今日は早朝からの勤務でした。意外と早く退勤できたので、大仏の所に行こうかな?とふと思いつきました

 

初めはごく普通のお参りの予定でした。ところがその鉄道の路線で人身事故が発生していました。電車の窓からは異様な光景が目に入りました

 

線路の脇にブルーシートが、大勢の警察官、消防車が数台。そこは事故の現場でした。テンションが一気に下がりました

大仏様の所にやって来ました。この大仏は釈迦如来像です。如来像にもいろいろな種類があります(阿弥陀如来像、薬師如来像、大日如来像、そして釈迦如来像)

 

釈迦如来像は実在した仏教の開祖である釈迦の仏像です

 

釈迦は

「一切皆苦」

「四苦八苦」

「生老病死」

「諸行無常」

 

この世は思い通りに行かない苦しみに満ちた世界で、世の中は移り変わってい行き何事も同じままにはいられない。と解きました

 

道中の鉄道自殺の現場を目の当たりにして、それを実感させられました

 

亡くたった人が誰なのか、男性か女性か、若い人か中年の人か、年配の人か?全くわかりません。しかしこの人は何かに苦しんで、何かに絶望して、その苦しみから逃れたいとの思いからこのような悲しい決断を下したのでしょう

釈迦如来像に問いかけました

 

「どうしたら世の中の人達は苦しみから開放されるのでしょうか?」

 

いつも考えているテーマです。人には寿命があるのは仕方ないのですが、生きている間、どうやったら苦しみから開放されるのか?

 

そして、人が生きる意味って何なのか?

 

ずっとこの事を考えていました。私なりには答えが出ましたが、その答えでは多くの人を納得させるのは無理でしょう

 

私の答えは、人は修行するためにこの世に産み落とされた、修行だから苦しくて当たり前です。楽しかったら修行ではない

 

「だったら生まれて来ない方が幸せじゃないか?」

 

まさしくその通りです。だから先のブログで子供を作らない方がいいと書きました。人を苦しみの世界に産み落とす事になるからです

 

また、多くの人が人生の修行をサボって様々な事に依存しています。それはあたかも麻薬に依存するが如くです

 

旅行に行く、何か美味しい物を食べに行く、パチンコ、競馬などのギャンブルにはまる、カラオケに行く、スポーツジムに行く、高額な車を買う、ブランド品の服やバッグ、その他宝飾品を買う

 

普通の人にとっては当たり前の事の様に思えますが、これらは麻薬のようなものです。このようなものがなかったら生きていけないという人は麻薬中毒者と同じです。人生の意味をはき違えています

 

今現在、コロナウイルスの感染防止の自粛生活でまさにこれらの事が全くできない状態になっています

 

多くの人がストレスを感じているかと思います。もし一生この状態だったら、果して人生が楽しいと思う人がどれくらいいるのでしょうか?

 

しかしながら、それでも住む家がある。食べる物がある。電気、ガス、水道は来る。鉄道やバスは運行している

 

充分幸せだと思います

 

今の自粛生活は麻薬を止めて生きる意味って何なのかを考えるのにうってつけだと思います

 

説得力はありませんが、人生は苦しいのが当たり前と思っていれば、何か辛いことがあっても人生とはそういうものだと納得するのではと思います

 

本当に世の中の多くの人達がサメになってほしいと願います

 

(注)サメになるとは、隠語です

 

帰りに事故のあった踏み切りに立ち寄りました

 

踏み切りを何度も行ったり来たりしながら、亡くなった方に話しかけました

 

「何か辛いことがあったのでしょうね、でもこのような形で苦しみから逃れようとするのはよい方法だとは思いませんよ」

私の声は届いたのでしょうか?

 

心からご冥福をお祈りいたします

 

いつも見かける小さなお地蔵様の前を通り過ぎました(交通事故で亡くなった女の子を供養するために作られたそうです)

「お地蔵様、いつもご苦労様です。暑い日も寒い日も雨の日も風の日も、ありがとうございます」

 

「おかげ様です」