画像はスイス:ルツェルンにあるライオンの像で、
グレイシャー・ガーデンの切り立った崖に彫られたものです。
ライオンが横たわるくぼみの上には
“Helvetiorum Fidei ac Virtuti”
(スイス人の忠誠心と勇気を称えて)
と刻まれています。





14世紀のスイスは国土の大半が山岳地帯で農作物があまりとれず
めぼしい産業がありませんでした。
そこで重要になったのが傭兵派遣です。
傭兵とは雇用主と直接雇用関係を結び、
直接には自国と利害関係のない地域で戦闘に参加する兵をいいます。
1927年に自国民の外国軍への参加を禁止するまで
ヨーロッパ全土への傭兵輸出は続きました。
(現在もローマ法王の警察任務につく
バチカン市国のスイス衛兵は例外として存在しています。)


このライオンの像は、そのようなスイス傭兵の
史実を映しています。


フランス革命中の1792年、700名を超えるスイス傭兵が
テュイルリー宮殿でルイ16世とマリー・アントワネット、
その子供たちを守って命を落としました。


王は傭兵たちに撤退するよう命じましたが、
傭兵たちは自らの立場が明らかになるまで
命を惜しまず闘い続けました。
降伏後に無抵抗のまま虐殺された者、
獄死した者もいました。


この事実を知った傭兵軍の将校、
カール・ファイファー・フォン・アルティスホーフェンは、
彼らの壮絶な死を追悼するために、
「瀕死のライオン」として1820~21年に彫らせたのです。


ライオンは瀕死の状態で横たわり、頭を垂れ、
肩には折れた槍が刺さり、フランス王家の紋章である
フルール・ド・リスをあしらった盾を足でかばっています。


崖の下には命を落とした者と生き残った者
それぞれの名前が刻まれています。






とても哀愁を帯びた像ですが、
傭兵輸出以外に主な産業がなかった小国の事情とは別に
「雇用主を守り抜く」
という強い意思が伝わってきます。


私はこの像を見る度に勇気を得ています。


八千代市の明日のために、一歩でも前へ。


日々、政務活動に議員活動にいそしんでいます。