何かと観光資源に乏しい八千代市ですが、

実は、1492年(明応元年、戦国時代)に建立

された歴史的建造物があります。


それが、高津比咩(ヒメ)神社(旧社格:村社、

鎮座地 千葉県八千代市高津字宮前

貳百九拾四番地 現 高津294)です。


藤原時平の娘・高津姫が祀られています。

菅原道真を追放したたたりで時平の妻と

第五息女(=高津姫)は

都落ちになってしまいますが、東下りの末、高津に

落ち着いたとされています。

復縁のご利益があります。



なお、八千代市指定文化財にも指定される毎年1月20日

に「甲乙ム」と描かれた的に弓を射るハツカビシャ

やオビシャ(弓神事)が、八千代台西(旧高津新田)

市民の森内の諏訪神社で行われるカラスビシャ

とともに有名です。


そんな、高津姫がこの神社にまつられるようになった

のは一体どうしてなのでしょう。

続いてはこの高津姫の歴史をみていきます。





名前の由来にもなっているこの神社の由緒は古く、

平安時代にまでさかのぼります。

その昔、藤原時平は平安初期の公卿で901年に

菅原道真を太宰権師に左遷し、藤原氏の地位を

確保しましたが、道真を追放したことにより次々

と親族(7人)が亡くなってしまったため、時平の

奥方とその娘の高津姫は大阪から船出し、人を

たよって下総久々田(津田沼海岸附近)に上陸し、

三山町に落ちつき道真の霊を弔いました。


高津姫は当地で一生を終えました。

高津姫たちが、なぜ当地へ移ってきたかは不明ですが、

時平の荘園が存在したと考えられています。

 

当社でまつられている祭神は「激流の女性」を表す

多岐都比賣命(タキツヒメノミコト)で天照大神と素盞雄命

の誓約で、素盞雄命の剣から生まれた宗像三女神の一神で、

三女神とも航海・交通安全の神とされています。


また、550年以上の歴史があり、千葉県の無形民俗文化財に

指定されている「下総三山の七年祭り」があります。

船橋市、習志野市、八千代市、千葉市の9神社の神輿が

二宮神社境内に訪れます。

船橋市三山にある下総二宮神社(父)を中心として丑年と未年に

開催される大祭で八千代市からは大和田時平神社(長男)と高津ヒメ

神社(娘)から山車と神輿が繰り出され、時平が合祀される二宮神社

に参詣することで、時平一家参集となります。


実は、この高津比咩(ヒメ)神社の神主さんは私のハトコです。

よく、似てると言われます。


500年以上に渡り、代々、この地を守ってきた血筋と現代社会

の新しい発想と感覚でこれからの八千代の発展を担っていきます。