5/21日曜日は、綾杉ルナさんの歴史カフェ、古賀駅前のオーガニック広場ひふみで、10:30-12:30開催。
本日は、高良玉垂宮神秘書ー玉垂命と神功皇后ーのお話し。
福岡県久留米市の高良大社(こおらたいしゃ、高良玉垂宮・こおらたまたれぐう)に伝わる「高良玉垂宮神秘書」を読み解きしていくお話し。
玉垂命(たまたれのみこと)は、アントンイソラ(安曇磯良・あずみいそら)の事であるが、白村江の戦い後は武内宿禰(たけうちすくね)に変わっていく。
同書は、高良大社で10000円で販売されているそうだが、文盲者の為にカタカナ書きで書かれており、難解を極めている。
筆者は、系図に無い人物である大祝職 物部神津麿尊保房(おおほおりしょく・もののべのこうづまろのみこと・やすふさ)である。天地開闢から未来までを伝えている秘書である。
15代神功天皇(じんぐうてんのう・江戸期迄は天皇、明治以降神功皇后とされた、武士からの信仰が厚かった神功天皇を、明治維新の王政復古により天皇の権威を高める為に排除させる事を目的とした)が朝鮮半島の新羅の役後、玉垂命と神功皇后が高良山着御、高良大社に祀られた起源としている。三種の神器、勾玉(まがたま)をアントンイソラ(安曇磯良・あずみいそら)、劔(つるぎ)を神功皇后、鏡を武内宿禰がそれぞれ預かった経緯である。
高良大社は、上宮に玉垂命、下宮に武内宿禰が祀られていたが、白村江の戦い後は上宮下宮共に武内宿禰が祭神とされた。
白村江の戦いで、唐新羅連合軍に敗戦、安曇(あずみ)族の凋落、ユダヤ出身の物部(もののべ)氏の時代となったようだ。
玉垂命と高良神は別神であるが、この時高良大菩薩(こおらだいぼさつ)に集約されたようだ。神仏習合の始まりである。我が国では古来から万物に神が宿っていると言う神道の国に、大陸伝来の仏教が入って来たので神道習合の形態として共存共栄の道を歩むこととなった。
武内宿禰の妻は、仲哀(ちゅうあい)天皇の妃である神功皇后の妹 の豊姫(とよひめ)であった事、武運の誉れ高く神功皇后の信頼が高く、当時の権力の中枢であった。
神功皇后は、仲哀天皇との間にお子が4人、安曇磯良(あずみいそら・底筒男・そこつつお・高良大菩薩・こおらだいぼさつ)の間にお子が5名、合わせて九躰(くたい)の皇子であったらしいが、第1子の斯礼賀志ノ命神(しれがしのみことかみ)が嫡男となる筈であるが、応神(おうじん)天皇は仲哀(ちゅうあい)天皇の最後の子であり第4子の渕志命の神が該当する。
系図では、神武(じんむ)天皇の父君ウガヤフキアエズ(住吉大明神)のお子住吉五神の1人が表筒男(おもてつつお)日神・玄孫(げんそん)大臣・武内宿禰・天照大神のひ孫。
住吉五神として、中筒男(なかつつお・初代神武天皇)、底筒男(そこつつお・月讀・高良大菩薩・太政大臣)、表津少童、中津少童。
高良大菩薩は、結界(けっかい)として「八葉の石畳」を一夜で作ったお話しや神籠石・馬蹄席のお話しなど興味深いお話しを聴くことができた。
参加者の方に久保氏という方がおられたが、自分の持っている龍のネックレスと同じデザインのブレスレットをされていたので、お互いにビックリして歴史のお話しをさせて頂き貴重な時間を過ごすことができた。
現代にこの歴史を当てはめて見ると北朝鮮のミサイル発射が行われようとして、朝鮮半島からの難民が我が国に押し寄せて来そうな状況であり、この歴史を教訓として、我が国の国民の安寧と安全を確保することが大切であると思う。
