前回の公演からだいぶ経ち、俺はといえば、すっかり落ち着いた生活に戻った。


テーマや演出についての解説、役者への所感等、ブログに書かなければならないことがたくさんあるのだが、・・・なんだろう。


どうも、違和感というか、猜疑心というか、そうした歪みが芽生え、積極的になれない・・・今はまだ考えたくない・・・わからないことがある。


俺が、脚本家として・・・演出家として、まだ駆け出し程度のレベルだと思うことに変わりはないが、果たしてそれを周囲は許容してくれるのだろうか、という点だ。


別に、評価されたいからかまって!という類の自己アピールではない。


前提として、俺はプロではないということを掲げておくが、俺が脚本を書き演出するということは、当たり前のことなんだろうか。


勿論、それを自分がやりたいわけだし、それを計算されることも当然だとは思う。


ただ、俺は脚本を、やはり苦しんで書き、演出を、暗中模索のようにもがきながら描いた。


それをわかって、とか、評価して、ではないんだ。


何ていうか・・・俺は必要とされているのだろうか、ということを考えたとき、確信を持てないというか・・・仲間ではないのではないか、という疑問が浮かぶ。


集団であって、仲間でない。


そこに、俺が求めるものはないからだ。


やって当然・・・そういう世界でしょ?と言われたことがあって、正直、そこに感じるものは距離だけだった。


なんだ、助け合うんじゃないのか、と。


そうした壊れそうな、ギリギリのバランスで、使命感だけで維持していた気持ちが、ある時プツッと切れた。


音響について、俺はどうするものなのか、どうしたらいいのか、意見を聞き相談しようと思っていたが、公演1週間前になってようやく音響さんが稽古に来た。


忙しかったのかもしれないし、事情はあったのだろうから、それについてどうこう言うつもりはない。


だが現実問題として、音響素材を迫られたり、打ち合わせは照明と違ってほとんどできないままで、その短いスパンで音響を決めなくてはならなかった。


・・・俺一人で。


誰かに相談すればよかったと、こここそ最大の反省箇所ではある。


しかし、実験的に流してみる機会が、ほんの数時間だけあった。


前夜、3時間しか寝ずにA案みたいな感じにようやく絞ることができた。


それをいさ実行せんとしたとき、異議が出た。


異議が出ることに抵抗はなかった。が、このタイミングで、常識を被せてくるように、の否定。


率直な意見なんだろう・・・そして時間があるならそれについて話し合う余地もあっただろう。


気持ちが切れた。


苦労してきたことを主張したいわけではない。しかし、その全てを短絡的とも言える数々の発言によって、無視されたわけだ。


気持ちが切れた俺は呆然とし、A案に替わる音響を急遽持ち寄ることになり、選曲大会が始まっていたことに、なお疲弊していた。


結果的に、事態の好転をはかるため、俺が引いたわけだが。


まあ、そのことのうらみつらみなどはないし、どうと思っているわけではない。

喧嘩売ってるわけではない。蒸し返したいわけではない。


が、そこで感じた虚しさというのが、今の消極的な心境の発端だ。


謝れ!ではないが、代わりのきく「俺」ならば、俺は選ばれなくてもいい。


俺に頼みたい、俺とやりたい、だから俺は力になりたい、そういう助け合いでないのなら、俺はやる気など出ない。


仕事じゃないんだからさ。プロじゃない。


まだまだ書きたい脚本もあるし、上演したいという希望もある。


が、それは全て、仲間がいてこそ成立するものだ。少なくとも、俺にとっては。


ありがとうございました!よろしくおねがいします!なんて言葉は、誠意ではない。



・・・俺が間違っているのだろうか?


人を大事にしようと思えば思うほど、誠実にならなければならない、と考える俺が、バカなんだろうか?


答えは出ない。


ないのかもしれないな。



・・・というわけで、なかなか創作に積極的になれない現在です。


もうちょっと心境に進展があったり、そこに前向きになれたら、しっかり更新を再開します。


TAKESHI

舞台が終わって、はや10日ほど。


石井君が「本当に終わっちゃうのかあ」と言っていたことが妙に記憶に残っているが、俺としては・・・複雑というか、様々というか・・・色んな気持ちが織り交ざり、いまいち把握し切れていない。


というのは・・・


1、気持ちを完全に切り替え、とりあえず休んだ

2、体がヤバイ。色々ヤバイ。

3、リラックスに徹するため、携帯の電源OFFのまま

4、めんどくさい


以上のやむを得ない理由から、まだ作業をしていない。


まあ、一つだけ、今わかってることを書いておこう。


萩野に散々「コノヤロー」「ボケ!」「しっかりしろ!」と思っていたことを、反省しよう。


萩野が俺より半年ほど早く生まれたオバサンだとはいえ、発展途上だ。


俺が自分に対して「まだ若い・・・ガムシャラにやろう・・・一歩一歩成長していこう・・・」と思う向上心も、裏を返せば足りないところがたくさんあるということで。


それを、一体何を萩野に適用しようとしていたのだろうか。


他人から見れば・・・今回のお客さんのように、見てる側ならば・・・言いたい放題で、「おお・・・わかってらっしゃる・・・」から「何だとコノヤロー」まで、思うところもあるように、俺は創り手であって鑑賞者ではないのと同様、俺は萩野ではなく萩野を外から・・・あくまで萩野個人という枠の外から・・・見る鑑賞者なのだ。


言いたい放題言っていただけだった。


そう、俺は萩野含め役者を、舞台の上で輝かせるために、萩野に協力しているのだ。


だからこそ、俺は怠慢だったと気づいた。


俺も萩野も発展途上。


何もかもね。


俺、専ら反省!


その他の・・・脚本内容や役者に対する所感や多々ある反省などは、もうちょっと休んでから、長々と書き綴ろうっと・・・。


TAKESHI

誰かに何かを訴えるということ。


俺はそれを好まない。

厳密に言えば、直接的に・・・例えば愚痴とかね。


聞かされて楽しい人なんて滅多にいないだろうし、俺にさほど関心のない人にしてみればいい迷惑だろうから。


まして、言ったことでスッキリーとか、これまた自分勝手じゃないかと思うし・・・人をなめてんのかと思う。


総じて、「私これだけかわいそうなの」という自己アピールだからだ。


俺が聞く分にはいい・・・だが、俺が聞かせるのは御免だ。


社会や時代に文句を言っても、何も変わらない。


俺はその無意味さを痛感している。


人と違う、と言われ続けてきたが、それは褒め言葉でも何でもない。


人の言う事に流されず、社会や世間のブームに流されず・・・確固たる自分を持ち、信念を抱き、色んな事物とぶつかりながら、なお前に進もうとしてきた。


こういうとカッコつけてるように思われがちだが、これほど大変なこともないのが実情だと思う。


理解されないから。


謂れの無い噂で・・・大学に入った頃、友達100人作ろうと男女問わず話しかけていたら、「あいつは~ちゃん狙ってるから気をつけて」「絶対あいつ~だよ」なんて、根も葉もない事を影で言ってる連中もいて・・・「他人」とはこういうものなんだと理解したこともある。


俺が舞台でやりたいこと・・・俺の演出論を知ってか知らずか、「常識」を被せてくる奴・・・その「常識」が、オリジナルを・・・この場合特に対義的である意味合いで、共存できないもので・・・打ち消すのだ。


別に「俺の演出に口を出すな」「否定するな」ではないのだけど・・・。

むしろそういった活発なやりとりは大歓迎で。


問題なのは、俺の演出・・・意味的には俺自身に対しても・・・理解しようとすらせずに頭ごなしに「常識」を適用しようとする人間。


そういった誤解は、俺のみならず、どこにでも起こり得る事態なので、俺は少なくとも、状況を把握し理解に努めることから始める。


理解されないこと、勝手な否定をされることが、どれほど辛いことなのか、きっと届かないんだろうな。


先入観があることも、反射的に判断してしまうことも、誤解の原因になりやすいとはいえ、仕方の無いことだろう。


にんげん だもの みつを


だからこそ、人の気持ちを考える・・・相手の立場になって考える・・・そうしようとすることは、とても大事なことだと思う。


そして、それは自分から発するのではなく・・・聞いてあげることこそ、人に関心を持つということではないだろうか。


まあ、それ故、俺は自分からは発しないんだけどね。


関心の無い人だったら、どうでもいいことだろうから。


例えばさ、戦争反対だといってる人・・・。


俺もその意見に違わないが、それを口にする人ね・・・。

テレビとか、前はデモ行進とかやってた人。


そんなことする前にできることあるでしょ。

本当にそう思っているのなら。


その上、戦争に参加せざるを得ない兵士さん達に失礼だと思わないのかな。

彼らが戦争をしたいとでも思っているのだろうか?


だったら、寄付したり、戦争の地へ赴いて救援活動でもしなさいと。

自分の身だけ案じて安全な地にいながら、「No more war!!」って・・・。


自己主張も結構だけど、人の気持ち考えてからにしようよ。


テレビやネットの「絆」なんていう甘い言葉に騙されるんじゃなくて、心でそれを感じようよ。


人の声に耳を傾けて。


正義や意見の押し付け、無関心ではなく・・・触れ合って、感じることも多いから。

現実は、どこまでもリアル。


妄想は、妄想の世界に生きられるから・・・現実ではないんだから。


TAKESHI


本番まで、あと2週間をきった。


順調に本番を迎え、順調にこの芝居が終えられますように・・・。


なんて甘いことは微塵も思ってない。


きちんと役と向き合い成長している役者もいるし、役のイメージに悪戦苦闘している役者もいるし、「お前今まで何やってたの?」と俺をイラつかせる役者もいる。


やっているのは芝居ごっこじゃないんだ、と思うし、その傲慢な姿勢に、文句や説教をする、という積極的な行動をとることも、最早意味が無いとさえ思える。


まあ、役者として起用せざるをえなかったという側面もあるし、まだ時間はあるという淡い期待も抱いてはいる。


次回の稽古からは鬼になることにしよう。


今後使えるかどうかの判断材料にもなるしね。



さておき・・・。


脚本・演出については、俺自身の命題ともいえる問題がたくさんある。


舞台における動きとは・・・それを意識した脚本作り・・・ストーリーの抑揚・他人の興味を引きつけるストーリー・テーマ・・・伏線やセリフや動き・・・役者を生かすということ・・・それら諸々を引き出す演出・・・。


そして、最も自分に足りないと感じるものは、舞台で行う表現の魅力を創り出す力。


映画でなく・・・ドラマでなく・・・音楽でなく。


舞台で、生で観せられることの特性を最も生かす術は、なんだろうか、と。


源から以前、「お前の脚本はどう動いたらいいかわからない」と言われたことがある。


ふむ・・・なるほどと腑に落ちた。


そこを意識していなかったという点もあるが、何より、俺はいわゆる演劇の動きというものが大嫌いだったからだ。


わざとらしい・・・大げさ・・・不自然。


その点から、俺はそういったものでなく、自然な表象を目指しているんだ、と理解した。


しかし、ある意味ではそれは舞台において、致命的な欠如なのかもしれない。


何より、それができない、ということであったなら、それすらできない人間は演出家として、脚本家として、そもそも成立していないということになるし、当然それを俺の無駄に高いプライドが許すはずもない。


そこからの問答の繰り返し・・・動きを意識すること・・・脚本作り・・・演出方法・・・。


ところが、やはりそれを繰り返すと、大げさで不自然な表現を省こうとする俺の考えが働くのだ。


そのしゃべり方、普段するのか?

そんな声出してる奴見たことねーよ。

外に広げるより、内に精錬させるべきだろ。

ダンスじゃないんだ、普通に振舞えよ。


もちろん、舞台で表現するということは、観てる人との物理的な距離という問題があるため、多少大きくなることは否めない。


しかし、その域を超えたものを、俺は楽しめない。


それこそが、演劇という芸術に対する拒絶感であり、一般との壁だと俺は考えているし、そう感じる。


そこに大げさな動きは、組み込みづらいのだ。


思い返すと、そこに対する挑戦こそが、舞台に対する情熱だった。


そこから、一つのスタイルを、俺は最近見出しつつある。


「哲学と芸術の融合」


哲学というと、小難しい話だと抵抗を示す人も多いだろう。


だが、簡単な話だ。


何故人は生きているのか、も哲学なら、ライターで火がつく仕組み、もまた哲学なのだ。


あるテレビドラマを見て、恋愛にはこういうこともある・・・ハッピーエンドだ、すっきり!も哲学だし、ワールドカップで日本は~位になった!も哲学。


つまり、感覚や感情含めた森羅万象を対象とした、理由や説明によってそれらを証明・究明すること、・・・言葉によって、が哲学なのだ。


つまり・・・脚本で、言葉によってある種の答えや事実、考え方などを提示する、という、動きの少ない俺のスタイル、


は、より哲学的だといえるだろう。


それに対して、芸術というものは、言葉に因らず、感覚を通じて真実を明らかにしようとする営みだ。


音楽を言葉で表現し替えることは、難しいだろう。


つまり・・・動きを中心とし、「観る」という感覚に何かを伝えようとすること。


一見すると相容れず、俺のスタイルである融合なんてもっての他と思えるのだが、案外そうでもない。


そうでもないというのは、誰しもが当然のようにそれを行っているからだ。


お子様からお年寄りまで、年も性別も職も関係ない。


誰しもが、だ。


そう・・・だって、みんな生きてるじゃない。


生きてる中で、しゃべったり、歌ったり、聞いたり、見たり、してるでしょう。


時に誰かに何かを伝えようと、話したり、泣いたり、・・・すなわち、相手の理性や感性に訴えること、するでしょう。


そうやってコミュニケーションをとっているんじゃないだろうか。


それが「自然」。


なのに、不自然と感じる大げさな表現を、わざわざするのは、・・・不必要なケースが多いんだ。


だから、舞台においても、決してわざとらしくなく、面白い表現ができる、と、俺は無意識のうちに脚本に興していた。


だから、「ああ、こういう奴いるね」を探して、時には「こんな奴いねーよ」を組み込み、テーマを自然にストーリーに馴染ませ、役者を生かせるような、そんな舞台を俺はやりたかった。


そう、「哲学と芸術の融合」によって、リアリティーを追求する。


それが俺のスタイルとして、見えてきた。


わーいわーい。


TAKESHI

「私」

絵本を開くと広がる世界。
そんな夢物語でさえ、現実はどこまでもリアル。
逃げ場のないリアルに、私は―。

・脚本、演出
TAKESHI

全席自由
チケット料金 前日¥2,000 当日¥2,500
ご予約は各出演者、若しくは下記内容を記入の上god-need@emcm.jpまで。
記入項目(お名前・観覧日と時間・チケット枚数・応援している出演者)

・公演日時
4/23(金)14:00 19:00
4/24(土)13:00 18:00
4/25(日)13:00 18:00
開場は開演の30分前となります。

・場所
高田馬場RABINEST
http://www.rabinest.com/
東京都新宿区西早稲田3-27-4 第一キャラット河俣B1
http://www.rabinest.com/map.html
東京メトロ副都心線 西早稲田駅 徒歩3分
JR山手線/東京メトロ東西線 高田馬場駅 徒歩8分

・出演
石井雅典
加賀谷幸子
kimi(土・日)
桜井まゆら
佐野義徳
瑞慶山みどり(金)
萩野春奈子
原章浩
・Opening Act出演
Console
super-ray
Love♪Panic
他
・スタッフ
舞台監督/中野聡
撮影/クツナ
企画制作/Love♪Panic
協力/Team F☆POT


やっと告知ができた・・・。

先週半ばには確定できていたけど、風邪で死んでいる(現在進行形)ので・・・。


予約して2000円てことだけど、個人的には1000円でいいだろと思ってるので、

俺を通じて予約をして頂くと、1000円でご招待致します。


笑って泣ける芝居(にする予定・・・できたらいいな・・・)です。


・・・っていっても、このブログからの予約はないだろうけどね!


慢心することなく、精進していこう。


役者と向き合って、役者の観察と考察を重ね、最大限に力を引き出せるように。


それを、脚本に乗せて、この世でたった一つの物語を創る。


それがわしの仕事です。


責任重大ですな。



キャアー


TAKESHI