2017/8/19日曜日
日本の歴史を考える会八女古墳群研究会
10:00拙宅集合、R3、セブンイレブン福津若木台店で諸々調達。
R3、流交差点左折、K35、古賀IC、九州道、鳥栖JCT直進、広川IC、出口左折、工業団地右折、R3、福島高校前右折、八女市岩戸山歴史文化交流館いわいの郷。
北部九州最大の前方後円墳である「岩戸山古墳」5世紀、今から1500年前、この巨大な古墳を築いたのは八女を拠点として活躍した古代九州の大豪族「筑紫君磐井(つくしのきみいわい)」と言われている。
石人山(せきじんさん)古墳・・・磐井の祖父の墓
岩戸山古墳・・・磐井が生前築いた自分の墓、継体天皇200m、筑紫君磐井170mであって、継体天皇、大王(おおきみ)に匹敵する巨大な前方後円墳。
磐井(いわい)は海路、筑後川・有明海を通じて大陸と交流していた。百済(くだら)と深かい関係を持っていたヤマト王権と違い、磐井は新羅(しらぎ)との独自交流ルートを持っていた。やがて朝鮮半島を統一する黄金文化華やかな新羅との間を独自に堂々と行き来したと考えられる。
磐井をはじめ北部九州の豪族達は、弥生時代から海を制し、大陸の中国や朝鮮半島と交流していた。高度な文化を大陸との交流により得ていた事は、ヤマト王権に比べ有利な地の利を活かしたものだった。ポイントは、船師(ふなし)、造船技術、航海技術を手に目の前の有明海から大海に出て行った。
西暦527年、古代史上の大事件「磐井の乱」で、磐井はヤマト王権の継体天皇に敗北。朝鮮半島西南部の百済を助ける為、ヤマト王権が大きな軍事的負担を強要した事に強い不満を持った九州の豪族達が筑紫君磐井を盟主として起こした反乱。視点を変えて考えると、ヤマト王権からの圧力に耐えかねた磐井を中心とした豪族達が、自らの権益を守りヤマト王権からの独立を目指した独立戦争とも考えるられる。「磐井の戦」と言うことが正しいのかもしれない。
古事記や日本書紀には、磐井は天皇の命令に従わない悪者として記載されているが、反面では八女の地を守り、九州を守ろうとした磐井は郷土の英雄だと思いたい。
R3、てうち庵でアナゴごはん定食680円、満腹。
R3、R442、日向神(ひゅうがみ)ダム湖で休憩、矢部中学校左折、K57、八女津媛(やめつひめ)神社⛩
矢部村八女津媛(やめつひめ)浮立館(ふりゅうかん)、八女津媛神社の歴史や大祭の様子を見学した。
K57、K52、狭い林道クラスの道路だった。高木茶園「はないかだ」、濃厚あまおうみるくのカキ氷600円、美味かった。あまおうは地元星野村産のあまおうを贅沢に使っている。
星の文化館、時間が合わずプラネタリウム見学は出来なかった。三野連山を見渡せる広大な景色。
K52、K84、広川IC、九州道、鳥栖JCT直進、基山PAで休憩、古賀IC、K35、R3、K97、宗像市役所前の「かのこゆり」で夕食、海鮮ひつまぶし、最後に海鮮ひつまぶしをお茶漬けで頂いた。予約していなかったが、お食事出来た。
拙宅で解散。走行距離269km。
はないかだ
濃厚あまおうみるく
権現杉