ではチャンドラ。

五蘊について解かったことを

聞かせてくれないかな。



はい。おじ様。

五蘊には様々な解釈があって


・人間を人間たらしめる5つの要素

・私の観ずる宇宙全部

・生きとし生けるものがそれぞれに観ずる宇宙全部、の全部

・生きとし生けるものと、そのグループ分けの可能性の

 それぞれがそれぞれに観ずる宇宙全部、の全部


などと、考えることが出来ます。



ふむ。なるほど。



でも、まって。

どの解釈が正しいの?



ふふふふ。

どれが正しいと思う?



え。。。

なんか、最後の解釈とか凄すぎて

カッコいいと言うか、正しいのかなぁ?



格好はどうでもよろしい。

どれが正しいのかな?

「五蘊」と聞いたときに

チャンドラはどれを思い浮かべるのが

正しいのかな?



あ。。。


わかった!


「五蘊」と聞いたときに

発言した相手の「五蘊の解釈」を

私が思い浮かべること。

それが「正しい」。


だから、えーと、、、

発言した人がいたならば、

その発言をした人は何らかの解釈をしていたわけ。

私は、

「解釈はいろいろあるけど、今回はどの解釈だろう」

と考えて、選んだ解釈が、

相手の解釈とピタッと合っていればそれが「正しい」。


つまり、解釈をする人がいてこそ、

解釈のどの選択が「正しい」と言えるのであって、

解釈したという相手がいないのに

前もって選択しておくといういうことは、、、

できない。

というか、、、

前もって「私の解釈を選択しておくこと」は

正しくはないし、誤っているとも言えないの。

上手く言えないけど、

正しいとか、誤ってるとか、そんな次元の話しじゃないの。



これがおじ様が問われた

「どれが正しいと思う?」

いや、「どれを選択するのが正しいと思う?」

の答え。


それでね、それでね、

これと分けて考えなきゃいけなかったのが、

「それぞれの解釈は正しいの?」

ということだったの。


つまりね、

一つ一つの解釈はそれぞれ正しいんですか?

そして、私はどの解釈を選択すればいいんですか?


という疑問がごっちゃになっていたの。


でも、おじ様がお話ししてくれた解釈だから

間違っていないでしょ。


そして、どの解釈を選択するかっていうのは、

その時にならないと選択できない。


つまり!


「どの解釈が正しいの?」


という疑問は、何の意味もなさない疑問だったわけ!



そうだ!

よくぞ答えた!


チャンドラよ。

核心を吟味して質問することを心がけるように。

曖昧な疑問には答えることが出来ないばかりか、

その答えを聞いても、

結局曖昧な理解しかできないものなのだ。


このことは心に留めておかねばならない。


ところで、、、チャンドラはこう言ったな?

「解釈する者を離れては、

 解釈の選択は正しくなく、そして誤りではない」


これはどういうことか?



えっと。

そうそう、そこが気持ちが悪かったところなの。

うん。

おじ様。じっくり考えてみたいの。

家で一晩考えてみる。



そうだな。だいぶ遅くなってきたものな。


そうだ。チャンドラ。

考えが行き詰ったら、悶々とした顔をしないで

ニコッと笑うといいぞ。

何か思いつくかもしれない。

これは私が使うオマジナイなのだがな。。。