~共に悩み、共に生きる~ 神奈川県議会議員 武田翔のブログ

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世の中におかしいと思うことがたくさんあります。悩みながらも成長を目指す軌跡を描きます!

 

さる5月27日から31日までの5日間、中国の北京と天津へ行政視察に訪れました。
直前の5月20日には頼台湾総統が演説の中で「新たな二国論」を持ち出し、中国は台湾周辺で報復的な軍事演習を始めました。また中国は、日本の国会議員が台湾総統就任式に31名が出席したことに不快感をあらわにし、呉江浩・駐日中国大使が「日本の民衆が火の中に」と発言するなど、複雑な思いを抱えながらの出発となりました。
また帰国後早々には、靖国神社に対する中国人観光客の非常識な行動が報じられました。
たとえ国籍や文化の違いはあれ、「ならぬものはならぬ」。怒りと嘆かわしさが入り混じった思いがふつふつとこみ上げます。

現地では程永華・前駐日中国大使をはじめ様々な方にお会いしました。意見交換の中ではおのずと最近の中国の報道スタンスにも触れ、今回の訪中団一行のみならず、多くの日本人が同国の報道のあり方について憂慮していることを述べました。


台湾が独立を宣言したら、自国の核心的利益を守るために強硬手段も辞さないというのが現在の中国の立場です。しかしこの核心的利益には、尖閣諸島問題や南シナ海問題等、わが国に及ぼす影響も決して小さくありません。

今回の視察は外交ではなく、あくまでも地方議員の一員として地方行政や福祉政策の最前線に触れることでした。最初に訪れた「北京リハビリテーション研究センター」は、かつて日本のODAによる無償資金協力で設立され、理学療法士や作業療法士の育成基盤が確立されていました。また現在でも日本の一部大学と人材交流があります。


私が訪れた時には1,010人の患者が入通院し、身体機能の回復に励んでいました。センター内の雰囲気も非常に朗らかで、明るい理学療法士や作業療法士が多く、よい雰囲気に包まれていました。日本への留学経験がある理学療法士も多数在籍しており、中には30年近く前に「神奈川県総合リハビテーションセンター」に研修されていた方もおり、両国の交流の深さに感銘しました。

また、中国障害者体育運動管理センターも訪問し、何よりもその巨大さに圧倒されました。新横浜には障害者スポーツ文化センター「ラポール」がありますが、ラポールの規模を20倍にしたイメージです。季節を問わず一年中、アイスホッケーやカーリング、水泳、バスケット等のパラリンピック種目を練習することができ、中国全土からの厳しい選抜をくぐり抜けたエリートが集っていました。年間6000人の障害者と家族を受入れ、障害者スポーツについて60か所のモデル地区を作り、500人ものアスリートを育成しています。中国の国家プロジェクトの壮大さに驚くとともに、日本にもこのような施設が必要だと確信しました。


今回の北京視察ですが、私が北京を訪れたのは実に25年ぶりになります。当時の中国は都市部も万里の長城も空気が淀み、終日砂埃が舞っているイメージでした。しかし現在では、都市部のいたるところで植林による緑化が進み、また以前は荒涼としていた長城の周辺も緑があふれているのは大きな驚きでした。電気自動車はもちろんのこと、電動バイクや自転車に到るまで、モビリティの分野ではかなり環境に配慮したまちづくりが進んでいました。

かつて中国の大気汚染といえばPM2.5 (微小粒子状物質)が代名詞のごとく言われた時期もありましたが、その面影もすっかり過去のものとなりつつありました。

 

中国の標準電圧は日本の100Vと異なる220Vで、電気自動車も日本と比べると充電時間が早く、変わったところではホテルでのアイロンが印象的でした。これまで経験したなかでも一番、袖を通したシャツがパリッと仕上がったような感じがしました。

冒頭の台湾情勢や直近の靖国神社の問題など、日本と中国の関係をめぐっては必ずしも相容れない部分も多く、譲り難い面も少なくありません。その一方で、かつて大平正芳首相が両国の関係を「大晦日と正月のようなもので、互いに引っ越しできない」と評したエピソードが思い起こされます。
およそ半世紀前の1972年(昭和47年)、幾多の関係改善努力により周恩来国務院総理と田中角栄首相、そして大平正芳外相により、日中国交正常化が実現しました。その結果、長年の懸案となっていた中国残留孤児の問題も解決に向けて動き出しました。
今回の視察では「周恩来鄧穎超記念館」を見学する機会にも恵まれ、改めてその軌跡に深く感銘を受けました。また周恩来氏の姪である周乗徳氏とも面会の機会をいただき、さらにはそのご子息ともたくさん話をさせていただきました。


『魏志倭人伝』にもあるとおり、日本と中国の交流の始まりは実に約二千年も前にさかのぼり、そこには世界にも類を見ないほど長い交流の歴史があります。時には互いに戦火を交えるなど辛い時期もありましたが、決してどちらかが一方的な立場ではない。同時に両国はそれぞれ世界に対し、範を示す責務がある。そう私は思います。
だからこそ、先の大戦の壁を乗り越えた周恩来・田中角栄・大平正芳の三氏に思いを馳せ、地方議員の一員として新たな歴史、安定した友好関係を築いていかなくてはいけないと心に誓いました。

 

 

すでに1か月前の視察報告ではありますが、改めてブログに綴ったのは、同国の蘇州で日本人学校のバス襲撃事件に毅然と立ち向かい、亡くなった胡友平さんに触れない訳にはいかない。そう思った次第です。

 

日本人家族を助けた中国人女性が死亡 地元政府などが称賛(英・BBC News)

 

高潔な行動には、言葉や国籍は関係ありません。

胡さんのご冥福を心より祈りつつ、その勇気ある行動を称えたいと思います。