VRおじさんは、なぜVR空間を求めるのか?

・現実世界ではそう簡単には行けない美しい風景のある場所や楽しい場所に行けるから。

以下、現実世界のという前置きを省略すると、
・煩わしさから逃れ、一人になれるから。
・自分の時間を誰にも邪魔されることなく独り占めできるから。
 (一人になれるからと同じ)
・自分とは違う自分になれるから。
第1話から第6話まで観たところで私が思うのはそのあたりか。

・ほか、現実世界では失敗が許されずチャレンジできないことがVR空間で練習できるとか。
それは私がVR空間で試そうと思うことで、ドラマのVRおじさんは思い至ってないようだ。
これから先、あるかもしれないが。

・それから、現実世界では会えない人に会えるとか。
それは平野啓一郎の小説「本心」で描かれているアイデアだ。

 で、そろそろ、私の趣味「プチ歩き遍路」に触れると、VRおじさんが、なぜVR空間を求めるのかとなぜ「プチ歩き遍路」するかが似通っている。

 私の趣味「プチ歩き遍路」とは海沿いの遍路道を2,3時間かけて歩くことである。その間、瀬戸内の美しい風景、不思議な風景に出会う。たまにはお祭りの露店など楽しい場所にも立ち寄る。

 

瀬戸内の美しい風景

 

不思議な風景



 その間、私一人だ。誰にも邪魔されない。犬の散歩をしている人とすれ違ったりするが、煩わしさも感じない。

 「プチ歩き遍路」の時の私は普通の格好をしており、白装束でもなければコスプレでもない。でも、ひょっとしたら、犬の散歩をしている人は、すれ違うとき「何、この人、なんでこんなところを一人で歩いているの?ヘンな人」と思っているかもしれない。その時、私は普段、職場で仕事をしている自分とは違う自分になっているかもしれない。 

 ここまで書いて、私が言いたいことはこうだ。
私はVRおじさんのようにVRゴーグルこそつけてはないが、VR空間を現実世界で実現させている。
「プチ歩き遍路」はそれほど特殊なことだろうか。
多くの人が現実世界に居ながらVR空間に近い体験をしているのではないか。
そうと気づかず、それこそが真の現実だと思って。

ここで一旦終わり。

これ以下、書きすぎ。
次回に繋げるため、消さずに残しておく。

 では、我々が真の現実だと思っている現実世界に生きることと、現実世界に居ながらVR空間に近い体験をすること、ドラマで描かれるようなパソコンゲームとしてのVR空間は地続きで大きな違いはないとすれば、真の現実だと思って生きている現実世界の辛さや、パソコンVR空間で得られる楽しみを相殺させる、相互に行き来させるなどして、生き易くなる、生きるのが楽になるなんてことはできないだろうか。現実と仮想の相互交流だ。それは既に宗教がその役割を担ってきたのかもしれない。