一昨日3/25は


私の母親の86回目の誕生日


だったのですが


3/5金曜に亡くなってしまいました…


とりあえず

記録のために載せますので

この先は

皆さんは読んでいただかなくて結構です〜!








3/5金曜 

これから晩飯という

午後7時過ぎ 

私の携帯が鳴った


東京で一人暮らしをしてくれている母が住む実家の

冷蔵庫の開け閉めの見守りシステムをお願いしている

警備会社のアルソックさんからの電話


冷蔵庫の開け閉めが無いので家の前に来ています!

中に入る許可を下さい!

とのこと


え!?そんな!?急に??


とりあえず電話をしてみたら

母親の携帯も家の加入電話も全く出ない


アルソックさんに

どうぞ入って下さいと折り返しの電話で言う


再度、アルソックの方から電話

かなり先程の電話と違い、慌てた様子で

「救急搬送しますので、

すぐにこちらに来て下さい!」とのこと


次の仕事まで中三日あったので

四日分の荷造りをして

大急ぎでタクシーで京都駅へ


京都駅のホームでアルソックさんから電話

搬送先の病院名を教えてもらう

しかし

既に心肺停止状態だったとのこと

どういう状況でしたか?と聞くと

ソファーで倒れていたとのこと


このシステムを導入してなければ

いつ母親が倒れたかも

わからなかったかもしれない

しかも品川区の補助で月300円の破格だった


アルソックさん、品川区に感謝


新幹線で移動中に今度は病院から電話

蘇生の努力をしているが

体温も低下して困難とのこと


そもそも、この仕事に就いた時から

親の死に目には会えないと思っていたし

父親からも気にするなと言われていたので

仕方がないとあきらめる


それにしても

急だった


新幹線の中で

とりあえず

東に向かって合掌


自分のスケジュールを確認し

取り急ぎ

明後日と20日27日のゴルフの予定をキャンセル

田邊先生、富村さん、小島さん、吉川さんに

お詫びの連絡をする


緊急事態宣言中、

しかも雨の東京なので

駅に着いてタクシーが無いかもしれないと

同級生にタクシーの予約をお願いしたら

自家用車で送ってくれるとのこと


有り難い!いのさんに感謝!


午後10時過ぎに病院到着

医師が説明に来るとのことで

家族室という部屋で20分ほど待機


蘇生の努力はしたけれども

無理だったとのこと


また、病院内で亡くなっていないので

警察の検死が必要とのこと


病院の霊安室で母親と対面

蘇生の努力がされたあとが遺体に見受けられた

ここで警察の方が来られて事情聴取を受ける


母親の遺体は警察に移送され

私は自宅に戻り警察の方を待つ


自宅に入ると

手作りのマスクを作ろうとしたのであろう

作る材料とミシンがテーブルの上に


風呂に水も入っていたし

台所の鍋には煮物も入っていた


近所の人の話では

木曜の昼には元気に喋っていて

その人と鰻を食べに行く約束をしていたという


おそらく木曜の晩に急に倒れたのだろう


血圧が高かったせいなのだろうか?


しばらくして

警察の方が来られて

薬の手帳などを証拠のためなのか?持ち出し

家の中の写真の撮影も行われた


全て作業が終わったのは

午前1時半頃だった  


コロナ禍の中

病院の方も、警察の方も、

つくづく大変なお仕事だなあと思った


晩飯も食わず

とりあえず居間で

布団も敷かずに寝る


この日は 

近所の近藤さん古田さんに

大変に世話になった

感謝


翌日土曜日午前から

隣の家の葬儀会社の方が来てくださり

葬儀の相談をする


相談の最中に

去年の正月に

「何かあった時のために葬式用の写真撮った」

と母に言われたのを思い出して探し出す

自分と弟の家族だけの密葬にするつもりだったが

わざわざこのような写真を撮っていたことに感心し

大勢の方に御覧いただけるように

通常の葬儀を行うことに決めた


喋り好きだったので

近所の方とも最後のトークが出来て

その方が良いだろうと思った


父親の時にも行った

近所の臨海斎場が混み合っていて

最短で3/12金曜の通夜、

告別式が3/13土曜になるとのこと

一週間後になってしまうのか!?と

慌ててそのスケジュールで予約してもらった


近隣住民は割引価格で執り行える


3/13土曜は夕方にイベントの司会が入っていたが

やむを得ず、このスケジュールに決める


結果的にイベントはミヨちゃんに

代打を頼むことが出来て良かった

ミヨちゃんに感謝


オンエア業務は全て休まずに済んだ

母親と弟に感謝


また、寺にも連絡して葬儀の段取りをする


昼過ぎに警察から検死が済んだと連絡あり

警察署に向かう


検死していただいた医師から話を聞き

犯罪性は無しとのことで

警察で書類手続きをして

母の遺体は私と一緒に斎場へ

死因は虚血性心不全

死亡時刻は

2021年令和3年3月5日金曜21:48

享年85歳


斎場に着き

葬儀会社の方と二人で納棺の儀を行う

すっかり冷たくなっている母親に

浴衣の上から

白い着物をかぶせ

足袋や手甲、脚絆などを身につけてあげる

約一週間ドライアイスを使い保存してもらう


戻ってから

大まかな葬儀の打ち合わせを行い

実家の整理を始める


年金手帳や財布、保険証など

貴重品類を探し出す作業に追われる


自宅整理の仕事を3/8月曜まで行い

弟とバトンタッチして

晩に自宅に戻る


翌日火曜はラジオ、

流石に心身共に疲れていた…

翌々日水曜から金曜まで『す・またん』

その金曜本番終了後すぐに通夜のため東京へ


18時より通夜

花好きの母親には

喜んでもらえそうな祭壇になった


香典、弔電、供花は断らせてもらったが

小島さんが段取りしてくれて

適度のものは受け入れてくださった


小島さん、くださった方に感謝


私の中学の同級生や母親の知人、親戚と共に

弟が段取りしてくれた清めの会食

コロナ禍なので一人一人割り当ての食事で

座り方も密にならずに出来た


翌日3/13土曜11時から告別式


棺の中に

三途の川を渡るための水着や

好物の餅、祖母と良くやっていた花札など

入れてあげた


大量の花に埋もれて棺は閉じられた


喪主として挨拶させていただく


その後、隣の棟の火葬施設へ


ドライアイスで冷やされたり

高音で焼かれたり

可哀想に思う


焼かれる間、元の棟に戻り清めの会食

この間に親戚に話をして

御住職から提案していただいた三日の中から

四十九日法要の日取りを決める


約1時間後に骨上げ

真っ白な骨壺に収められてしまった


写真、お骨、花、供物を携えて

お寺に向かう


外へ出たら嵐のような大雨


涙雨かしらん


寺に着き

初七日法要と墓への骨入れを行う

何せ私と弟のスケジュールが逼迫しており

弟の提案で一気にやらせてもらった


お寺さんに感謝


終了後、すぐに寺で着替えて

大雨の中、京都の自宅へ向かう


翌日、日曜早朝出発で

岐阜へのロケのために大急ぎの帰宅


親戚も「え?もう帰るの?」と驚いていた


この金曜、土曜は

一泊二日なのに

異常に長く感じられた…


月曜晩に岐阜から戻り

また火曜日ラジオ録音、

水曜から『す・またん』

この週は

木曜にドキハキ出演、

金曜にラーメンファイルロケ、

土曜から月曜まで旅ぷらの福井、舞鶴ロケ

そして、またやってきた

火曜日ラジオ最終回の録音、

水曜から『す・またん』、

そして金曜『す・またん』終了後から

ホッと一息入れることが出来て

ようやく今日、

3/27土曜日にブログアップ


今日は

そもそもゴルフの予定だったが、

体を休めるだけでなく、

香典返しの送り先の整理や

四十九日の出席者の確認や

食事の店の予約などしなければ


あ、散髪も…


何せ明日の日曜日は

春風亭一之輔さんの落語イベント出演予定


鬼のような三月になってしまった


どうせなら

ラジオが終わってからの

四月に倒れてくれたら良かったのにと

バチ当たりなことをボヤきながら過ごしてきた


3/1月曜にゆっくり休んで

その翌日から今日3/27土曜まで

肉体的にも精神的にもキツいスケジュールだった

自分自身が無事に生きてて良かった


流石に

初めてやらせてもらったラジオ番組が

無事に最終回が終わった時は

心からホッとした


ゆーても自分も61歳


また、このスケジュールは

家内、弟家族、御近所の方のおかげで

何とか乗り切れた!!最上級の感謝!


四月から少しスケジュールが楽になるので

実家の名義変更などにも着手しなければ…


母親には産んでくれて育ててくれたことに感謝

オンエア業務を休むことなく見送れたことに感謝

父親が亡くなって9年、

頑張って独り暮らしをしてくれたことに感謝

また、それを支えてくださった近所の方に感謝


心のどこかで

ひょっとしたら

母親の介護のために仕事を辞めることも

ありえるかもしれないのだろうか?と危惧していた


倒れるまで元気に頑張ってくれて感謝

「何で母親だけ取り上げているんだ!」と

父親に文句を言われるかもしれないので載せておく


父親には

野球、自転車、スキー、スケート、釣り、

麻雀、パチンコ、競馬、将棋、アンチ巨人、

テレビで演芸番組を見る、など教えてもらった

下戸だったので酒を飲むことは教えてもらわなかった



このあと四十九日法要など追記していく予定