自慢じゃありませんが、
入社早々の1983年昭和58年11/20日曜日、
大阪市長選挙の立候補者名を誤読し、
譴責処分になりました(泣)

『次の者を譴責処分に処す』
という紙が社内中に貼られ、
部内でも声出し禁止処分に(泣)

何せ、入社一年目で譴責処分になったのは、
アナウンサーはもちろん、
読売テレビ全社員で、開局以来、
初めてのことでした。

アナウンサーとしては、
前途絶望間違い無し!
将来どれだけ処分を受けるのだろうか?
と、最悪は転職まで当時は考えましたが、
奇跡的に60歳の定年退職まで
テレビ局のアナウンサーとして
勤め終えられようとしています。

実は、これ以降、現在まで、
報道部の関係の仕事は、
ストレートニュースを読む以外は、
入社一年目の祇園祭宵山の中継しか
頼まれたことが無く、したこともありません。

昭和天皇がお隠れになった時に、
「大変だ!」と会社に電話をしたら、
部長に「お前は休め」と言われ、
阪神淡路大震災の時は、
自宅待機が続き、
全く仕事はありませんでした。

おそらく入社の時の大失敗が、
あいつはヤバいヤツや!と
アナウンス部の管理職や
報道の人間をビビらせたのだと思います。

しかし!!結果的に!!
37年間に受けた処罰はこれだけで済みました。

反対に、結構、意外に、受賞は多いです。
社外からの賞もいただきましたし、



(この賞をいただいた時には
社内で社長賞をいただきました!)

その後、なんやかやと
社内表彰は37年間で
数え切れないほどいただきました。

系列では、
お情け的な賞もいただきました。



ま、入社早々は
前途絶望でしたけど、
なんとかなるもんやなあと、
しみじみ思う
定年退職まで
あと約一ヶ月
60歳の2月末ですわ…