①の続きです☆
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バラエティ番組がコント中心の構成からドキュメンタリー風の要素が入ってくるようになった変化や、生放送の情報番組の増加傾向なども、さまざまな競争の中でTVというメディアの特質がより露わになってきた結果と考えられる。
ところが、アニメはこうしたライブ性から遠い媒体だ。制作時間はドラマと比しても長いし、なにしろ絵であるから、今目の前で事件が起きている印象は弱い。さらに’90年代半ばから、パッケージ販売のビジネスが拡大し「作品としてのまとまり感」が「商品としての魅力」に直結するようになったことと、TV局(の特に編成)主導の色合いが弱まったこともあって「番組」としての魅力をどう追求するか、という課題は後に下がることになった。
TV番組全体がライブ性を増していく中にあって、アニメはそこから遠いところに位置せざるをえなくなっていた。
そういう状況の中にあって、果敢に「番組」としての魅力にアプローチし続けたのが『銀魂』だった。
もちろんアニメだからライブというわけにはいかない。だが、番組フォーマットを内容に応じて自在に変更したり、漫画の「柱」に相当するような内容のメッセージを提供の画面にのせるなど、番組の“外枠”に手を加えることで「事前に決められた内容をいつも通り流す番組ではありませんよ」という演出が強烈にほどこされている。
ちなみに、提供にメッセージを載せる作業は、ビデオ編集といってTV局に映像を納品するための最終工程で行われるので、一番ライブ感が出せるポイントだ。
内容に目を転じれば「番組」としてのライブ感を強く実感させたのは、音楽の使い方だ。
『銀魂』では、『西遊記』のパロディ画面にはゴダイゴの歌が流れ、『天空の城ラピュタ』のパロディには久石譲が流れる。そういう音楽の使い方が当たり前になされていた。これはTV局がJASRACと包括契約を結んでおり、放送の範囲においては、JASRAC登録曲を自由に放送することができるというルールに従ったものだ。
当然ながらそうした楽曲をそのままDVDにするわけにはいかない。パッケージソフトされる場合には、パロディ感を損なわないように既存曲に“よく似た楽曲”が使われるようになる場合が大半だ。
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③に続きます☆