当たり前にそこにいて、

いつでも会えることは幸せなこと。

 

 

 

井上小百合が乃木坂に在籍していて、

握手会というイベントにいけば井上小百合がいて、

当たり前に握手できるということは

 

決して当たり前ではなく、幸せなことなんだ。

 

だから一回一回の握手を大切にしていきたい

 

 

 

このブログで、

ずっとこう言ってきました。

 

※画像は2017年10月のブログより

 

 

 

どんどん乃木坂のメンバーも卒業を発表し、

いつかは自分の推しもその時を迎えるのであろう。

 

その瞬間は一体どんな気持ちなんだろうか。

 

 

 

ずっと思い描いていました。

 

 

そして、10月5日21時。

 

 
 
 
その時がきた。
 
 
 
 
 
 
 
不思議と涙は出なかった。

 

すんなり受け入れた自分がいた。

 

 

 

 

 

もしこの時間、

「パチンコやってたー」とかだったら悲しいじゃないですか

 

寝てて数時間遅れでとかでもないし

 

 

リアルタイムで、

しかも乃木坂ファンの友達と二人で飲んでいる最中でした。

 

 

この瞬間を乃木坂仲間とともに

リアルタイムで体験できたことを幸せに思います。

 

 

 

 

 

すんなり受け入れられたこと、

はそうだなぁ。

 

ずっとともに歩んできたと思っているので、

さゆの考える時期というのも、ほんの少し分かったりして

 

 

 

 

こないだの握手会で、

さゆブログのタイトル「、」について話したと思います。
 

 

 

 

この話をした時のさゆの顔をみて

自分の中で察しはついていたんだと思います。

 

だからすんなり理解できたんだと。

 

 

 

 

文章を「、」で区切るということは、

その先に「。」があるということ

 

 

 

この握手のあと、レポで

「もしかしたらこれが
井上小百合最後の個別握手会になってしまう可能性もあります。」

 

と自分が感じたままを書いてあります。

 

 

 

 

 

ということでですね、

井上小百合さん。

 

本当に最後の個別だったことにはしないで欲しいんですよね。

 

あと一回、個別握手会出てくれませんか。

 

 

やり残したことがあります。

 

 

 

 

それは

井上小百合卒業企画実行委員会の発足です。

 

卒業セレモニーを作らせてください。

 

 

確かに自分は生誕委員を卒業しました。

 

 

 

生誕をやっているときからずっと、

いつかここも卒業企画実行委員会になるんだろうか

 

と考えていた。

 

 

 

 

握手会というイベントの中で最も大きなコンテンツ。

 

生誕祭。

そして卒業セレモニー。

 

 

そこまでやらないと

自分の乃木坂人生も終わらない。

 

 

さゆは今前向きな気持ちだろうけど、

オレももっと前向きな気持ちですよ。

 

 

 

こんな自分を

支持してくれる人たちの話をします

 

 

 

もちろん今までのことを自分一人でなんて

やってこれなかった。

 

自分の案を支持してくれて、

手伝ってくれて、

 

みんなで作り上げてきた。

 

 

井上小百合という人がばらばらだったファンを繋ぎ、

そのファン同士がまた新たなファンを繋ぐ。

 

 

そういう“存在”が大事であると何度も言ってきたし、

これから先も変わることがない。

 

 

 

井上小百合という一つの“存在”が、

 

みんなの“えがお”を増やした。

 

 

“感謝”することの大切さを教えてくれた

 

 

投げかけてくる“言葉”の意味を知った。

 

 

 

 

2011年。

まだアイドルになったばかりの井上小百合は

こういう“言葉”を発した。

 

2011年12月15日ヽ(。・ω・。)伝えたいこと

 

 

 

 

2013年12月14日ヽ(。・ω ・。)意 味を探している

 

 

 

 

 

そして

2019年10月5日 。

 

 

乃木坂46というグループの中から

井上小百合という存在に出会えたこと

 

 

さゆはファンの人たちの存在を大切に思ってくれている。

そしてファンもさゆの存在を大切に思っている。

 

 

浅い関係では成り立たない、

お互いの存在の大切さ

 

 

乃木坂としてラストになる

井上小百合卒業企画実行委員会のテーマは

 

「存在」以外にありえません。