ずいぶんと長い間、ブログを放置していました

実は職場のほうで少し前に仕事のできる同僚が異動してしまい、替わりに来た方は今まで違う業務に長年従事していた方で、こちらの業務の事は全く知らないという方でした。組織変更により上司も二つの事業所をかけもちとなりほとんど私一人で仕事を抱え込むことになり、同僚の人に仕事を教えながら、毎日終電の時刻まで仕事をする日々が続きました。休みの日は疲れて動けなくなってしまいブログなんか書く余裕などありませんでした。

1ヶ月前に今度は私が人事異動で別の事業所に異動になりました。前職場よりも時間に余裕が持てるようになりましたが、こちらでは今までやった事のない業務の担当者になってしまい、戸惑いながらも1ヶ月間が経過して、この業務の事を少し修得できてきました

また、私自身が抱えている『心の病』といくつかの悩み事が10数年ぶりに最近また再発してしまいました。ずっと心の奥底に眠っていたのでしたが、また表に現れてしまいました。この原因は10代の頃からさかのぼります。治すにはもう一度10代の頃に戻ってこれまでの人生を塗り替えるしかありませんが、時間と年齢を戻すなんて現実には不可能ななことです。毎日がメンタル不安定で落ち込んでは少し元気になりまた次の日に落ち込んでは少し取り直してといった事の繰り返し、心はもうボロボロです。あと2年をめどにこの世を去る事に決めました。もうこちらの世界にいてもやるべき事は何もありません。希望も夢もありません

あと2年位、最後の力を振り絞って、私がこの世に存在した証しを残すためまたブログを書いてみようと思います

前置きが長くなりましたが、11月25日は2009年に兵庫県三田市で継母からの虐待で命を落としたなっちゃん(寺本夏美ちゃん)の命日になります。もう亡くなってから13年が過ぎてしまいました。『アメリカの9・11同時多発テロ』『地下鉄サリン事件』『阪神大震災』『東日本大震災』に比べると児童虐待事件は小さな出来事ですぐに世の中が忘れ去られてしまいます

寺本夏美ちゃん(以下なっちゃんと表記します)の事を忘れないために、児童虐待を許さないために、今年もまたブログ記事をアップすることにしました

 

 

寺本夏美ちゃんの実の母親はなっちゃんが2歳の時に悪性リンパ腫で亡くなりました。父親が再婚するまでの間、なっちゃんは祖父母の元に預けられていました

 

そして、父親が再婚 してから継母はなっちゃんに虐待を加えるようになりました。きっと実の子供でないから愛情をもてなかったのでしょう、よくある話ですね。継母はなっちゃんをハサミで切りつけたりして逮捕されたこともあったようです

 

こんなエピソードもあります

 

ある時継母はなっちゃんを家の外に出して、「どこへでも好きな所へ行け」と言い放ったそうです。なっちゃんは三田市から7Km離れた祖母の家まで一人で歩いて行きました。当時は4歳だった、なっちゃんは道中どんな気持ちだったのでしょうか?途中で車に跳ねられたりしたらどうするのでしょうか?道に迷ってしまったらどうするのでしょうか?

 

なっちゃんは何とか祖母の家までたどり着きました

 

「ばあちゃん、ばあちゃん」と

 

祖母は玄関の扉を開けて、なっちゃんの姿を見て驚いたそうです。

 

祖母はすぐさま継母に電話を入れました

 

祖母は継母に「こんな小さな子供を一人で出すなんてどういう事なのか?」と問いただします

 

継母は「私は夏美には母性がない、だからどこでも好きな所へ行けと出した」と言ったそうです

 

虐待に気が付いた祖母は市に相談し、幼稚園にも見守りをお願いしました

 

その後、なっちゃんは川西児童相談所へ1ヶ月間一時保護されます、その後継母の元に戻されました

 

そして、その後なっちゃんは継母からの3時間に及ぶ激しい暴行を受け意識を失い救急車で病院に搬送されます。集中治療室で5日間意識を戻す事はなく息を引き取りました。死因は急性硬膜化血腫によるものでした

 

寺本夏美ちゃんはわずか5年で人生に幕を閉じてしまいました

 

2009年11月25日の事でした

 

なっちゃんが亡くなってからもう13年が経過してしまいました、今生きていれば18歳、高校3 年生ですね

 

私がこの事を知ったのは2016年(確か)10月16日の朝日新聞に掲載された『小さないのち』という特集記事を見ての事でした

 

すごい衝撃を受けました。この記事は意見を募集していたので新聞社へ意見を投稿し、その後新聞社経由で祖母にお手紙を出せないか問い合わせてみました。新聞社からの返信によるとこの記事はすごい反響でたくさんの方が私と同じように祖母へお手紙を出そうとしていたそうでした。お手紙は記者がまとめて直線祖母の家まで届けるとの事でした。また私はなっちゃんのお墓参りをしたいと問い合わせましたが、ご遺族からは「お気持ちだけいただきたい」とのお返事でした

 

お墓参りは断念しましたが、現地を訪れて私なりの供養をしようと決意しました。学校の修学旅行以外は個人的には旅行など全くしたことがなく仕事で出張などもなく一人で関西方面に行ったことはありませんでした、千葉県に住んでいる私にとって兵庫県はとてつもなく遠い未知の世界でした。約2ヶ月間かけて準備と計画を行い、2017年1月1日、2日に無事兵庫県の三田市と西宮市を訪れる事がかないました 

 

あらかじめ設定しておいた2地点にA4サイズに拡大コピーしてラミネート加工を施したなっちゃんの写真をつけたお花(造化)を添える事ができました

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出発前に自宅で撮影したものです

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こちらは兵庫県西宮市の下山口公園に添えたと時の写真です。写真を撮った後、風で飛ばされないように大きな石を載せて立ち去りました。なぜこの公園に置いたかというと、もしかしたら寺本夏美ちゃんの祖母の自宅はこのあたりではないか?と推測したからでした。誰か親切な方がこれを見つけて、なおかつ寺本夏美ちゃんの事件を知っていて、夏美ちゃんの祖母の元に届けてくれるかな?と確率は非常に低いですが、そんな事を期待してのことでした。同じ物を三田駅近くの三ノ輪幼稚園の入口の所にも置いて来ました。寺本夏美ちゃんが最初に通っていたのが三ノ輪幼稚園ではないかと推測したからです。園児の父兄がこれを見つけて

 

「あっ、この子知っているわ、昔この辺りに住んでいて虐待で亡くなった子よ」なんて事になって幼稚園の中のどこかに飾ってくれたりしたらうれしいな、と思ったりしましたが、これは一体どうなってしまったのでしょうね?ひょっとしたらゴミとして処分されてしまったのかもしれませんね

 

また私自身も三田駅から7Km位離れた西宮市の下山口公園まで歩いてみました。道は国道1本をひたすらたどって行きました。もしかすると、なっちゃんが歩いた道とは違うかも知れませんが、なっちゃんの写真を手に持ち話しかけながら西宮市まで歩きました。1月2日は比較的寒い時期ですが、私の想いが天に届いたのかこの日はとても暖かい陽気の日になりました。道中の目に映る景色はすごく新鮮でした。私にとっては生涯忘れる事のできない『なっちゃん追悼の旅』となりました。この旅の詳細は過去記事に記してあります

 

なっちゃん、今年もまたなっちゃんの命日がやって来たね。月日が経つのは早いね

なっちゃんの事はずっと、ずっと忘れないからね

世の中の人達みんなが、人を思いやる優しい人ばかりなら、こんな悲しい出来事は起こらなかったよね。この世には優しい人は少ないよね。みんな自分が一番大事、自分がよければそれでいいと思う人ばかり。世の中にもっと優しい人が多くなるといいよね

なっちゃん、お菓子食べてね

なっちゃんはお茶漬けが好きだったそうで

なっちゃん、大好きなお茶漬けだよ、どうぞ、食べてね

 

 

 

今年はもう2022年、なっちゃんが亡くなってからもう13年が過ぎてしまいました。時が過ぎるのは本当に早いですね。だんだんと忘れられていくのでしょうね、寂しいですね。だから私はこの子の事をブログで伝えていきたいと思います。私はなっちゃんの親類でもなく全く縁もゆかりもない人ですが、こんな出来事もあり、なっちゃんの事を娘のように思っています。部屋に写真を飾り供養をしています、よく話かけています。後に同じく虐待で亡くなった船戸結愛ちゃん、栗原心愛ちゃんの写真も加わりました。死後になりますがこの3人の子を勝手に養子に迎えてしまいました。地獄を味わったこの子達の魂に私の祈りが届く事を願っております