大好きな京都、今年は自分の趣味だけではなく、社会問題にもなっているオーバーツーリズム、観光公害について考えたいと思っている。

 

自分は公害の元にはなっていないとは思いたいが、京都市民にとってはよそ者だし、統計上は増え続ける観光客のうちの一人でしかない。増え続けるとはいうが、日本人観光客は近年減少傾向にあるという。つまり、そこで暮らす人々の安寧な生活が脅かされているだけではなく、オーバーツーリズム問題は京都好きな日本人の観光行動にも影を落としていると言ったらオーバーだろうか。

 

そこで、観光客としての自分の観光行動と照らして考えてみた。京都に行くたび、外国人観光客の増加は実感している。しかし、インバウンドの加速度的な増加による弊害を被ったということはあまりない。例えば市バス、京都ではできる限り利用したいとは思っている交通手段だが、人気路線には乗らないし、四条烏丸から四条通りを東へ走る路線にも乗らないようにしている。その前に、歩くことを厭わないし、あちこち訪ね歩くときにはレンタサイクルで走り回っている。

 

京都にはいつも一人で、しかも数十回も行っていると、多くの観光客に紛れなくても、それなりに楽しむ術が身につくものだ。例えば紅葉の名所には初夏に、『清水寺』は早朝にしか行かないとか、当然週末や大型連休は避ける、そうすれば少ないとは言わないが、自分のペースで歩けないなどということはない。つまり、京都を敬遠する前に、自分の遊び方を変えてみればいいと思う。

 

インバウンド増加によるオーバーツーリズム、問題点はいくつもあるし、それらが連鎖的に表面化している。外国人観光客を排除することなどできないし、経済的には飲食店や土産物店などにとっては大きなビジネスチャンスでもあったりする。ただ、あまりに外国人観光客に寄せるのはいかがなものかと思う。例えば、「京の台所」と呼ばれる『錦市場』の変容ぶりは、私もそこを歩いて奇異な感じを受ける。そこは元来、市民の日常の買い物の場であったり、市内の料理店の仕入れの場であったはず。それが今では完全に観光スポット化している、その存在意義を知ってか知らずか、外国人の食べ歩きの場になってしまっている。そして、市民は離れ始めているとも聞く。初めから観光客相手の店もチラホラ見かけるようになった。そこを通るたび思う、「商売とはいえ、いくらなんでも媚び売りすぎでは?」と。

 

大きな社会問題の、ごく小さな側面に過ぎないことだが、まずは自分の体験と照らすところから、これからも考え続けていきたい。