デタラメ英語でメロディを歌い、後付けで言葉を紡いでいく。その結果、歌詞とメロディの間に分かちがたい相互依存が成立する。

 

歌詞がメロディの後を追ったからと言って、意味がないがしろにされるわけでは決してない。

意味を持ち、時には感動的なストーリーやメッセージを帯びるところに桑田氏の作詞家としての才能がある。

 

しかし、「悪魔の恋」においては理解不能な語彙の組み合わせが意図的に成されている。


 

レモネードのCoke

交わすマーマレイドのSmoke

ストーミー・マンディのパワー

ジェリービーンズの象

 

My baby's got to be the one

All I can say is what you want

My-my yeh yeh yeh

 






ジョン・レノンは「Lucy In The Sky With Diamond」や「I Am The Walrus」の歌詞において、意図的な意味の解体により、ドラッグによるtripなしでリスナーをサイケデリックな世界へと招待した。。

 

「Picture yourself in a boat on a river

川に浮かぶ小舟に乗った自分を想像してごらん

 

With tangerine trees and marmalade skies

タンジェリンの木とマーマレイドの空も

 

Somebody calls you, you answer quite slowly

誰かが君を呼び、君はゆっくり返事をする

 

A girl with kaleidoscope eys

万華鏡の目をした女の子

 

Cellophane flowers of yellow and green

黄色や緑のセロハンの花々

 

Look for the girl with the sun in her eyes

And she's gone

瞳に太陽を宿した女の子を探すんだ

彼女は行ってしまった」

 

(The Beatles 「Lucy In The Sky With Diamond」)

 

桑田氏が「悪魔の恋」で試みたジョン・レノン的手法の目指すところは1988年~1989年に渡って日本を震撼させた連続殺人犯の常人には理解し難い人間性を描くことだったのかも知れない。

しかし、この曲が持つ印象は救済のない現実ではなく、「マチルダBaby」のようなコミカルな仮想現実である。

犯人の男が生きた現実もそのようなものだったと言うことだろうか。

 

ディープ・パープル「Smoke On The Water」を彷彿とさせるシンプルな、それゆえにクールなリフが屋台骨。

八木氏のハーモニカが「dark side」で吠えまくり、「Smoke On The Water」との差別化を図る。