まど・みちお氏の詩集「ぼくがここに」を読んでいる。

生前、最終宣告を受けて実家の北海道に戻ったトゲサブロウに、
この詩のタイトルにもなっている「ぼくがここに」という詩をLINEで送った。


「とてもいい詩だね」


と返信が返ってきたので、早速その詩集をプレゼントした。


彼が危篤状態になった時、母が枕もとでその詩集を朗読してくれていたという。


「言葉」「言霊」を大切にした弟だった。
まどみちお氏には到底かなわないが、彼と同じように
弟もまた、校歌をこの世に残した。


中国にいると全然そんな雰囲気にはならんけど、

初盆なんだね。。。


『天と地とが』


天と地とがあるからのようにあるのか
昼と 夜とが
いや 今日と
その素晴らしい今日を
無限に続けるために訪れる明日とが


天と地とがあるからのように
火と 水とが
虹と やまびことが
そして 生き物と
そのやさしい ふるさと
生きていない物とが


天と地とがあるからのように
植物と動物とが
男と 女とが
そして 親と
やがて より素晴らしい親になるための
愛らしい子どもとが


おお あるのか
天と地とがある からのように
人間にも 眠りと 目覚めとが
喜びと 悲しみとが
そして 絶望と
その中から いつも生まれてくる
新しい希望とが

(まどみちお)



早いもので

もう8月


ブログの更新も2ヵ月ご無沙汰してしまった。。。

前回のブログの記述の最後に「つづく」と書いてしまったせいで、例え誰も読んでいないにせよ、個人的にはものすごく心に引っかかっていた。


トゲサブが他界してから3ヵ月が過ぎた。

先週、母から100日法要を終えたとの報告。


この間私は、出張で

香港に行き、

日本に行き、

大連に行き、


相変わらず喰いまくり、呑みまくり、の

まあそれなりに忙しい日々を過ごしてきた。


おかげで、あまり悲しい思いもせず、今日まで過ごすことができている。


人間の脳ってやつは、つくづく上手く出来てるな~と実感するのは、トゲジロウの闘病生活を振り返る時にはあれほど色々な記憶が鮮明に残っていたのに、

トゲサブロウとのことを振り返ろうとすると、それが全然できない。。。

その分、悲しみが癒されてるってことになるのだろうか?


いや!

もしかすると、ただの老化現象なのかもしらん(笑)


そこで、改めて自分が書いたブログを読み返すと、

トゲサブの衝撃的事実を聞き、昨年の7月13日に緊急帰国してるんだね。


あれからまだ1年しか経ってないんだ。。。

本当にあっと言う間だった。


検査結果発表の度に日本に戻り、

医者の治療方針を聞き、

我々の対応を決める。

その繰り返しだった。


セカンドオピニオンなんて言うけれど、

トゲジロウの時もそうだったけど、末期ステージのガンに対しては、

選択肢なんてもんはほとんど残されていない。


あるのは只、

ガンと闘うか、闘わないか、の選択だけだ。


ひとたび闘うと決めると、

もう病院の方針に乗っかってゆくしかない。


多くの場面において、私の選択に弟が従った、

体力がかなり弱まってきた後期においては、ほぼ強制的に私の方針に従わせた。


今でも自問自答する、

「本当にこれで良かったのか?」

「もっと他にやれる事があったんじゃね~のか?」

と。。。


あるブログ、

というか、癌闘病ブログランキングのNo.1なのだが、

乳がん患者で、標準治療を一切拒否して13年生きている女性のブログを読んだ。

今更ながら、そんな生き方もあるんだと感心し、それが書籍になっているので早速購入することにした。


アマゾンからネット購入しようとHPを開き、

購入ボタンをクリックする前に、カスタマーレビューを読んだ。

そこには、賛否両論が掲載されている。


反対意見に、

『非常に深刻ながんは存在し、その場合は残念ながら亡くなるケースは確かにありますが、
特に初発のがんであれば、信頼できる医師を懸命に探して「生きる」ことにこだわって欲しい』

という内容のレビューを読んだ。


そして、私はその本の購入を辞めた。


弟が信頼できる医師に出会えたか否かは疑問が残る。

ただしトゲサブは「生きる」ことにこだわり、立派に闘い抜いた。

これをサポートした自分は間違っていないのだと思い直した。


それでもなお、自問自答は続いている。

でもそれは、トゲサブロウに対する私の想いがそうさせているのだと、達観してもいる。












4月23日早朝、私は上海空港に居た


前日泊まり込みで看護していた母からのメールで、
トゲサブロウが小便が出なくなって足が腫れてきた
との報告があった。


これは非常にまずいシグナル。
上海に住む私は直ぐ病院に飛んで行ける状況にない


私は矢継ぎ早にトゲジロウにLINEで状況と判断を聞いた。
あまりのLINEの多さにトゲジロも呆れたようで、
しまいには無視されだした(笑)


もうここは自分で判断するしかない


仕事については、この日に備えて十分準備してきた。
直ぐさま翌日朝9時発、札幌行のチケットを押えた。


ついにこの日が来たか…

ほぼ一睡もせずに、空港に。


朝6時、空港に到着すると同時に母からメール


『サブ 頑張っています
 きっと到着を待ってるんだと思います
 気をつけて忘れ物のないように
 来て下さいね』


お~トゲサブ、
ずいぶん頑張ってるじゃねえか
などと思いつつ搭乗口に向かう。


死に目に会えたとか、
会えなかったとか
良く聞くけれど、
私にもトゲジロウにも、最初からそんな想いは無かった。


全身転移の最終宣告を受けた後、
病院を代わる度に、サブが危篤状態に至った時の対処法について医者からさんざん承諾を取られた。


延命するのか
しないのか…


我々は躊躇なく答えていた。

「もしそうなったら、延命などせず逝かせてやってください」
と。
彼を最後に苦しませるようなことだけはしたくなかったし、

正直言って、死に目に会うことの意味が良く分からなかった。

それに、心の準備はとう出来ていた。

トゲサブロウの最期には、両親がついてさえいれば
それでいい


上海は快晴、札幌行の飛行機は定刻通り飛び立った。

前日寝ていなかったせいで、機内で爆睡。
昼の12時半頃に札幌千歳空港に到着。


入国審査場に辿り着いたあたりで、
iPhoneが日本の電波に切り替わり、メールやらLINEやらを一斉に読み込む。


トゲジロウからLINE



「11:10 サブ、息をひきとりました」



結局、トゲサブの最期には間に合わなかった
覚悟はしていたけれど...


その時、想像もしていなかった強烈な思いが心に飛び込んできたんだ


俺は、

あいつが息をしているうちに言葉をかけてやりたかった!


俺は、
「先に死ぬんじゃね~よ!」とあいつに悪態をついてやりたかった!


当たり前だが、俺は一度もやつの前では泣かなかったし、強気を貫いてきた。

だけど俺は、

最後だけは泣きながら自分気持ちを伝えたかった。。。

「お前は良くやった!最後までカッコよかったぞ!」って褒めてやりたかった。。。


俺はやっぱり、

サブの死に目に会いたかった...


その後、トゲジロから病院に直行しろとの指示

JRとタクシーを乗り継いで東札幌病院に向かう
約1時間
急ごうにもこれ以上はどうにもならん。。。


病院に到着

両親が私の到着を待っていた。


病室で、無言のトゲサブロウとの対面を果たした
その顔は穏やかで、少し笑みを浮かべ

、静かに眠っているように見えた


不思議と涙は湧いてこなかった


つづく