最後の近鉄戦士 近藤一樹選手とは?1411日ぶりに勝利投手となった男。 | ご存じ無いかもしれませんが、恋愛小説家です。

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テレビ番組の感想などをこそこそと書いております。

実話ナックルズ8月号に載った「アウト・ロー野球狂列伝」第23回のタイトルは「最後の近鉄戦士 近藤一樹」

 

2004年の6月に2リーグ制の日本プロ野球を1リーグ10球団とする構想が表面化しました。

この流れで、オリックス・ブルーウェーブと近鉄バファローズが球団統合となります。

 

 この時、近藤一樹選手は近鉄入団3年目。21歳です。

若手だった近藤さんは球団統合の意味とかはあまり考えず、どこかで野球できるかなぁくらいに思っていたそうです。

 

 そんな流れの中、当時ライブドアーの社長だった堀江貴文さんが新球団設立をぶち上げます。さらに楽天も新球団設立に名乗りを上げます。

当時の近鉄の選手はもし、ライブドアーが球団を持ったら、ライブドアーバッファローズになるのかなぁ?とか言っていたそうです。

 当時の選手たちは球団名が変わらうだけだろう?くらいにしか思っていなかったそうです。

 

近鉄とオリックスが統合されたものの、楽天が新球団を設立したために2リーグ制が維持されることになります。

でも近鉄球団は55年の歴史に幕を下ろし、近藤選手はオリックス・バファローズに所属することとなります。

 

近藤さんは日大三高出身。全国制覇した投手だそうです。

 

 近鉄は最初、ドラフトで近藤さんを指名すると言っていたのですが、2位指名が終了したくらいで、氏名ができないと日大三高の当時監督、小倉さんのところに連絡が来た。

 近鉄は当初、青山学院の石川雅規選手を指名する予定でしたが、石川選手がヤクルトを希望。

このことで近鉄は指名方針の転換することに。

ドラフト終盤、リストを確認してみると、まだ近藤さんが指名されていないことが分かる。近鉄はドラフト7巡目で近藤さんを指名する。

 近藤さんは近鉄でしたが、オリックスと統合されたために2チームの人間が一緒になって混乱したんじゃないかと思うところですが、オリックスの監督は元近鉄監督の仰木彬さんで、裏方も近鉄出身の人が多かったために特に混乱は無かったそうです。

 近鉄の人間が図々しく、オリックスの人は物静かな人が多かったのもスムーズに行ったところでは?と近藤さんは言われている。

近藤さんはプロ7年目で10勝すると、翌2009年は9勝をマークする。

が、11年目から4年連続でひじの手術を受けることとなり、もうダメかなぁという想いもあったそうです。

それでも、球団は面倒を見てくれたそうです。

2014年には支配下登録を外れて育成契約となります。が2015年に支配下に復帰すると7月12日の楽天戦で1411日ぶりの勝利投手となります。

 

 ずっと投げられなかったので、たとえ打たれても、ファーボールを与えたとしても数字が残ろうことが嬉しかったそうです。投げられるだけで、試合に出られるだけでうれしかったと。

 2016年、近藤さんはヤクルトにトレードされます。

近藤さんはロングの中継ぎとして、試合に出場するようになります。2018年には74試合に登板。35ホールドで、最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得します。実はこれがプロ17年目にして初のタイトルだったそうです。

2022年、近藤さんは現役を引退します。同時に同じヤクルトの坂口智隆さんも引退します。

これで近鉄に所属していた現役選手がいなくなってしまいました。