今日1/22日曜日は、妻と2人で福津のイオンのTOHOシネマズ福津で映画「沈黙ーサイレンスー」鑑賞して来ました。
狐狸庵先生こと遠藤周作氏の17世紀の切支丹弾圧を描いた歴史小説の映画化作品。
我が国は、古代から自然そのものに神が宿っているという風土を持っており、宗教学的には多神教、反してキリスト教はイエス・キリスト1人に十字架を背負わせて神と交わした戒律に従うと言う宗教であると私は思っている。
キリスト教は、敬虔なクリスチャンも多数おられると思うが、日本人の風土にはなかなか受け入れ難い宗教なのかもしれない。
カトリック教会がオランダ・スペイン・ポルトガル・イギリス等西欧諸国からの植民地政策の先遣隊的な役割を担わされていると秀吉公や家康公に見破られ、キリスト教禁教による切支丹弾圧の中、隠れキリシタンや宣教師達を迫害した史実を小説にした「沈黙」(同名)の映画化作品である。
なかなか見応えが有って読み応えのある作品である。
迫害を受けて神に祈りを捧げるが、「それでも主は沈黙なされるのか」と言う宗教的な一言も有って考えさせられる小説であり映画でもある。
日本の歴史を考える会でも、隠れキリシタン研究会として、天草、島原、長崎、外海、平戸、生月、五島、国東、英彦山の各地の隠れキリシタンの視察を行い、今では隠れる必要が無いにも関わらず、いまだに隠れキリシタンの教義を守り、屋根裏等に隠れて神への祈りを捧げておられる「隠れキリシタン」と言う方々が現存されるようだ。その隠れキリシタンの教義は、真のカトリックの教義とは大きく異なって土着宗教的な教義へと変貌しているようだ。同一の教義を信仰している方々は当然現存のカトリック教会の信者となる訳であって変貌している事は当然の帰結となる。
