遠い昔の記憶が突然よみがえるという現象が起こったこと、ありませんか?

私の記憶の中に『あずきまんま』という言葉が頭の中におぼろげに残っていました

それは、ずっと昔に子供の頃にテレビで観た『まんが日本昔話』の中のお話の1つに出てきたものでありました

どんなお話だったけ?

おぼろげな記憶を辿ると確か、幼い女の子が

「あずきまんまが食べたい」と言い出しました。女の子の家は貧しくあずきやお米を買うお金がないので、お父さんはよその家からあずきとお米を盗んできて女の子にあずきまんまを作って食べさせました

しかし、お父さんは盗みがばれて役人に捕まってしまい。

す巻きにされて川に投げ込まれて死んでしまいました

私のおぼろげな記憶ではそんな感じでありました

数日前ネットで検索したら、ちゃんと出てきました。

 

題名は

 

 


『キジも鳴かずば』

でした。記憶違いだったのは、お父さんはす巻きにされて川に投げ込まれたのではなく人柱として川のほとりに生き埋めにされたのでした

人柱とは川の氾濫を収めるために神様に捧げる生け贄のことです

YouTubeに動画もアップされていました

 

長い長い時を経て、改めてこのお話を観てわびしい気持ちになりました

現代の日本では食べ物が溢れていて、あずきまんま(赤飯)は特に贅沢なものではありません。しかし当時の人達にとってはお米すら満足に食べられない時代でした

お父さん(弥平)はお千代に何とかあずきまんまを食べさせたいとの気持ちから、いけない事とは知りながら盗みをしてしまいました。もちろん、それで死刑になることはありませんが、当時大雨が降ると川が氾濫して洪水になり、多くの人が命を落としたそうです

村人達は集まって人柱を立てることにしましたが、これはたいてい罪人が人柱になる事が多く、たまたま弥平が盗みを働いたことで咎人になってしまい人柱にされてしまいました

お千代はお父さんが埋められた所で何日も

「おっとーう、おっとーう」(お父さん、お父さん)

と何日も鳴き続けました。やがて、鳴くのをやめるとお千代は何年も口をきかなくなってしまいました

はるか昔、子供の頃に観たこのお話が私の意識の中によみがえりました

私はいつも仕事の帰りにスーパーに寄って値引きされたお握りを3つ買って、翌日の仕事の昼食にしています

よくシーチキン、鮭、昆布のお握りを買ってますが、あずきまんまのお話を思い出してから赤飯のお握りを加えるようになりました

お千代が食べたいと言ったあずきまんまを私も食べながらこのお話を思い浮かべています

このお話は実話かどうかは不明ですが、もし今どこかにあずきまんまを食べたいけど家が貧しくてお米やあずきを買うお金がないという子供がいたら、私があずきとお米を買ってプレゼントしようと思います

現代のこの豊かな日本にも『子供の貧困』という問題があり、『子供食堂』という所で無料で子供に食事を提供するボランティア活動も行われています

この、あずきまんまのお話とは別に食べ物が溢れていて豊かな現代社会でも悲しい出来事が起こっています

数年前に虐待で命を落とした船戸結愛ちゃんという女の子を覚えているでしょうか?


結愛(ゆあ)ちゃんのお家は食べ物が買えないほど貧乏ではなかったかと思います。継父と母親は自分達はちゃんと食事をとっていたのに結愛(ゆあ)ちゃんは食べ物を食べさせてもらえませんでした。最後は衰弱して死んでしまいました

結愛ちゃんはお腹を空かせて苦しかったんだろうね、かわいそうに

結愛ちゃんにあずきまんまのお供えをすることにしました

結愛ちゃん、さぁ、あずきまんまお食べ

今の世の中では大して贅沢な物じゃないけどね、昔話に出てくるお千代はこれを食べて元気になったんだよ

結愛ちゃんは今どうしているのでしょうか?

天国でゆったり過ごしているのでしょうか?

あるいはもうどこかに生まれて来ているのでしょうか?

まさか、賽の河原で石を積んでいるのでしょうか?

結愛ちゃん、阿弥陀如来様がきっと結愛ちゃんを極楽浄土に連れていって下さるよ

「南無阿弥陀物」と唱えるんだよ!

もし賽の河原で石を積んでいるなら、お地蔵様が見守ってくれるから心配ないよ!

もし、もうどこかに生まれて来ているなら、今度は虐待になんか逢わずに普通の人生を送ろうね。ただ普通の人生も辛いこともたくさんあるけどね、でもそれが人生なんだよね