板谷俊彦さんの『日本人のための第一次世界大戦』を拝読しました。これまであまり意識していませんでしたが、第一次大戦前後の世界史、日本史から学べるものがたくさんあることに気が付かされ、いろいろと考えさせられながらも一気に読了しました。

 

 

本著からの学びは両手で収まらないくらいあるのですが、気づきも含めて、5つほど取り上げてみると…

 

1.第一次大戦にあまり注目してこなかった日本

第一次大戦における日本の戦死者は500名に満たず、日本人の中に戦争としての記憶がほとんど残っていないとの指摘、確かにその通りだな、と思いました。大正史、昭和史は比較的好きな方なのですが、この指摘を受けるまで、恥ずかしながら強く意識したことがありませんでした。

第一次世界大戦における日本の戦死者はわずか415人でした。第二次世界大戦の軍人・軍属の戦死者が約230万人ですから、おおよそ5戦分の1でしかありません。また第一次世界大戦の主戦場はヨーロッパでした。これでは戦争が日本の国民の記憶としての来ないのも当然と言えるでしょう。

2.当時と現在の大国パワーバランス

私の中では、この指摘がとても印象的でした。いわゆるツキュディデスの罠というやつで、勃興国が覇権国にチャレンジし、戦争が不可避な状況に陥るというものです。第一次大戦では、英国という覇権国にドイツという勃興国がチャレンジ、その隣でフランスが停滞します。本著えはGDP比較のグラフを用いて説明しているのですが、この英独仏の関係が今の米中日の関係に極めて類似しています。日中、日米、米中の関係の在り方を考えるにあたり、第一次大戦から学べることはたくさんあると思った次第です。

現代の世界情勢は第一次世界大戦直前の状況と多くの類似点を持っています。産業革命やIT革命などの大きなイノベーションに続くグローバリゼーションがそうであり、各国は貿易を通じてお互いの距離を縮めながらも、国内では格差問題を原因とする国民分断の危機お抱えていることも似ています。また100年前に侵攻のドイツがイギリスの覇権を脅かしたように、今は中国がアメリカの覇権に挑戦しています。

3.戦争と技術革新

この本の面白いところは、いきなり政治史に入るのではなく、戦争の在り方を根本的に変革した主要ドライバーである技術革新から当時の描写を始めるところにあります。軍艦と鉄道、銃器の歴史に始まり、兵器産業の国際化、そして、自動車、戦車、航空機、潜水艦の登場など、技術革新がどのように戦争、戦況を変化させていったのかを描写しています。21世紀の戦争、戦力を左右する革新的技術が何なのか、改めてジョージ・フリードマンあたりの著作を読んでみようという気になりました。

4.戦争突入前夜に抱いていた幻想

この本は、エコノミスト誌の連載を書籍化されたもので、第1~73話まであるのですが、この中の第31話が最も重要なパートだと思います。誰も戦争を望んていなかったのに、結果、これまでとは質的に、量的に異なる戦争に突入してしまいました。著者である板谷さんは、四つの「幻想」をもとに判断し、想像力の欠如から戦争を抑止する努力を怠ったと指摘します。その四つの幻想とは、「経済的なメリットがない戦争は起こらない」という幻想、不安定な戦争は戦争を避けるだろう」という幻想、「戦争は伝統的な外交戦略で回避できるだろう」という幻想、そして「どんな戦争でもすぐに終わるだろう」という幻想です。

徴兵制のない現代の我が国は、戦争は一般人には他人事です。中国がアヘン戦争以来の屈辱の歴史の中かあ次第に経済力をつけ、彼らがそれにふさわしいと考える地位、すなわち「名誉(敬意)」を国際社会で臨む以上、現代の状況は多少なりとも第一次世界大戦前夜のヨーロッパに似ています。戦争は金融市場の暴落と同じで、忘れたころに突然やってくる。100年前にヨーロッパの人々が抱いていた「幻想」を、もしかしたら現代のわれわれも抱いているのではないでしょうか。

5.国際社会の空気が読めない日本

あとがきの中で板谷さんは「周回遅れの帝国主義」と題して、あからさまな帝国主義が終焉を迎えようとしていた当時の空気に日本は気が付くことがなく、対華二十一か条要求や山東半島問題のような従来の延長で各国に向かいあったため、結果、第一次大戦以降、中国と米国を敵に回してしまったと指摘します。世界各国の論調の変化をきちんととらえること無しに、一方的な自国の立場だけ主張しても得るものは少なく、改めて最近の国際社会における日本の立ち位置を冷静に見つめなおしたいと思いました。

 

以上、改めて歴史を学ぶことの意味を再認識させられた一冊でした。