果たして神様は本当にいるのでしょうか?

こういう事を疑問を持っている人は多いのではないでしょうか?

世界にはいくつかの宗教があり神様にもいろいろあります

イスラム教はアッラー(写真はカーバ神殿)

キリスト教はイエス

ユダヤ教はヤハウェ

 

ヒンドゥー教は多神教でブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァ、ガネーシャ、ハヌマーン、クリシュナなどの神様がいます

仏教は神様の存在を否定しているので仏教には神様はいません。

 

日本には八百万の神様がいるといわれています。神道にはいろいろな神様が登場します


実は私は昔から神様の存在を信じていませんでした

その理由として、この世の中はずる賢くて口先だけの人間がのしあがっていくのを実際に目の当たりにしてきたからです

誠実で真面目に頑張る人は評価されない。
『正直者が馬鹿を見る』を私自身が長年に渡り実演してきたからです

神様がいるならば、この世の中はなんで悪いやつやずる賢いやつらがのしあがり、真面目で誠実でこつこつ頑張る人は雑草のように踏みにじられるのだろうか?

また、世界中に悪い人達がたくさんいます。日本では殺人事件は比較的少ないですが、治安の悪い海外の国(南アフリカ共和国、ブラジル、フィリピン、その他中米諸国)では強盗などでお金を奪うためにたくさんの人が殺されています。中南米(メキシコ、コロンビア、ブラジルなど)の国には巨大な麻薬カルテルが存在し麻薬という違法な薬物で巨額のお金を稼いでいます。

日本にも特殊詐欺の集団が存在しますね、人を騙して楽をして巨額のお金を手に入れています。普通に会社に勤めて働けばいいのになんでそんな悪いことをしようとするのか?

もし神様がいるのならこういう悪い人達を許すはずはないでしょう。私が神様だったらこういう悪い人達の心臓をぱたっと止めてこの世界から消し去ります。現実には悪い人達は普通にこの世の中で生きています。メキシコでは警察も麻薬カルテルにお金で買収されていて警察に通報してきた人の名前が麻薬カルテルに筒抜けになっていて、警察に通報した人は報復で麻薬カルテルに殺害されてしまいます。日本とは大違いですね

絶対におかしい、この世界は悪が蔓延る世の中です。この世に神様なんかいないんだ、やりたい放題やったもの勝ちの世の中なんだ、そのように思っていました

 

今までは神様を信じていなかったので神社に行くこともありませんでした。お正月の初詣もしませんでした

お賽銭は神様の元に送られるのではなく神社の収益になるだけです。そもそも神様にとってお金はなんの価値もないものです

なんでみんなそんなこともわからずにお賽銭をするのだろう?と思っていました

私が神社へ行くようになったきっかけは、数年前に父が入院してからでした


いくつもの神社を廻り神社の祠に向かって、声を出して

「父は今こんな状態なんです、これからどうなるのか心配でたまりません」とまるで祠の中に神様がいるような気がして、神社の祠に向かって語りかけました


父が入院してから1年位そんな事を続けていました

父が在命している間はいつまで父が生きられるのか?いつ父が亡くなるのか?

毎日不安な日々を過ごしていました

ある日の朝、病院から父が息を引き取ったとの電話が来ました

あれだけいろいろな神社の神様にお願いしたのにやはり父はあっけなく亡くなりました。やはり神様なんかこの世にいないんだなと思いました

いや、でも、それは違いました。父がこんな状態で生命を維持したとしたら、私はもっともっと苦しまなくてはならなかったでしょう

きっと神様は私がこれ以上苦しまなくて済むように頃を見計らって父の息を引き取らせたのでしょう

(写真はイメージです、ネット上から拝借しました)
病院からの知らせを聞いた瞬間、私はショックを受けたのではなく、逆に気が楽になりました。いつかは必ずやってくる事なんだ、それを待っている間が苦しいんだ、ついにその時がやってきた。もう終わったんだ。もう死んだ人は生き返らない。後は父の火葬をしてその後、いろいろと死後の手続きをやろうと頭の中が切り替わりました

やはり神様はいらっしゃるのだな!

この時、そのように思いました

さて、最近いろいろな方のブログを拝見して

人は生まれる前に神様とどのような人生を送るかをあらじめ決めてから地上に生まれてくるのだそうです

この事を聞いた時、本当にそうなのかな?と最初は思いました

私は自分でこんなにさえない人生を送る事を計画してこの世に生まれて来たのか?

まぁ、世間一般的にみれば不幸な人生ではありませんでした、貧乏な家庭でもなく、両親もちゃんといて大学まで行かせてもらいました

でも思い出してみると、高校入学から現在にいたるまで楽しかった思い出はほとんどなかったように思えます。嫌な思い出は山ほどありました

社会人になってからは理不尽な事もたくさんありました。頑張ってもなぜか評価してもらえず、できないやつ呼ばわりされていました。上位職の人達からは無理な事を上から目線で一方的に言われる事も多かったです

それでもやることはちゃんとやっていました。決してふてくされて手を抜いたりはしませんでした

最近になって思いました

私は生まれる前に神様とどんな人生を送る取り決めをしたのだろうか?

きっと、世の中のいろいろな理不尽な事を経験し、それでもめげずに自分の信念を貫くという生き方をする事を神様と取り決めたのでしょう

まさしく、『正直者が馬鹿を見る』をずっと実演してきた人生でした

逆に言えば、どんなに馬鹿を見ても正直者を貫き通す、まずは自分が実演してみて、それに追随する人が一人でも多く増えてくれればとの願いを込めてそうしたのでしょう

一人の人間として人間社会の中で生活をして、人間社会のおかしな所を学ぶためにきっと私はこの地球上に降り立ったのでしょう。本当に人間社会っておかしな事だらけの社会ですね。そして人間はとても身勝手な生き物ですね。世の中の人達の多くは『自分さえよければそれでいい』といった人達ばかりです

 

神様と取り決めた事がもう1つありました

もしこの現世での修行が辛くなった時、または自分でもうやるべき事はやり遂げたと判断した時、そこで2年間の猶予を設けてこの現世での修行を終わりにするか続けるかを真剣に考えるということでした

もう自分が充分に修行をしたと思えるなら、肉体を脱ぎ捨てて魂の世界に戻ってもいいと神様と取り決めました

 

肉体は魂が一時的に宿る仮のものだから、わざわざ肉体の寿命を待つ必要はないと言われました

 

車が何年かしてあちこち傷んできたら誰でも新しい車に買い替えるでしょう。同じ車にボロボロになるまで修理しながら乗り続ける人はいないでしょう

 

例えるならば、人間の肉体は車のようなもので、乗っている人は魂です

肉体も傷んできたら車を買い替えるように新しい肉体に交換すればよいのです

肉体が死滅しても魂は消滅することはありません

1度昇天して、また地上に戻ってくればよいのです

人の人生はピリオドを打ちながらも永遠に続くのです

もし、自分で判断がつかない時は内なる神様の意思に従いなさいと言われました

人の中には内なる神様が存在しているのです。迷った時には内なる神様が必ずヒントを与えてくれます

私が定めた人生の期限はあと1年と少しになりました。まだ決定と言うわけではありません。期限が伸びる可能性もあります

自分ではどうするかまだはっきりとした判断ができていません。これから1年余りの間、内なる神様の意思を確かめようと思います

もし私の中にいる内なる神様が現世での修行をもう少し続けなさいという意思があるなら、日常生活の中でそれを示唆する現象が起こると思います。それを見逃さないようアンテナを張り巡らします