8.残っている宿題は
 『レインマン』(以下(レ)と表記)を観て考えたこと、いよいよ大詰めとなりました。残る宿題は『幸福の黄色いハンカチ』(以下(黄)と表記)と比較して異なる点3つです。

 宿題4は(黄)では回想シーンが見られるが(レ)では見られない。特に勇作の回想シーンでは妻光枝が必ず登場し、「おかえり」という言葉をかけます。これは重要(前回のレポート◆おまけコラム参照)であり、勇作の気持ちを表現しています。

 一方、回想シーンを使わない(レ)ではどのような演出でレイモンドやチャーリーの内面が表現されているのか?ですね。

 宿題5は(黄)のラストシーンの後、真の恋人同士となった欽也と朱美のラブシーンがあるが、(レ)ではチャーリーとスザンナのそれはない。それぞれの恋人達にストーリーは何をもたらしたのか?これはこの映画そのものへの問いですね。

 宿題6は(黄)の歓喜に満ちたラストシーンと(レ)のちょっとさびしいけれど深みのあるラストシーン。その仕掛けにはどんなものがあるのか?です。

9.回想シーンはないけれど(宿題4)
 映画の回想シーンの役割はいろいろ考えられますが、素人なりに(黄)を観ていると登場人物の過去や気持ちを観客に説明している意味があるようです。

 (レ)ではチャーリー(自閉症の知識などない健常者)にとって突然現れたレイモンド(自閉症者)をよそ者、あるいはよくわからない者として描いているせいか、観客にも回想シーンを使って簡単にレイモンドの内面を説明しようとは敢えてしていないのではないかと私は考えます。


 ですが、自閉症者に感情や想いはないのかと言えばそんなことはないでしょう。それは回想シーンとは異なる映画の手法や演出を使って、あるいは俳優の演技そのもので表現されていると考えます。いくつか例をあげます。

 1つはストーリーの初めシンシナチのホテルでレイモンドがチャーリーとスザンナのラブシーンの邪魔をするシーンです。レイモンドは自分の部屋で一人、電話帳を読んでいますが、何やら音(声?)が聞こえてきます。

 それに気づいたレイモンドは見入っていた電話帳から顔をあげます。そして次のカットではレイモンドの部屋にあるスイッチの入っていないテレビの画面が映しだされます。そのカットによってレイモンドはテレビの音かと思ったけれどそうではない、はて?と思ったことが観客にわかります。その間、当然レイモンドに台詞はありません。

 観客は聞こえてくるその音(声?)が何を意味するかすぐわかるのですが(ただし大人なら!?)、わざわざ何も映ってないテレビ画面のカットを見せるという映画の手法を使ってレイモンドがどう思ったかを表現しています。
 
 2つはこの映画の最大の見せ場とも言えるラスベガスの夜のシーンにあります。レイモンドはカジノのバーで知り合った女性とデートするためにホテルのスイートルームでチャーリーからダンスを教わり、約束の時間を待ちます。

 その間、レイモンドがいつも手放さないポータブルテレビではタップダンスを踊る男性が映っていて、レイモンドは無表情でそれをじっと見つめています。にもかかわらず「タッカ、タッカ、タッカ、タッカ」というタップのリズムはデートを前にして期待と緊張の入り混じったレイモンドの胸の高まりを表現していると思われます。

 しかし、このデート、約束の時間になっても女性は現れませんでした。レイモンドはスザンナといっしょに部屋に戻ろうとエレベーターに乗ります(スザンナはシンシナチの夜以来、彼らと別れていたが、このときは戻ってきていた)。

 エレベーターの中でスザンナは、がっかりしている(であろう)レイモンドに優しく声をかけ、二人はダンスを踊ります。ここも見せ場の一つです。このシーンではポータブルテレビに映っているのは男女がチークダンスを踊る番組です。

 スザンナによってエレベーターの床に置かれたポータブルテレビから流れてくる曲にのってのダンス。そして二人のキス。レイモンドは相変わらず表情に乏しいのですが、その目はキョロキョロと天井を見たりで。

 観客は温かな優しさのなかでレイモンド演じるダスティン・ホフマンのコミカルな演技にプッと吹き出しそうになりながら、この二人が結ばれることは絶対にないという切なさも覚えます。

 このように回想シーンを使わずとも、映画の手法、演出、俳優の演技で登場人物の気持ちを表現し観客に感動を与えることができるのです。(つづく。次回は最終回)

【これは私(竹藪みかん)が2014年2月ごろに書いたものです。】