こんにちは、武谷勝法です。
日常の中にある心理について、少しずつ書いています。
SNSなどを見ていると、「承認欲求が強い」という言葉をかなり頻繁に見かけます。
少し目立つ発言をしただけで「承認欲求すごいな」と言われることもありますし、逆に、自分自身が「こんなこと投稿するのは承認欲求なのかな」と気にしてしまう場面もあります。
ただ、心理学的に見ると、承認欲求そのものは決して特別なものではありません。むしろ、人にとってかなり自然な欲求です。
今回は、「承認欲求=悪」という空気がなぜ生まれるのかも含めて整理してみます。
承認欲求とは何か
承認欲求とは、簡単に言えば「認められたい」という気持ちです。
・頑張ったことを評価してほしい
・人から必要とされたい
・存在を無視されたくない
こうした感情は、多くの人が持っています。
心理学では、アメリカの心理学者アブラハム・マズローが提唱した「欲求段階説」でも、承認欲求は人間の基本的な欲求のひとつとして扱われています。
つまり、本来はかなり普遍的な感情です。
なぜ「悪いもの」扱いされるのか
では、なぜここまでネガティブに扱われるのか。
理由のひとつは、「見えやすくなった」からだと思います。
SNSでは、数字が非常に分かりやすく表示されます。
いいね数、再生回数、フォロワー数など、人からどう見られているかが可視化される環境です。
すると、人は無意識に「評価されているか」を気にしやすくなります。
そして、その様子が露骨に見えると、周囲は「承認欲求が強い」と感じるようになります。
ただ、本質的には、多くの人が同じものを持っています。違うのは“出し方”や“見え方”だけです。
承認欲求があるから頑張れる部分もある
承認欲求というと、どうしても「他人に依存している」というイメージで語られがちです。
もちろん、他人からの評価だけで行動する状態になると苦しくなります。
ただ一方で、「認められたい」という気持ちが行動のエネルギーになっている場面もかなり多いです。
例えば、
- 仕事で成果を出したい
- 誰かに褒められたい
- 良い作品を作りたい
- 必要とされたい
こうした動機は、完全に承認欲求と切り離せるものではありません。
実際、人は“誰にも認識されない状態”ではモチベーションを維持しにくい生き物です。
だからこそ、承認欲求をゼロにする必要はありません。
苦しくなるのは「比較」が始まったとき
問題になりやすいのは、承認欲求そのものより、「他人との比較」が強くなったときです。
SNSを見ていると、
- あの人の方が評価されている
- 自分は反応が少ない
- 自分には価値がないのでは
と考え始めてしまうことがあります。
本来は「認められたい」という自然な感情だったものが、他人との順位争いに変わってしまうと、一気に苦しくなります。
承認欲求が悪いというより、“比較によって終わりがなくなること”が問題なのかもしれません。
まとめ
承認欲求は、人にとってかなり自然な感情です。
誰かに認められたい、必要とされたいと思うこと自体は、決して不自然ではありません。
むしろ、それがあるから努力したり、何かを続けられる部分もあります。
大事なのは、「他人からどう見られるか」だけで自分を判断しすぎないこと。
承認欲求を否定するより、「どう付き合うか」を考えるほうが、現実的なのかもしれません。
