司馬遼太郎著「関ヶ原」を読みました。関ヶ原については歴史上の出来事としてはもちろん知っていたものの、詳細のいきさつは不勉強でしたので、しっかり理解しようとおもったのが本書を手に取ったきっかけでした。
「義と利」そして「軍事的な決戦というより、政治的な争い」が重要であったことが一番印象に残りました。
以下印象に残った文章を少々がなくなりますが引用します。
1.義と利(石田三成が戦いに敗れ、逃げている最中、地元の百姓にかくまってもらっている時)
「世には、ふしぎな人間もいる」と三成は、この百姓の甲斐甲斐しさを見るにつけ、今一つの人の世を知る思いがした。三成は、与次郎太夫の社会にはいない。少年のころに秀吉に見出されたあと、権力社会に生きてきた。二十代以後はその社会のなかでももっとも中核の、いわば権力の梃子を握り、諸大名の生殺与奪をさえ自由にするほどの位置で世を送ってきた。「義というものは、あの社会にはない」。関ヶ原の合戦なかばにして三成はようやくそのことを知った。利があるだけである。人は利のみで動き、利が多い場合は、豊臣家の恩義を古わらじのように捨てた。小早川秀秋などはその最たるものであろう。権力社会には、所詮は義がない。「孟子は、誤っている」と三成はおもった。孟子は列強の間を周遊し、諸侯に会い、義を説いた。義こそ国家、社会、そして文明の秩序の核心であると説いた。三成は孟子を読み、豊臣家の家宰として豊臣家の秩序をたもつ道は孟子の義であるという信念を得たが、なんとそれは空論であったことであろう。「いや、孟子を恨むことはない」とも思う。孟子もまた争乱の世に生き、権力社会にはそういう観念や情緒が皆無であることを知り、みずから空論であると気づきつつも無いものねだりをして歩いたのであろう。「しかし人間には義の情緒はある」。そこに与次郎太夫がいる。痩せた、顔色のわるい、貧相な中年の百姓である。この取り柄もなさそうな男が、死と一家の存亡を賭けて三成をかくまい、このように看病してくれている。この行為によって得る利益は皆無であり、得る禍は無限であった。それでも与次郎太夫は、薬餌を煮、寝藁を代え、手を尽くして位たらざるところがない。与次郎太夫のこの行為に出た動機はただ一つであった。三成とは、昵懇であるという。領主からとくに言葉をかけられた昵懇百姓であるという感激が情念になり、義になってこの百姓をしてこの行動に駆らしめているようであった。「与次郎太夫、すまぬ」と、三成がいったとき、この百姓は、あのとき百石を頂戴つかまつらねば村の者はみな飢え死んだでございましょう。その御恩がえしでありまするゆえ、作用な勿体なきお言葉をかけられまするな、となくように言うのである。「この可愛らしさ。おれの居た社会には、それがない」と、三成は思った。三成でさえそうであった。口では義を唱えながら、実際には西軍に参加する諸侯に利を喰らわせ、巨封を約束することによって味方につけようとした。しかも、ここに不安がある。もし関ヶ原に三成が勝った場合、そのあとどの程度自分が潔いか、自分に自信がない。石田幕府をつくることはないにしても、鎌倉幕府における北条執権政権ほどのものはつくりあげたであろう。「ただ、おれには、そのつもりはなかった。そのことは大谷吉継などは知っていたし、
知ってくれていたればこそ、当初かれは配線を予想しつつ、いざとなってはあれだけの大奮戦をしてくれた」。しかしひとびよはそうとは見ていない。石田三成が豊臣の天下を奪うつもりと見ていた。さればこそ彼等は三成の微弱さを買わず、豊臣家最大の大名である家康へ走ったのである。「すべてが利さ」。自分は利に敗れた。と思った時、ほとんど叫びたいほどの衝動で、「それに比べ、おまえの心はどうなっているのだ」と、三成は与太郎太夫に問いかけたい思いであった。
2.政治的な争い(解説より)
関ヶ原の戦いは軍事的な決戦という性格よりも、政治的な争いという性格の強いものであった。すなわち、いかに多くの大名たちを集めうるか、また、一応集まった大名を、味方に関しては惹きつけ鼓舞し、敵方については切り崩すという政治的策謀の成否が関ヶ原の戦いを決した。それは関ヶ原の戦いが、豊臣秀吉の跡目争いであったことによるのであろう。関ヶ原で戦った二つの勢力は、何十年も前から敵味方に分かれていたわけではなく、すべて秀吉の配下にあり、それぞれの思惑を胸に秘めつつ、ともに行動してきたのであった。それが秀吉死後の指揮権をめぐって分かれ、争うに至ったものである。その際、一方は秀吉死後最大の実力者となった徳川家康を中心とし、他方は石田三成が策謀し、豊臣家という名分をかついで集まることになった。そうした状況において、かなりの人々が去就に迷ったのは当然であり、そのなかでの多数派工作によって事態が決せられることになった。
それ故、少々思い切った比喩を用いるならば、関ヶ原に至る状況は、現代の日本における選挙の前の多数派工作に似ている。(中略)そうした政治と軍事の複雑に入り組んだ状況を、司馬氏は見事に描き出している。
引用を終わります。
上記以外にも多数印象に残った文章がありました、何せ三巻ある大作です。そして、その後天下を分けた大一番だったのです。数えきれないほどのドラマがありました。私は読み終わり、なぜか負けた石田三成に肩を持っています。それは石田三成が根底に「豊臣家に対する強い義」があり、それを守るために大一番を仕掛けたからです。その義は利に敗れました。しかし、人間の生き方としては大いに共感できるものでした。
義と利は21世紀のビジネス社会でも共通する部分がたくさんあります。どちらだけが必要というわけではなく、そのバランス、按配こそが大切なのでしょう、難しいですが。
関ヶ原の戦い。415年前の出来事ですが、今の私たちでも学ぶべきことがたくさんある歴史上の出来事です。
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