

 

「あなた『24時間桑田佳祐』ってブログ書いている武蔵さんでしょ?」

 

「そうです。その武蔵です。いつか何処かでお会いしました?」

 

武蔵は聞いたがLADY LUCKと名乗る女は答えなかった。

 

すると、いきなりチャイムが鳴った。

 

「ついたわ」

 

電話の向こうでLADY LUCKが言った。

 

武蔵はわけが分からなかった。LADY LUCKと名乗る女はなぜ彼の家を知っているのか。

 

武蔵がインターホンのスクリーンを見ると、女が写っていた。

日本人ではなかった。そう言えばしゃべり方が少し変わっていた。日本語は完璧なのだが、海外ドラマの吹き替えのようなしゃべり方だった。

 

「どちら様ですか。お会いしたことないですよね? こんな夜中にいきなり訪ねてきて、警察呼びますよ」

 

「開けてちょうだい。怪しいものじゃないわ」

 

LADY LUCKと名乗り、夜中に突然訪れる見知らぬ女。

十分怪しいではないか。

 

「私はただあなたにお願いがあってきたの。それを伝えたら帰るわ」

 

「電話じゃダメですか」

 

「長い話なのよ」

 

「こっちはもう寝るんです。長い話に付き合うつもりはないですよ」

 

「『Southern All Stars』っていうアルバムのことなの」

 

そう言われて武蔵のガードが少しゆるんだ。

 

「私あなたのブログをいつも楽しみにしてるのよ」

 

武蔵はあっさり玄関のドアを開けた。

 

「ハーイ、武蔵さん。ナイストゥミーチュー!」

 

青い瞳の女だった。

胸の開いたタンクトップ、ミニスカートから伸びる長い足、赤いエナメルのハイヒール、ゴージャスなウェーブをかけたlong brown hair、肩に下げたバッグは武蔵でも知ってる高級ブランドだった。

武蔵はタンクトップを持ち上げる報道されないM型に目を奪われ、何も言えなかった。

 

武蔵がどうぞと言う前に女はさっさと上がり込み、リビングのソファに腰を下ろした。

 

「スパークリングウォーターがあればいいわね」

 

あっけにとられていた武蔵は我に返った。

 

ウィルキンソンのスパークリングウォーターを冷蔵庫から取り出し、ボトルのまま女の前に置いた。

 

「どうしてうちが分かったんです?」

 

「そんなことどうだっていいじゃない」

 

ボトルの栓を開けながら女は言った。

 

「あの、ブログを読んでくれてるって・・・?」

 

「ええ、たまにね」

 

さっきはいつもって言ったじゃねえか。

 

「で、ご用件は?」

 

女はスパークリングウォーターを一口飲んでから答えた。

 

「私のね『Southern All Stars』のLPがなくなってしまったのよ。だからあなたに探してほしいの」

 

「なくなった?」

 

「ええ、確かに持ってたはずなんだけどこの前久しぶりに聴こうと思ったら見当たらないの」

 

「外国の方なのにサザンが好きなんですか」

 

「音楽に国境はないわ」

 

「もう一度よく探したらどうですか。とにかくあなたのレコードがなくなったからって私の知ったことではないですね」

 

「あっ!あった!」

 

そう言って女はテーブルの上に置かれた武蔵の「Southern All Stars」のLPを手に取った。

 

「何を言ってるんですか! それは僕のですよ!」

 

「証拠はあるの?」

 

「は? 証拠? このジャケの汚れ具合が何よりの証拠ですよ。どれだけ聴き込んだことか」

 

「じゃあ、これ私に譲ってちょうだい」

 

「譲るわけないでしょ」

 

「タダとは言わないわ」

 

「カネの問題じゃないんです。このレコードには僕のスウェット・アンド・ティアーズが詰まってるんです」

 

「じゃあ、私ともっとスウェット流さない? このジャケットみたいなことしてもいいのよ」

 

そう言ってLADY LUCKは「Southern All Stars」のジャケットに写るカブトムシの後背位写真を指さした。

 

 

 

武蔵は一瞬気持ちが揺らいだが、すぐに気を取り直して、これはポール・マッカートニーのソロアルバム「ラム」の裏ジャケに倣ったものだと、動揺を隠すように言った。

 

 

 

 

さらに・・・、と武蔵は聞かれてもないのに続けた。

 

「白いジャケに2匹のカブトムシ、すわわち2匹のビートルズが写っていることでビートルズのホワイトアルバムとの近似性を考えたくなりますが、それは否定すべきでしょう。

 

 

 

ホワイトアルバムはビートルズのメンバーがほとんど個別に曲を作って持ち寄った結果、バンドの総力戦となり、まさに『The Beatles』という名にふさわしいアルバムとなりました。楽曲はロック史上に残る名曲から肩の力を抜いた遊び心あふれるものまで様々です。

 

でも、『Southern All Stars』はバンドの総力戦と言うよりは桑田の一人サザンな音作りで、楽曲はすべてシングル級のクオリティを誇っています。全編を貫く高い完成度はサザンのアルバム中随一であり、ホワイトアルバムのような完成度を度外視した作品とは対極にあります。

 

『The Beatles』との類似性で語るならやはり『kamakura』か『キラーストリート』でしょう。

 

というわけで、バンド名を冠したこのアルバムですが、実はバンドとしてのサザンオールスターズの影は薄いと言わざるをえない。

 

多様な音楽ジャンルの折衷ぶりで表面的にはサザンらしさを保っていますが、3年半と言う充電期間を設けてもなおサザンには乗り気ではない桑田さんの本心が垣間見えるような音作りだと思います。

 

『みんなのうた』にあるように『偽りのシャツに ためらいのボタン』をはめての大人の事情による復活だったのかも知れません。

 

実際、次作『稲村ジェーン』ではサザンのメンバーによる演奏はほとんど聴かれなくなり・・・ちょっ、ちょっと何をしてるんですか」

 

LADY LUCKの手が武蔵の報道されないT型をまさぐり始めた。

 

条件反射のように武蔵の頭の中で「女神達への情歌」が流れ始めた。

 

武蔵はベッドルームで寝ているひろ子が気になり、抵抗しようとしたが、全身が金縛りにあったように動かなかった。

 

「か、体が動かない・・・」

 

LADY LUCKは不敵な笑みを浮かべながら、武蔵のパンツに手をかけた。

 

T型がO型に含まれるのを感じた。体は動かないが、感覚だけはあった。身体の中心から快楽がさざ波となって全身に伝わった。

 

武蔵の意識が遠のいていった。

体の自由が奪われ、今度は意識を失いつつある。これは、どういうことなのか。

まるで天国への扉をノックしているようだ。

LADY LUCKと名乗っているが、実はLADY DEATH(死神)ではないのか。

 

薄れゆく意識の中で、しかしT型の快楽と「女神達への情歌」だけは止むことがなかった。

 

やがて完全に意識を失った武蔵に、果たして彼が「Y型の彼方へ」イッたのかどうかは知る由もなかった。

 

(つづく)