明日、10月21日は出陣学徒壮行会から71年を迎えます。

まるで明日を予感するかのように、

八千代市では夕方から冷たい雨が降っています。

71年前の壮行会当日も、冷たい降雨に見舞われていました。


出陣学徒壮行会、とは、1943年(昭和18年)10月21日、

東京の明治神宮外苑競技場で

文部省学校報国団本部の主催によって開かれた式典です。

東條英機首相、岡部長景文相らの出席のもと

関東地方の入隊学生を中心に7万人(77校)が集まりました。


同時期、それまで兵役法で認められていた徴集延期の制度が廃止され、

20歳以上の文科系

(および農学部農業経済学科などの一部の理系学部)

の学生を在学途中で徴兵し出征させたのです。


対象となったのは日本国内の学生だけでなく、

当時日本国籍であった台湾人や朝鮮人、

満州国や日本軍占領地、日系二世の学生も対象とされました。

この学徒出陣によって陸海軍合わせて約10万の学徒兵が

戦地に赴くことになったと言われていますが

資料に乏しく、実際の人数は未だにはっきりしません。


さて各大学では神宮の壮行会に先立ち

独自で壮行会を挙行しました。

私の母校:法政大学も、その例外ではありません。

※画像は1943年10月15日に行われた法政大学壮行会です。




法政大学からは約870人が学徒出陣し、

戦死届けがあったのは24名のみです。

その後追跡調査により戦後復学しなかった146人のうち

35人の戦死が判明していますが、他は不明です。

法政大学では2012年から6ヶ年計画として

出陣学徒について他大学と連携し、再調査を実施しています。


なぜ今、再調査なのか。


それは戦没者の名簿だけではなく

学徒兵が具体的にどのような任務につき、

(またなぜその配属だったのか)

その後どうなったのか、

若い世代にきちんと伝える必要があるからです。


「なぜ」「どのように」

が極めて重要です。

乏しい資料の中で約70年の歴史のひもをとくのは

容易ではありませんが

時代が時代なら法学専攻だった私も

画像の行進の中にいます。

ですから、決して昔のこととして処理できないのです。


今年もこの再調査について母校を訪問予定ですが

今宵は中央大学の学生歌:惜別の歌

を歌ってから床につきます。


ご参考:「惜別の歌」

http://www.interq.or.jp/classic/jupiter/sekibetsu/