岡田憲治著「デモクラシーは、仁義である」の第3章までを読んで、
私の心を掴んだところを挙げ、簡単にコメントする。
以下の見出しは、私がつけたもの。太字部分が引用

1.職場の荒んだ気持ちを拾い上げ言葉にする

  (「デモクラシーは、仁義である」P.171)
  自分と社会の関係についての態度が、もっと荒んでしまうと、
  「もうどうでもいいんだよ」という気持ちを生みます。(中略)
  そうなったら、「弱く無力な俺たちが失敗を繰り返しながらも協力し合い、
  なんとか人生を全うできる世界を維持する」という、基本の仕事を
  果たす気力が失われてしまいます。


  一般の職場でも、職場の人たちの荒んだ気持ちをほうっておいてはいけない。
  誰かがその荒んだ気持ちに気がついている、拾い上げようとしている、
  ということを言葉で示すだけでも違う。
  今、こんなことが起こっているんですよと。

 
  そうすれば、行動も伴ってくるのでは。
  そして、いつかはこの職場も変わるという希望が。。。

2.職場のセーフティー・ネットは何か?

  (P.173)
  いわゆるセーフティー・ネットというものは、そういう個人の力ではどうする
  こともできない事態に陥っても、そのまま下降させずにネットに引っ掛けて保護

     をする、そして、その苦境をやり過ごす時間的、金銭的、精神的機会を提供する

     ものです。
  それは「弱者を救え!」という道義的問題というよりも、むしろ「どうにもなら

      なかった時、僕はこの社会にチャンスをもらった」という被承認感と、
  「だからそれに対する恩返しとして、この社会を維持し守るために協力しよう」

      という、社会「を」承認する関係をギリギリで維持するために不可欠なもので

       す。

  一般の職場でこのセーフティー・ネットにあたるものは何だろうか。
  まとまった制度でなくてもいい。
  今、私はうつ状態で休職中(有給休暇)となっているが、
  これは苦境をやり過ごす時間的、金銭的機会
と言える。
  時々、職場の人とメールでやり取りしているが、それはインフォーマルである

      が、苦境をやり過ごす精神的機会になっている。

  このような有給休暇が取れない場合は、どうすればよいだろう。
  それでも、私の例を基に苦境をやり過ごす時間的、金銭的、精神的機会は、
  何かを考えれば、職場のセーフティー・ネットにあたるものを手さぐりでも
  創出できるかもしれない。
  新たな制度を設けるのが大変であれば、そうやってブリコラージュしてみる。

  それと、そういう状況にある私は、なんとしてでも復職し、
  「どうにもならなかった時、僕はこの職場にチャンスをもらった」という

      被承認感を得たい。
  そして、「だからそれに対する恩返しとして、この職場を維持し守るために協力

      しよう」としたい。