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Memory ~RCサクセションが聴こえる~

偉大なロックンローラー・忌野清志郎への思いを綴ります。

199X年

いまでもこの1枚のCDとの出会いは忘れられない。


「冬の十字架」


何気なく立ち寄った新宿タワーレコード。
そこでなぜこのCDを手に取り購入に至ったのかはいまでも不思議に思う。


当時J-popなんてものはほとんど聞かず、ましてや精神に軽い異常をきたしていた僕は、ジャズやクラシック音楽のCDをよく買い、アロマテラピーで波打つ精神を押さえ込もうとしていた。


もちろん忌野清志郎という人のことを全く知らなかったわけではない。
日本の音楽界ですごい偉大な人物だどいうことも知っていた。


が、しかし。

微妙に世代が違い、歌を聞いたことはほとんどない。



もともとロックは好きだったが、当時のビジュアル系とかいうちゃらついた感じの曲に失望し、日本の音楽界に見切りをつけ、高校時代からは洋楽Rockを好んで聴いていた。


考えれば考えるほど、このCDを買う理由が見当たらない。

まさにロックの神様の運命のイタズラとしか言いようがない。


なにを思い買ったのかわからぬまま、家に帰り、CDをセットし再生ボタンを押した。

そして、

僕は、

本物のロックンロールを知ることになった。
199X年

私、中村武蔵は自業自得という不幸の炎に包まれていた。。。

年は当時19歳。
まだ専門学生だった。

その年僕は、人生で初めて恋を知りました。

世に言う「初恋」というやつです。


そりゃあもう苦しかった…。

その娘の顔を見るだけで胸が高鳴り、目を合わせることもできない。
しかしチラチラと目で追ってしまう自分が恥ずかしい。


そんな気持ちは「こんな俺なんか…」と、どんどん悪い方へと転がっていき、その娘の顔を見るのが辛く、次第に学校を離れ日本各地を放浪しました。


しかし、どこに行こうともその娘の顔が目に浮かぶ。

やがて学校も辞め、家に引きこもることが多い日々になりました。


ほんと、いまでも後悔してます。

な~んで告白すらできなかったのかな~?当時の俺。



そんな情けない男は、部屋で酒を煽り、布団を頭から被り、夜はアロマキャンドルの灯りをじっと眺めて1日を過ごしてました。


さすがに引きこもってばかりではなく、時折癒やしを求めて雑貨屋やCDショップに足を運び、気持ちが落ち着くものや夢中になれるものを探したりしました。


なぜかはもはや覚えていませんが、ふと新宿へ行ったときのことです。

新宿駅南口にあるタワーレコードに立ち寄りました。

もちろん癒やし音楽を探すために。


そこでまさに運命が待っていました。

2009年5月2日

あまりにも偉大なミュージシャンが、舞台をこの世から天国へと移し旅立ちました。


キング・オブ・ロックンロール

忌野清志郎



今日5月9日は清志郎の天国へのライブツアー出発を、大変多くの人がド派手なロックンロールで送ったそうです。


この文を書いている今でも、大勢の方が長蛇の列で清志郎に思いを伝えるべく並んでいるらしい。




Memory ~RCサクセションが聴こえる~




そんなオイラは仕事で長期出張中の為、参列は叶わず、現在爆音で清志郎の曲を聴きながらブログを書いています。



ボスが旅立った日からしばらく、あらゆる音楽が聴けなかった。



いや、頭の中、心の奥で清志郎の数々の名曲が鳴り響いてました。




そして今日、例え会場で見送ることが出来ずとも、心は他のファンの方々と同じ!
遠く離れていようとも空と心は繋がっているのだから、


ド派手なロックンロール魂を届けてやる!!



そんな思いで空に向かって清志郎のラブソングを熱唱した。



曲を聴きながら熱唱していると、


いつものド派手な衣装で、清志郎が走り回っている姿が鮮明に浮かんできた。


なんだ。居るんじゃないか、ボス!



オイラだけじゃなく、清志郎を愛し続けるすべての人の中にいつまでだって生きてる。



そう、忌野清志郎は今も、これからも、ずっと永遠に生き続ける…。