4月23日早朝、私は上海空港に居た
前日泊まり込みで看護していた母からのメールで、
トゲサブロウが小便が出なくなって足が腫れてきた
との報告があった。
これは非常にまずいシグナル。
上海に住む私は直ぐ病院に飛んで行ける状況にない
私は矢継ぎ早にトゲジロウにLINEで状況と判断を聞いた。
あまりのLINEの多さにトゲジロも呆れたようで、
しまいには無視されだした(笑)
もうここは自分で判断するしかない
仕事については、この日に備えて十分準備してきた。
直ぐさま翌日朝9時発、札幌行のチケットを押えた。
ついにこの日が来たか…
ほぼ一睡もせずに、空港に。
朝6時、空港に到着すると同時に母からメール
『サブ 頑張っています
きっと到着を待ってるんだと思います
気をつけて忘れ物のないように
来て下さいね』
お~トゲサブ、
ずいぶん頑張ってるじゃねえか
などと思いつつ搭乗口に向かう。
死に目に会えたとか、
会えなかったとか
良く聞くけれど、
私にもトゲジロウにも、最初からそんな想いは無かった。
全身転移の最終宣告を受けた後、
病院を代わる度に、サブが危篤状態に至った時の対処法について医者からさんざん承諾を取られた。
延命するのか
しないのか…
我々は躊躇なく答えていた。
「もしそうなったら、延命などせず逝かせてやってください」
と。
彼を最後に苦しませるようなことだけはしたくなかったし、
正直言って、死に目に会うことの意味が良く分からなかった。
それに、心の準備はとう出来ていた。
トゲサブロウの最期には、両親がついてさえいれば
それでいい
上海は快晴、札幌行の飛行機は定刻通り飛び立った。
前日寝ていなかったせいで、機内で爆睡。
昼の12時半頃に札幌千歳空港に到着。
入国審査場に辿り着いたあたりで、
iPhoneが日本の電波に切り替わり、メールやらLINEやらを一斉に読み込む。
トゲジロウからLINE
「11:10 サブ、息をひきとりました」
結局、トゲサブの最期には間に合わなかった
覚悟はしていたけれど...
その時、想像もしていなかった強烈な思いが心に飛び込んできたんだ
俺は、
あいつが息をしているうちに言葉をかけてやりたかった!
俺は、
「先に死ぬんじゃね~よ!」とあいつに悪態をついてやりたかった!
当たり前だが、俺は一度もやつの前では泣かなかったし、強気を貫いてきた。
だけど俺は、
最後だけは泣きながら自分気持ちを伝えたかった。。。
「お前は良くやった!最後までカッコよかったぞ!」って褒めてやりたかった。。。
俺はやっぱり、
サブの死に目に会いたかった...
その後、トゲジロから病院に直行しろとの指示
JRとタクシーを乗り継いで東札幌病院に向かう
約1時間
急ごうにもこれ以上はどうにもならん。。。
病院に到着
両親が私の到着を待っていた。
病室で、無言のトゲサブロウとの対面を果たした
その顔は穏やかで、少し笑みを浮かべ
、静かに眠っているように見えた
不思議と涙は湧いてこなかった
つづく