師匠大前さんの最新書「クオリティ国家という戦略」を読みました。従来から主張されている道州制をベースに、スイスでの現地調査も加わった内容は大変勉強になりました。

印象に残っている文章は以下三点です。

1.中途半端な国になってしまった日本
日本の輸出競争力のピークは1980年代だった。当時の日本は貿易黒字が拡大し、その一方で対日貿易赤字とドル高に悩んでいたアメリカの主張により、1985年プラザ合意で急激な円高が進んだ。しかし日米間の貿易不均衡は直らなかった。なぜなら、日本企業は生産性を改善したり、国内生産を海外生産に切り替えたり等血のにじむような努力と様々な創意工夫を重ねてきたからである。
こうした工業国家モデルは大成功を収めた。しかし、貿易黒字の時代が長かったために、次のフェーズに行く演習や準備をしておらず、政治家も役人もそうした変化を読んで先手を打とうと考えてこなかった。現在の日本はひとことでいえば「中途半端な国」になっている。

2.ボリューム国家とクオリティ国家
いま世界で繁栄している国には二つのタイプがある、「ボリューム国家」と「クオリティ国家」である。
「ボリューム国家」は経済規模が巨大で、人口・労働力のボリュームと低コストの人件費を強みとして工業国家モデルで急成長している。その代表がBRICsである。もうひとつが「クオリティ国家」と私(大前)が呼んでいる国々である。経済規模は小さく、人口は300~1,000万人、1人当たりGDPが400万円以上で世界の繁栄を取り込むのが非常にうまいという共通点がある。その代表格はスイスである。成熟して人口が減り続ける日本はもはやボリューム国家にはなり得ない。したがって、再び繁栄するためには、新たなる道、クオリティ国家への転換をしなければならない。幸い、クオリティ国家の大きさは日本が道州制になった場合の同州と同じくらいである。

3.日本がクオリティ国家になるためには
クオリティ国家は、それぞれの国家が抱く危機感を原動力として、20年ほどの期間をかけて国家戦略を大きく転換してきた。その中でも一番重要なのは、世界経済を徹底して受け入れるための「規制撤廃」である。世界から、ヒト・モノ・カネや企業、そして情報を呼び込むためには、呼び込む側である日本が、入って来やすく、働きやすい、魅力的な国でなければならない。そのためには規制撤廃しかない。
日本がクオリティ国家になるためには決意だけ変えてもだめだ、仕掛けから変えなければならない。日本が大きすぎてクオリティ国家になれないならば、単位を小さくしたらどうか?その答えは「オーガナイズ・スモール」にある。「オーガナイズ・スモール」とは「エクセレント・カンパニー」に出てくる考え方で、要は企業を元気にするためには組織を小さくするしかない、というものだ。大きな組織では外の景色が見えないが、小さい組織ならばそれが見える。国家も同じで、国家全体で景色が見えないならば、統治機構を改革して、景色が見える単位にまで小さくすればいいわけだ。そこで出てくるのが「道州制」である。

引用を終わります。

大きな議論の方向性は20年間変わっておらず、逆に非常に残念です。私が一新塾三期生として学んでいたのは1995年、その時も「規制撤廃が重要である。しかし、規制撤廃すると最初は失業者が増える、競争力のない企業がつぶれるからだ。しかし、その地獄の10年を経ないと、新しい世界に適応した国になることが出来ない」と学んでいました。約20年経つ今も同じ議論を聞くのはとても歯痒いです。

さて、この本は「クオリティ国家」がテーマです、それでは私たち個人はどう考えるべきでしょうか?私は「自分たちがクオリティパーソンになること」として捉えるべきと解釈しました。日本だけでなく、世界から「あなたの話が聞きたい、あなたと一緒に働きたい、あなたに投資したい」をヒト・モノ・カネ・情報・企業を呼び込む個人になることが出来るか否か、クオリティ国家を構成するのが道州制、道州制を構成する最小単位が個人であるならば、クオリティ国家を実際に動かすのは「クオリティパーソン」なのです。

昨日、マンチェスターユナイテッド香川選手がハットトリックを行いました。あなたも香川選手と同じように、今自分が所属しているフィールド(ビジネス、政治、スポーツ等)で繁栄している世界からお呼びがかかり、そして活躍出来るようになることが「クオリティパーソン」の目標です。

もちろん、私もまだまだ全く練習が足りません。これからも、「クオリティパーソン」目指して練習を続けます。

大前さん、良い本を執筆頂き誠にありがとうございました。