ブッパータール(ドイツ)

今から36年前の1983年から3年間を
西ドイツ(当時は東西冷戦の時代)はライン川が流れるデュッセルドルフで過ごしている

日本料理店のデュッセルドルフ日本館が職場であった
当時の親会社が廣済堂という印刷会社であり、バブル期にどの会社もやっていたゴルフ場経営が主体で、ゴルフのクラブが会社にありゴルフばっかりやっていた記憶しかない

オーバーカッセルというライン川の湖畔にある寮からドライバーを担いで河川敷沿いにボールを打ちながらインマーマン通りまで毎朝通勤するスタイル
(よくポリツァイに通報されなかった)

夏は緯度が高いので日没が遅く、よくライン川の河川敷のショートコースに通った

クレフェルト、ブッパータール、アーヘンなど近場のゴルフ場は美しく、さながら庭園の中でプレーしているようだった

今でも茨城県の霞ヶ浦に近いゴルフ場にはたまに行く
霞ヶ浦を眺めに行くようなもの

(#チェルノブイリで原発事故があったのが1986年4月26日)