人は死んでしまったら、その後どうなるのか?

私は子供の頃からこの事をすごく疑問に思っていました

虫の死骸を見て、この虫は生き返らないのかな?と思ったり、生き返らないのなら、また新しく別の虫になって生まれて来るのかな?
などと思ったりしました

「きっとそうだよ!」

「だって虫はたくさん生まれて来るから、この中に死んだ虫の生まれ変わりがいるに違いない」

そんな事をよく考えていました

小学生の低学年の時に、母方の祖母が亡くなりました

私はこの時初めて死んだ人の顔を目にしました

祖母の顔は血の気がなくなり真っ白でした

「人は死んじゃうとこんなふうになってしまうんだ、死んだ人を生き返らせる事ってできないのかな?」

子供ながらにそんな事を思いました。まだ子供なのに私は「虫も人もいつか死んでしまう、いつか死ぬのになんで生きなくちゃならないの?」

「いつか死ぬのなら生きいる意味なんてないんじゃない?」

子供ながらにそんな事を思っていました

そう言えば釈迦も釈迦族の王子として何不自由なく暮らしていましたが、ある時街で年老いて死んでいく人や病気で苦しむ人を見て若くして生きる希望を無くしてしまい、29歳の時に妻と子供を残して出家しました

釈迦と私、なんとなく似通った所がありますね

釈迦は29歳の時にそのような事を思ったのですが、一方で私は子供の頃(小学生の1、2年生の頃)にすでに人はいつか死んでいく儚さを感じていて、生きる虚しさを感じていました

普通、子供がそんな事を考えますか?

おかしいですよね?

もしかして、私は釈迦の生まれ変わり?

いや、まさかそんなはずはないでしょう。

しかしながら、釈迦の死後にその魂が無数に分裂し世界中に散らばり生まれてくる多くの胎児の中に入り込みたくさんの釈迦の分身を造り出したのではないでしょうか?

私はもしかしてその一人なのかも知れませんね

さて、前置きが長くなりましたが、本題に入りたいと思います

人は死んだらどうなるのか?

あらゆる説を挙げて実際はどうなのかを考えてみたいと思います

 



1、人生は一度きりのもの。人は死んだら全て終り。天国や地獄なども存在しない。最後は火葬場で焼かれて骨だけになり、お墓の中に入るだけ


2、人生は一度きりのもの。現世で過ごす人生は一度きりで終り。しかし、死んだ後、生前の行いによって、善いことをたくさんした人は天国へ、悪いことをした人は地獄に落ちて苦しみを味わう。と言った考え方

3、この現世で過ごす人生は一度きりのものであるが、肉体が消滅しても魂は滅びる事はなく死んだ後は魂だけになって、この現世からは見えない、死者の魂の住む世界へ(霊界)赴く

4、仏教で伝えられる
『六道輪廻』

人は死んだ後に地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天界という六つの世界中に永遠と生まれ変わり、もし解脱できれば仏界へ行く事ができ、もう生まれ変わらなくてもよくなるが、それまでは六道輪廻を永遠と繰り返すと言った考え方


5、自然の循環の法則により、人や動物や虫などは死んでもまたすぐに新たにこの世に産まれ落ちる。これは特定の宗教の思想と言うよりは、自然の法則によるもの(これは私が思いついた考え方で過去のブログ記事にも『命の循環』というタイトルで書きました)

この考え方は私が思いついたものですが、後から知ったのですが、ヒンドゥー教の輪廻転生の考え方と合致していました。とても不思議に思いました。ヒンドゥー教の思想など全く知らない私が頭の中に思い描いた生命の循環の法則とヒンドゥー教の輪廻転生の思想がぴったりと合致したのです。もしかして私はすでに何度も輪廻転生しているのかも知れませんね

さて、人が死んだ後にどうなるか、いろいろと言われている説を挙げてみました

いったい、どれが正しいのでしょうか?

科学的にはまだこの事は解明されていないのでどれが正しいかはわかりません

一般的には多くの人が1番の『死んだら全てが終り、天国も地獄もない』という考え方を信じているかと思います

よく言われますよね
「一度きりの人生だから楽しまなくっちゃ」

この考え方に基くならば、人は生涯自分自身の楽しみだけを追求するために活動しますね。たくさんお金を稼いで家を建てたりマンションを買ったり、車も購入して、食べ物も美味しい物を食べて、旅行に行ったりその他いろいろなレジャーや楽しい事をして過ごす。最後はみんな年老いて死んでいくが、生きてる間にやりたいことを全てやる。理想の人生はこんな感じでしょうか?

例えばたくさんの人をすごく残忍な方法で殺した人がいたとします。この人は裁判により死刑が確定し、死刑執行で死んだ後に地獄で苦しむことはありません。殺された人の遺族はそれで気が済むでしょうか?

同じように犯人にも地獄の苦しみを味合わせたいと思うでしょう。でも地獄なんてないから、やったもん勝ち、やられたほうは泣き寝入りになります

 


たくさんのユダヤ人を虐殺したヒトラー、旧ソ連のレーニンやスターリン、カンボジアのポル・ポト、北朝鮮の金正日、イラクのフセイン元大統領、これらの独裁者達はたくさんの自国民を殺しました。地獄はないからたいして苦しまずに死んでそれで終りということになってしまいますね。この人達には本当に地獄で想像を絶する苦しみを味わってもらいたいですが、地獄が存在しないならそれもありませんね

それでいいのでしょうか?

本当に、人は死んで全てが終りなのでしょうか?

2番目の考え方、現世での人生は一度きりであるが、死んだ後生前の行いによって天国か地獄へ行くという考え方、意外と信じている人は多いかと思います

人を殺したり、物を盗んだり、人を騙したりそういう悪いことはせずに平凡に生きていたら誰もが自分は天国に行けると思っているでしょう?

ところが、ごく平凡に生きていた人の大半は地獄に行くことになります

「えっ、なんで?何も悪いことしてないのになんで地獄行きなの?」と思われるでしょう

地獄関連の書物によると地獄に堕ちる条件は厳しく、今の世の中でごく普通に生きていた人の大半は地獄に堕ちる事になってしまいます

例えば、生まれてから一度も『嘘』をついたことのない人、お酒を一滴も飲んだことのない人、いますか?

生まれてからお肉を一度も食べたことのない人いますか?お肉は牛や豚や鶏を殺した身体の一部分です


誰でも歩いていて知らずに蟻を踏み潰した事はあるかもしれません。蚊が腕にとまったらピシャリと叩きますよね。ハエやゴキブリを殺虫剤で殺すのも『殺生』です

これらに1つでも該当するだけで地獄に行くことになってしまうのです

地獄へ落ちる人の条件はちょっと厳し過ぎますね。これではほとんどの人が地獄へ行くことになります。天国に行ける人はほとんどいません

地獄の概念は宗教によって異なります

私たちがイメージする地獄は、釜で茹でられたり、火で炙られたり、鬼に刀でバラバラに切り刻まれたりと言ったものです。これは仏教で伝えられている地獄の概念です

キリスト教やイスラム教の地獄は炎で焼き尽くされると言った地獄です

スピリチュアリズムには天国や地獄に相当する場所は存在しないとしています(ただし、心の状態が地獄のようになることはあるとしています)

ユダヤ教、神道では天国や地獄については触れていません。神道では黄泉の国という死者の住む世界が出てきますがこれは地獄とは違います。神道においては人は死んだ後はその家を守る氏神になるとされています

3番の人は死んだ後(肉体が消滅したあと)魂だけになって霊界に向かい、永遠に生きると言った考え方、これはスピリチュアリズムの考えですね

スピリチュアリズムという言葉を知ったのはほんの数年前でした。スピリチュアリズムの詳しい思想についてはほとんど知りません。しかしながら、私もかなり昔から人には魂があって、肉体が消滅しても魂は残ると言った事は同感していました。ただ、地上生活(現世における人生)が一度きりで死んだ後は霊界に赴きそこで永遠に過ごすというよりも、魂が再び新たに胎児の中に入り込み別の人としてまた新たな人生を送るものだと解釈していました。この考え方だと、魂が地上で輪廻転生して何度も生まれ変わりを繰り返すといった事になりますが。スピリチュアリズムの考え方では地上生活(現世の人生)は霊界に行く前の準備期間で霊界こそが本来の生きる場所ということになっています

4番目の『六道輪廻』と2番目の天国と地獄に行くという考え方は重複しています

ただし、『六道輪廻』の考え方はもし天国(天界)に行けたとしてもずっと天界にいられるわけではなく、いずれは六道の中のどこかの世界に生まれ変わる事になります

よく言われるのは、『六道』は死後の世界の事ではなく心の状態の事を指すといいます

そうすると、『六道』は死後の世界ではなくこの現世の中にあり、人は死んでも何度もこの世に再び産まれ落ち、この現世で天国や地獄を味わうのではないでしょうか?

地獄では鬼にバラバラに切り刻まれてもすぐに身体が元に戻り、何度も何度も切り刻まれて苦痛を味わうと言われてます

人は死んでも何度もこの世に再び産まれ落ち、この現世で永遠に天国と地獄、餓鬼、畜生、修羅、人界を繰り返すのでしょうか?

その人の努力と生き方によって人生は天国にも地獄にもなるのでしょうね

5番目の自然の循環による生まれ変わりとヒンドゥー教における輪廻転生の考え方

人は死んでも何度もこの世に再び生まれ変わる。ただし、人間だった人が次は人間以外のものに生まれ変わることもあるという考えです。基本的には生前の行いがどうであったかによって来世の人生が決まるといった考え方です。生前にたくさんの人を殺したり、人間以外の生き物を殺したりすればそれはカルマ(業)になり来世でそのカルマを清算しなければなりません。人はこの輪廻から永久に逃れる事はできません。もし解脱をすれば輪廻から開放されるそうです。この点は仏教の六道輪廻と共通しています

ただ、ヒンドゥー教においては地獄の存在はあるものの、仏教ほど鮮明に地獄の存在を強調してはいません。仏教の地獄とは異なりヒンドゥー教での地獄は一時的に留まる世界であり、時が来れば別の所に生まれ変わります。一方で仏教の定義ではいったん地獄に落ちると地獄時間で500時間(人間界の時間で1兆6653億年)というほぼ無限に近い期間地獄から逃れることはできないと言われています

さて、人は死んだらいったいどうなってしまうのでしょうか?

どう思いますか?

このことはまだ科学的に解明されていません。人それぞれに考えがあるでしょうし、宗教によってもまちまちですね

もし、人生が一度きりで人は死ねば全てが終りなら、今の瞬間にやりたいことをやれるだけやった方がよいでしょう

もし、人生が形を変えて何度も繰り返すなら人生は一度きりだからと信じて自分の幸せや楽しみだけを追求する人生を送ったら来世やその次の来世はよくない事ばかりの人生になってしまいますね

もしそうであるなら、来世のために今自分自身の楽しみだけを追求する事を改め人のために世の中のために何か善いことをした方が自分自身のよい来世のためにも、また現世における人達のためになることでしょう

さて、あなたはどうしますか?