★昭和天皇と南方熊楠…昭和の日に偲ぶ

今日は昭和の日。
幽斎にて、昭和天皇祭、執行。

私の祖父は帝国陸軍中佐。
昭和天皇に仕えた。

立川市にある昭和記念公園は、
実は<昭和神宮>になる
予定だった。

昭和天皇は植物を愛していた。
私が一番好きな言葉は、
「雑草という草はない」である。

昭和天皇は、粘菌学者である。
ヒドラの研究をしていた。

たまには学問の話がしたいと昭和天皇が言うと、
側近が東大教授の名を告げ、お呼びしますかと尋ねると、
「いや、粘菌の話をして、
私が一番楽しいのは、南方熊楠だろう。」といった。

「では、南方先生をお呼びしましょう」、というと、
「南方は確か、和歌山県知事に
ゲロをはいて牢屋にいるはずだが」と天皇は答えた。

南方は、粘菌を牢屋で2種類発見、
学術誌「ネイチャー」にも発表している人物である。

大英博物館で唯一暴力事件を起こしたときは、
女王陛下自らが原因を追究。
結果、有色人種を差別した
博物館員が原因と判明した。

女王陛下は「南方は悪くない」と判断、
南方に博物館に戻るようにいったが、
南方はこれを拒否。
そして帰国の途に就いた。

南方が日本に帰る途中にすれ違った船に、
東京大学の同期、夏目漱石が乗っていた。
漱石はイギリスに向かっていた。

南方熊楠は、上の命令には従わない男である。
しかし、南方に会いたかった昭和天皇は、
侍従を使い、「南方先生に会えるなら会いたい、と
私(昭和天皇)が言っていた」と和歌山県知事に伝えた。
(ちなみに、和歌山県知事はゲロを吐かれた当人である)

南方と交流のある貴族院書記官長、
柳田国男(民俗学者)の情報もある。

昭和天皇は南方に会えるという連絡を聞き、
なんと、連合艦隊旗艦・長門で
和歌山へ向かった。
つまり、天皇が自ら向かったのだ。

天皇に献上する標本は、
本来<桐の箱>に入れて献上すべきところであるが、
南方は<キャラメルの箱>を新聞紙に包んで渡した。
しかし、天皇は大変喜んだ。

天皇の書斎・御文庫で
一番大切なところにあるものは、
乃木希典からもらった『中朝事実』と
南方熊楠からもらった標本であった。

終戦の日、皇居内でクーデターが起こった。
その時、昭和天皇がたてこもったのが、
自らの書斎・御文庫である。

戦後、昭和天皇は、南方にかつて会った
和歌山県神島に向かった。

そこには、神島の自然を守ろうと
国家権力と戦った南方熊楠の石碑がある。

その横に、実はもう一つ石碑がある。

あめにけぶる かしまをみると 
きいのくにのうみし 
みなかたくまぐすをおもふ

これは、昭和天皇の歌である。
国家権力と戦った男が、
国家権力の最高権力者に
偲ばれているのだ。

自然を愛し、日本を愛したこの人を
知ることが出来て、
私はうれしいと思う。

歴代天皇125代の中で、
フルネームが読まれたのは、
南方熊楠のみである。

昭和の日に私はそのことを想う。