水海道八幡神社に行きました〜




戦国時代(1493〜1591年)に水海道城主の田村弾正が守護神としてお祀りしたのが始まりです。

田村弾正は、現・水海道橋本町字御城あたりに居城を構えていました。
領域の安寧と一族郎党の武運長久を願い、社殿も同地に造営されました。
八幡神はふるくかは鬼門封じとしても信仰されていたため、居城の鬼門もしくは裏鬼門の方位に鎮座していたと考えられます。

城主が滅亡してからは、居城とともに荒廃したとされます。

創祀について特筆すべきは、豊前宇佐宮(大分県・宇佐神宮)から御神霊を直接分祀したといわれていることです。

関東近隣の八幡神社・八幡宮は、鎌倉八幡宮から勧請した例が多数です。
そのようななかで、八幡総本宮である宇佐神宮からの直接分祀は稀な例といえます。

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江戸時代初期の延宝5年(1677)に現在の社殿が造営されました。

造営と同時に、かつての水海道城から現在の社殿地に鎮座しました。

新しい社殿地は、水運の要地であった鬼怒川の河岸・宿(しゅく)の鬼門を封じる位置にあたります。

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こちらにもあじさいが咲いていました


御朱印はこちら

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茨城県常総市水海道橋本町3329