チノパンに柄のついたジャケット、白いYシャツを第2ボタンまで外し、おどけた調子で歩いているのは桑田佳祐である。

 

背の高い、黒いスーツの男たちが駆け足で彼を追い越していくが、桑田はあわてる様子もなく、余裕の表情で辺りを見渡し、マイペースで踊るように歩みを進める。

 

途中、雨降りを確かめるかのように両手を広げ、軽く空を仰ぎ見る。

雨は降っていないが、一連のパフォーマンスは「雨に唄えば」のジーン・ケリーなのかも知れない。

 

BGMは「愛は花のように」。

 

スパニッシュなリズムとあえてズラした、ゆるやかな、それでいて軽快なステップは、上質なユーモアを感じさせる演出であり、桑田は最高の身体表現を見せたと思う。

 

 

ニッセイのCMで使われた時、この曲はまだ未発表だった。

間もなく1990年1月13日リリースのアルバム「Southern All Stars」に収録されると知って安堵したものだ。

こんなカッコイイ曲が未発表なんてもったいない。

 

 

偉大な愛を育てる為に

心を捧げます

この世界は急いで過ぎて行き

常に戦争もあれば憎しみも苦しみもある

こんな世の中で大きな愛の為に

あなたに身も心も捧げましょう





 

 

上記はスペイン語詞の訳だが、「男は大の字で行こう!」という生命保険のCMキャチコピーに呼応するかのような内容である。

 

 

作詞はLUIS SARTOR(ルイス・サルトール)というアルゼンチン出身のミュージシャンで、バックボーカルとしても参加している。間奏部分のコーラスは彼によるものだろう。

ルイスは「稲村ジェーン」、「マンボ」、「マリエル」の作詞も担当している。

作曲は桑田佳祐。

技巧的なアコースティックギターの演奏は小倉博和。

 

 

ロックがコンセプトだったKUWATA BAND、AORがコンセプトだったソロに続いて、サザンとしては「kamakura」以来、約4年半ぶりのアルバムである。

 

コンセプトがないことがコンセプトであるサザンのアルバムらしく、今回も実に多様な楽曲の詰め合わせとなったが、ここに来てついにスパニッシュを披露するに至った。

付け焼刃では決してなく、イントロから間奏、アウトロまで息もつかせぬ完成度である。

 

スペイン語で歌われているにも関わらず桑田のボーカルは気負いなく、サザンの他の楽曲、つまり日本語の楽曲と比べても遜色はない。ライブでも度々演奏されるが、違和感なく楽しむことができる。サザンの強固なオリジナリティが反映されている証拠である。

 

 

話は変わるが、このアルバム「Southern All Stars」がリリースされて間もない1990年の4月から、桑田はNHKミュージックスクエアというラジオ番組のDJをやっていた。

 

月曜から金曜の夜9時~10時30分、DJは日替わりで、桑田氏は火曜日の担当だった。

 

NHKなのでCMもなく、90分たっぷり桑田氏の音楽世界を楽しめた。

 

桑田氏の選曲によるナンバーが新旧を問わず流れ、さらにお気に入りバンドの曲ベスト3(例えばザ・バンド、ビリー・ジョエル、ラズベリーズ、はたまたホワイトアルバムのベスト3などがあった)や桑田氏が洋楽の歌詞を和訳した「訳詞のコーナー」もあり、彼の音楽的ルーツを知るには絶好の番組だった。

 

当時まだパブリックヘアが生えそろったばかりのガキだった私は、毎週火曜を楽しみにしていた。と言っても、夜遊びにふけり、帰宅が9時に間に合わず、途中から聴き始めたり、聴いている途中で寝てしまったりしたこともしょっちゅうだったが。

 

ちなみに、他の曜日も錚々たるメンツで月曜が渋谷陽一、水曜が永井真理子、木曜が布袋寅泰、金曜が中島みゆきだった。

 

そんなわけで火曜以外のDJもよく聴いた。渋谷氏はロック評論家らしく、最新の洋楽を紹介してくれたし、永井真理子は桑田の「遠い街角」を同番組で絶賛していたし、マニック・ストリート・プリーチャーズを知ったのは布袋氏がこの番組でかけてくれたからだし、その歌からは想像できない明るい人柄が中島みゆきのしゃべりから伝わってきた。

 

 

ある火曜日の夜、例によって夜おそく帰宅した私は、いそいそとラジオのスイッチを入れた。

 

すでにミュージックスクエアは始まっていて、流れてきたのはスペイン語の楽曲だった。桑田氏の曲ではない。海の向こうの誰かの曲である。

 

曲が終わった後、曲名、アーティスト名の紹介はなかった。ただ、桑田氏が「これはすごいことになっていますねえ」と絶賛していたのを覚えている。確かに格好いい曲だったという印象だけが今でもぼんやりと残っている。

 

曲情報を聴き逃した悔しさとともに、ああ桑田さんはいろんな曲を聴くんだなあ、とガキながら当たり前のことに感じ入ったことを今でも覚えている。