最高顧問就任祝い
昨日は私の所属する別会社(?)において、標記の就任祝いをやりました。
別会社といっても、皆某建設会社に所属している社員で、定期的に集まって飲みに行っているだけの組織なんですが
しかし昨日の祝賀会、
宴会部長は急遽来れなくなるわ、主役の最高顧問は遅刻するわ、その他3人が遅刻に1人欠席。
かくいう私も若干の遅刻をしてしまったのですが…
全員で集まれなかったことがホント残念です。
会社の人たちとの飲み会とはいえ、年齢・性別・所属の壁を越えて集える飲み会というのは、あまりないので、このグループは私にとって、ものすごくありがたい存在です。
しかも、皆、明朗快活で、知恵分別があり、美男(?)美女の選りすぐりの精鋭たちなのです…
…私以外
今般、愚痴に始まり愚痴に終わる飲み会が多い中、この飲み会は、バカな話や前向きな話で盛がれるので、私にとっては一番楽しみな飲み会となっています。
ということで、来月の総会(上記メンバーでの飲み会を我々は総会と称している)は、全員参加でお願いします!
…って誰もこのブログ、見てないし
別会社といっても、皆某建設会社に所属している社員で、定期的に集まって飲みに行っているだけの組織なんですが

しかし昨日の祝賀会、
宴会部長は急遽来れなくなるわ、主役の最高顧問は遅刻するわ、その他3人が遅刻に1人欠席。
かくいう私も若干の遅刻をしてしまったのですが…
全員で集まれなかったことがホント残念です。
会社の人たちとの飲み会とはいえ、年齢・性別・所属の壁を越えて集える飲み会というのは、あまりないので、このグループは私にとって、ものすごくありがたい存在です。
しかも、皆、明朗快活で、知恵分別があり、美男(?)美女の選りすぐりの精鋭たちなのです…
…私以外

今般、愚痴に始まり愚痴に終わる飲み会が多い中、この飲み会は、バカな話や前向きな話で盛がれるので、私にとっては一番楽しみな飲み会となっています。
ということで、来月の総会(上記メンバーでの飲み会を我々は総会と称している)は、全員参加でお願いします!
…って誰もこのブログ、見てないし

松永安左衛門
まかり通る-電力の鬼・松永安左エ門/小島 直記

¥2,625
Amazon.co.jp
「電力の鬼」松永安左衛門の生涯が書かれた本です。
面白いのは、激動編。
日中戦争が進行していくなか、電力を国家統制の下におこうとする官僚と対立し、「官吏は人間の屑だ」と発言して、全国の官吏から激しい糾弾を受け、隠遁することになります。
「鬼」と仇名されたのは、敗戦後の昭和24年、74歳で電力再編にかかわる電気事業再編成審議会の会長となった時です。
松永安左衛門は、官僚の反対を押し切り、国家統制の下で作られた電気事業を全国的に統括していた日本発送電を解体し、GHQに抵抗しながら現在の九電力体制を作りあげました。
また、最終的にはGHQの支持を得て、松永は吉田茂首相以下の政府、議会、財界、労働組合の大反対を押しのけて、二度にわたる電気料金の値上げを強行しました。
結局、松永の企図は的中し、停電は解決、電力の安定供給が実現し、電源開発への投資も可能となりました。
復興から高度経済成長までの産業の伸展を考えるうえで、この人の貢献は、きわめて大きかったと言えるでしょう。
しかし、この人、女道楽がすさまじく、80歳を過ぎても女を口説くばかりか、夜這いまでしたそうです。
松永はある人と出会うことで、社会復帰をすることになるのですが、このある人が松永について語った話↓は、半分以上ほんとだったのではないでしょうか。
「東京を朝の特急で出発する。すると浜松で、もうがまんがならぬと途中下車、君たちのような妙齢の美女をチョロッと失敬する。つぎの列車に乗ると、もう名古屋で降りてまた一人だ。それから、岐阜、その次が京都、そして大阪… こういうふうだから、博多につくまでに十数人を槍玉にあげたというんだから」
かといって、妻を愛していなかったわけではないようです。
隠遁生活に入ったとき、一子夫人と2人で余生を送るつもりだったのではないかと思料します。
それにしても松永安左衛門みたいな、いわゆる“人物”が今の時代にいないのはなんでやろう…
当時と今とでは、環境が全く違うことは理解できるし、いろんな要素があるのでしょうが、1人くらい現れて欲しいものです。

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「電力の鬼」松永安左衛門の生涯が書かれた本です。
面白いのは、激動編。
日中戦争が進行していくなか、電力を国家統制の下におこうとする官僚と対立し、「官吏は人間の屑だ」と発言して、全国の官吏から激しい糾弾を受け、隠遁することになります。
「鬼」と仇名されたのは、敗戦後の昭和24年、74歳で電力再編にかかわる電気事業再編成審議会の会長となった時です。
松永安左衛門は、官僚の反対を押し切り、国家統制の下で作られた電気事業を全国的に統括していた日本発送電を解体し、GHQに抵抗しながら現在の九電力体制を作りあげました。
また、最終的にはGHQの支持を得て、松永は吉田茂首相以下の政府、議会、財界、労働組合の大反対を押しのけて、二度にわたる電気料金の値上げを強行しました。
結局、松永の企図は的中し、停電は解決、電力の安定供給が実現し、電源開発への投資も可能となりました。
復興から高度経済成長までの産業の伸展を考えるうえで、この人の貢献は、きわめて大きかったと言えるでしょう。
しかし、この人、女道楽がすさまじく、80歳を過ぎても女を口説くばかりか、夜這いまでしたそうです。
松永はある人と出会うことで、社会復帰をすることになるのですが、このある人が松永について語った話↓は、半分以上ほんとだったのではないでしょうか。
「東京を朝の特急で出発する。すると浜松で、もうがまんがならぬと途中下車、君たちのような妙齢の美女をチョロッと失敬する。つぎの列車に乗ると、もう名古屋で降りてまた一人だ。それから、岐阜、その次が京都、そして大阪… こういうふうだから、博多につくまでに十数人を槍玉にあげたというんだから」
かといって、妻を愛していなかったわけではないようです。
隠遁生活に入ったとき、一子夫人と2人で余生を送るつもりだったのではないかと思料します。
それにしても松永安左衛門みたいな、いわゆる“人物”が今の時代にいないのはなんでやろう…
当時と今とでは、環境が全く違うことは理解できるし、いろんな要素があるのでしょうが、1人くらい現れて欲しいものです。
「プロフェッショナルの条件(P・F. ドラッカー著)」のDog-ear
かなり長いですが、いずれも大事なことだと思うので、Dog-earの全箇所を書きとめます。
・組織の中に成果は存在しない。すべての成果は外の世界にある。客が製品やサービスを購入し、企業の努力とコストを収入と利益に変えてくれるからこそ、組織としての成果があがる。組織の中に生ずるものは、努力とコストだけである。
・外の環境に対する貢献が目的である。しかるに、組織は成長するほど、特に成功するほど、組織に働く者の関心、努力、能力は、組織の中でのことで占領され、外の世界における本来の任務と成果が忘れられていく。
・成果をあげる人に共通しているのは、自らの能力や存在を成果に結び付けるうえで必要とされる習慣的な力である。企業や政府機関で働いていようと、病院の理事長や大学の学長であろうと、まったく同じである。…知能や勤勉さ、想像力や知識がいかに優れていようと、そのような習慣的な力に欠ける人は成果をあげることができなかった。…習慣的な能力は単純である。…掛け算の九九を習ったときのように、練習による習得が必要となるだけである。「6,6,36」が、何も考えずに言える条件反射として身に付かなければならない。
・成果をあげるためには、貢献に焦点を合わせなければならない。…「組織の成果に影響を与える貢献は何か」を自らに問わなければならない。…貢献に焦点を合わせることこそ、成果をあげる鍵である。…ところがほとんどの人が、成果ではなく、権限に焦点を合わせる。組織や上司が自分にしてくれるべきことや、自らがもつべき権限を気にする。その結果、本当の成果をあげられない。
・貢献に焦点を合わせることによって、専門分野や限定された技能や部門に対してではなく、組織全体の成果に注意を向けるようになる。成果が存在する唯一の場所である外の世界に注意を向けるようになる。
・「どのような貢献ができるか」を自問することは、自らの仕事の可能性を追求することでもある。
・なすべき貢献には、いくつかの種類がある。あらゆる組織が三つの領域における成果を必要とする。すなわち、直接の成果、価値への取組、人材育成の三つである。
第一の直接の成果については、…企業においては、売上げや利益など経営上の業績である。…しかし、組織には、人体におけるビタミンやミネラルと同じように、第二の領域として価値への取組が必要である。…第三に、組織は…明日のマネジメントに当たるべき人間を今日用意しなければならない。…ビジョンや能力や業績において、今日の水準を維持しているだけの組織は適応の能力を失ったというべきである。人間社会において、唯一確実なものは変化である。
・専門知識は、それだけでは断片にすぎない。専門家の産出物は、ほかの専門家の産出物と統合されて初めて成果となる。必要なことは、ゼネラリストをつくることではない。知識労働者が彼自身と彼の専門知識を活用して成果をあげることである。言い換えれば、自らの産出物たる断片的なものを生産的な存在にするために、それを利用する者に「何を知ってもらい」「何を理解してもらわなければならないか」を徹底的に考えることである。
・ゼネラリストについての意味ある唯一の定義は、自らの狭い専門分野を、知識の全領域の中に正しく位置づけられる人のことである。たとえ複数の専門領域をもっていても、ゼネラリストとはいえない。単に、いくつかの専門領域のスペシャリストに過ぎない。
・人間関係に優れた才能をもつからといって、よい人間関係がもてるわけではない。自らの仕事や人としての関係において、貢献に焦点を合わせることにより、初めてよい人間関係がもてるのである。
仕事に焦点を合わせた関係において成果がなければ、温かな会話や感情も無意味である。逆に、関係者全員にとって成果をもたらす関係であるならば、失礼な言葉があっても人間関係を壊すことはない。
・仕事において貢献する者は、部下たちが貢献すべきことを要求する。「組織及び上司である私は、あなたに対しどのような貢献の責任をもつべきか」「あなたに期待するすべきことは何か」「あなたの知識や能力をもっともよく活用できる道は何か」を聞く。こうして初めて、コミュニケーションが可能となり、容易に行われるようになる。
・信じがたい力強さで人生のよろこびを歌いあげるあのオペラは、80歳の人の手によるものだった。…80歳という年齢で、なぜ並はずれてむずかしいオペラをもう一曲書こうという大変な仕事に取り組んだのかとの問いに答えた彼の言葉を知った。
「いつも失敗をしてきた。だからもう一度挑戦する必要があった」。
私はこの言葉を忘れたことがない。
・私は新しい仕事を始めるたびに、「新しい仕事で成果をあげるためには何をしなければならないか」を自問している。…昇進し、新しい仕事をまかされた有能な人たちのうち、本当に成功する人はあまりいない。…いちばん多いのは、期待したほどではなかったという例である。…10年あるいは15年にわたって有能だった人がなぜ急に凡人になってしまうのか。…彼らは、新しい任務に就いても、前の任務で成功したこと、昇進をもたらしてくれたことをやり続ける。…彼ら自身が無能になったからではなく、間違った仕事の仕方をしているために、そうなっている。
・新しい任務で成功するうえで必要なことは、卓越した知識や卓越した才能ではない。それは新しい任務が要求するもの、新しい挑戦、仕事、課題において重要なことに集中することである。
・[成長と自己変革を続けるために]
第一に、…努力を続けることこそ、老いることなく成熟するコツである。
第二に、…成果をあげ続ける人は、フェイディアスと同じ仕事観をもっている。つまり神々が見ているという考え方である。ということは、誇りをもち、完全を求めるということである。
第三に、そのような人たちに共通することとして、日常生活の中に継続学習を組み込んでいることである。昨日行ったことを今日も行うことに満足しない。何を行うにせよ、自らに対し、常により優れたことを行うことを課している。
第五に、きわめて多くの人たちが、…行動や意思決定がもたらすべきものについての期待を、あらかじめ記録し、後日、実際の結果と比較してきている。…彼らは自らの強みを知っている。…得意でないこと、したがって、他の人に任せるべきことまで知っている。
第六に、…新しい仕事が要求するものについて徹底的に考えるべきことを教えられ、実行させられてきたという。事実、新しい仕事というものは必ず、前の仕事とは違う何かを要求するものである。
しかし、これらのことすべての前提となるべきもっとも重要なこととして、成果をあげ続け、成長と自己変革を続けるには、自らの啓発と配属に自らが責任をもつということである。
・誰でも、自らの強みについてはよくわかっていると思っている。だが、たいていは間違っている。わかっているのは、せいぜい弱みである。それさえ間違っていることが多い。しかし、何事かを成し遂げるのは、強みによってである。弱みによって何かを行うことはできない。できないことによって何かを行うことなど、到底できない。
・自らがいかなる仕事の仕方を得意とするかは、強みと同じように重要である。実際には、強みより重要かもしれない。…強みと同じように、仕事の仕方も人それぞれである。個性である。生まれつきか、育ちかは別として、それらの個性は仕事につくはるか前に形成される。…修正できても、変更することはできない。少なくとも簡単にはできない。そして、ちょうど強みを発揮できる仕事で成果をあげるように、人は得意な仕方で仕事の成果をあげる。
・自らをマネジメントするためには、強みや仕事の仕方とともに、自らの価値観を知っておかなければならない。
組織には価値観がある。そこに働く者にも価値観がある。組織において成果をあげるためには、働く者の価値観が組織の価値観になじまなければならない。同一である必要はない。だが、共存できなければならない。さもなければ、心楽しまず、成果もあがらない。
…つまるところ、優先すべきは価値観である。
・成果をあげる者は、仕事からスタートしない。時間からスタートする。計画からもスタートしない。何に時間がとられているかを明らかにすることからスタートする。次に、時間を管理すべく、自分の時間を奪おうとする非生産的な要求を退ける。そして、最後にその結果得られた時間を大きくまとめる。すなわち、時間を記録し、管理し、まとめるという三つの段階が、成果をあげるための時間管理の基本となる。
・会議は元来、組織の欠陥を補完するためのものである。人は仕事をするか、会議に出るかである。同時に両方を行うことはできない。…理想的に設計された組織とは会議のない組織である。…何よりもまず、会議は原則ではなく、例外にしなければならない。みなが会議をしている組織は何ごともなしえない組織である。
・決定が満たすべき必要条件を明確にしなければならない。…必要条件を満たさない決定は、成果をあげられない不適切な決定である。実際、そのような決定は間違った必要条件を満たす決定よりもたちが悪い。もちろん、正しい必要条件を満たさない決定も、間違った必要条件を満たす決定も間違いである。だが、間違った必要条件を満たす決定ならば、救済することはできる。一応の成果はあがるからである。満たすべき条件を満たさない決定は、新しい問題を生むだけである。
・成果をあげる決定を行うには、それまでの評価測定の基準は正しくないものとみなさなければならない。そうでなければ、そもそも決定の必要はなく、簡単な調整で十分なはずである。昨日の意思決定は、昨日の評価測定の基準を反映している。新しい決定は必要になったということは、それまでの評価測定の基準が、もはや意味を失ったことを意味する。
・成果をあげるためには、教科書のいうような意見の一致ではなく、意見の不一致を生みださなければならない。満場一致を求めるようなものではない。相反する意見の衝突、異なる視点との対話、異なる判断の間の選択があって、初めてよく行いうる。したがって、決定において最も重要なことは、意見の不一致が存在しないときには、決定を行うべきではないということである。
・意見の不一致は、三つの理由から必要である。
第一に、組織の囚人になることを防ぐからである。
第二に、選択肢を与えるからである。
第三に、想像力を刺激するからである。
・意見の不一致は、もっともらしい決定を正しい決定に変え、正しい決定を優れた決定に変える。一つの行動だけが正しく、他の行動は全て間違っているという仮定からスタートしてはならない。「自分は正しく、彼は間違っている」という仮定からスタートしてはならない。そして、意見の不一致の原因は必ず突きとめるという決意からスタートしなければならない。
・人は好きなことをするために報酬を手にしているのではない。なすべきことをなすために、成果をあげる意思決定をするために報酬を手にしている。
今日意思決定は、少数のトップだけが行うべきものではない。組織に働くほとんどあらゆる知識労働者が、なんらかの方法で、自ら決定をし、あるいは少なくとも、意思決定のプロセスにおいて積極的な役割を果たさなければならなくなってきている。
・リーダーシップは、カリスマ性に依存しない。リーダー的資質、リーダー的特性なるものも存在しない。
効果的なリーダーシップの基礎とは、組織の使命を考え抜き、それを目に見える形で明確に定義し、確立することである。リーダーとは目標を定め、優先順位を決め、基準を定め、それを維持する者である。もちろん妥協することもある。
・リーダーと似非リーダーとの違いは目標にある。政治、経済、財政、人事などの現実の制約によって妥協せざるを得なくなったとき、その妥協が使命と目標に沿っているか離れているかによって、リーダーであるか否かが決まる。
・リーダーたる第三の要件は、信頼が得られることである。信頼が得られない限り、従う者はいない。そもそもリーダーに関する唯一の定義は、つき従う者がいるということである。
信頼するということは、必ずしもリーダーを好きになることではない。常に同意できるということでもない。リーダーの言うことが真意であると確信をもてることである。
・人の弱みに配慮して人事を行えば、うまくいったところで平凡な人事に終わる。強みだけの人間、完全な人間、完成した人間を探したとしても、結局は平凡な組織をつくってしまう。
大きな強みをもつ人は、ほとんど常に大きな弱みをもつ。山があるところには谷がある。しかも、あらゆる分野で強みをもつ人はいない。人の知識、経験、能力の全領域からすれば、偉大な天才も落第生である。申し分ない人間などありえない。そもそも何について申し分がないかも問題である。
・弱みをもとにすることは、組織本来の機能に背く。組織とは、強みを成果に結び付けつつ、弱みを中和し無害化するための道具である。
個人営業の税理士は、いかに有能であっても、対人関係の能力を欠くと重大な障害になる。だがそのような人も、組織の中にいるならば机を与えられ、外と接触しないですむ。組織のおかげで、強みだけを生かし、弱みを意味のないものにできる。
・あまりに大がかりな構想、産業に革命を起こそうとする計画はうまくいかない。多少の資金と人材をもって、限定された市場を対象とする小さな事業としてスタートしなければならない。さもなければ、調整や変更のための時間的な余裕がなくなる。イノベーションが、最初の段階からほぼ正しいという程度以上のものであることは稀である。
・イノベーションに成功するには、最初からトップの座をねらわなければならない。…最初からトップの座をねらわない限り、イノベーションとはなりえず、自立した事業とさえなれない。
・未来のためにイノベーションを行おうとしてはならない。現在のために行わなければならない。たしかにイノベーションは長期にわたって影響を与えるかもしれないし、20年たたなければ完成しないかもしれない。だが、「25年後には、大勢の高齢者がこれを必要とするようになる」と言うだけでは十分ではない。「これを必要とする高齢者は既に大勢いる。もちろん時間が味方だ。25年後には、もっと大勢の高齢者がいる」といえなければならない。
・イノベーションには相性も必要である。何ごとも、その価値心底信じていなければ成功しない。製薬会社が口紅や香水で施工することはあまりない。イノベーションの機会そのものが、イノベーションを行おうとする者の価値観と合っていなければならない。
・イノベーションはつまるところ、経済や社会の変革を目指さなければならない。それは、消費者、教師、農家、眼科医などの行動に変化をもたらさなければならない。
・イノベーションにはリスクが伴う。しかし、スーパーマーケットへパンを買いに行くことにも何がしかのリスクはある。あらゆる活動にリスクが伴う。しかも昨日を守ること、すなわちイノベーションを行わないことの方が明日をつくることよりも大きなリスクを伴う。…イノベーションに成功する者はリスク志向ではない。機会志向である。
・[第二の人生を設計する方法]
第一の方法は、文字通り第二の人生をもつことである。単に組織を変わることであってもよい。
第二の方法は、パラレル・キャリア(第二の仕事)、すなわち、本業にありながらもう一つ別の世界をもつことである。20年、25年続け、うまくいっている仕事はそのまま続ける。週に40時間、50時間を割く。あるいは、あえてパートタイムとなったり、コンサルタント的な契約社員になる。しかし、もう一つの世界をパラレル・キャリアとしてもつ。多くの場合、NPOで働く。週10時間といったところである。
第三の方法は、ソーシャル・アントレプレナー(篤志家)になることである。これは、企業人、医師、大学教授として成功した人たちに多い。仕事は好きだが、もはや心躍るほどのものでもない。…そして新しい仕事、特に非営利の仕事を始める。
・知識労働者にとって、第二の人生をもつことが重要であることには、もう一つ理由がある。誰でも仕事や人生において挫折することがありうるからである。昇進しそこねた42歳の有能なエンジニアがいる。大きな大学へ移ることが絶望的になった42歳の立派な大学教授がいる。離婚や、子供に死なれるなどの不幸もある。…知識社会では、成功が当然のこととされる。だが、全員が成功することはありえない。失敗しないことがせいぜいである。成功する人がいれば、失敗する人がいる。…第二の人生、パラレル・キャリア、篤志家としての仕事をもつことは、社会においてリーダー的な役割を果たし、敬意を払われ、成功の機会をもつということである。
・成果をあげるための第一歩は、行うべきことを決めることである。いかに効率があがろうとも、行うべきことを行っているのでなければ意味がない。しかる後に、優先すべきこと、集中すべきことを決めることである。そして、自らの強みを生かすことである。
・仕事が刺激を与えてくれるのは、自らの成長を期しつつ、自らの仕事の興奮と挑戦と変化を生み出しているときである。
自らの成長につながるもっとも効果的な方法は、自らの予期せぬ成功を見つけ、その予期せぬ成功を追求することである。ところが、ほとんどの人が問題にばかり気をとられ、成功の証を無視する。
・[何によって憶えられたいか]
今日でも私は、この「何によって憶えられたいか」を自らに問い続けている。これは、自らの成長を促す問いである。なぜならば、自らを異なる人物、そうなりきる人物として見るよう仕向けられるからである。
・組織の中に成果は存在しない。すべての成果は外の世界にある。客が製品やサービスを購入し、企業の努力とコストを収入と利益に変えてくれるからこそ、組織としての成果があがる。組織の中に生ずるものは、努力とコストだけである。
・外の環境に対する貢献が目的である。しかるに、組織は成長するほど、特に成功するほど、組織に働く者の関心、努力、能力は、組織の中でのことで占領され、外の世界における本来の任務と成果が忘れられていく。
・成果をあげる人に共通しているのは、自らの能力や存在を成果に結び付けるうえで必要とされる習慣的な力である。企業や政府機関で働いていようと、病院の理事長や大学の学長であろうと、まったく同じである。…知能や勤勉さ、想像力や知識がいかに優れていようと、そのような習慣的な力に欠ける人は成果をあげることができなかった。…習慣的な能力は単純である。…掛け算の九九を習ったときのように、練習による習得が必要となるだけである。「6,6,36」が、何も考えずに言える条件反射として身に付かなければならない。
・成果をあげるためには、貢献に焦点を合わせなければならない。…「組織の成果に影響を与える貢献は何か」を自らに問わなければならない。…貢献に焦点を合わせることこそ、成果をあげる鍵である。…ところがほとんどの人が、成果ではなく、権限に焦点を合わせる。組織や上司が自分にしてくれるべきことや、自らがもつべき権限を気にする。その結果、本当の成果をあげられない。
・貢献に焦点を合わせることによって、専門分野や限定された技能や部門に対してではなく、組織全体の成果に注意を向けるようになる。成果が存在する唯一の場所である外の世界に注意を向けるようになる。
・「どのような貢献ができるか」を自問することは、自らの仕事の可能性を追求することでもある。
・なすべき貢献には、いくつかの種類がある。あらゆる組織が三つの領域における成果を必要とする。すなわち、直接の成果、価値への取組、人材育成の三つである。
第一の直接の成果については、…企業においては、売上げや利益など経営上の業績である。…しかし、組織には、人体におけるビタミンやミネラルと同じように、第二の領域として価値への取組が必要である。…第三に、組織は…明日のマネジメントに当たるべき人間を今日用意しなければならない。…ビジョンや能力や業績において、今日の水準を維持しているだけの組織は適応の能力を失ったというべきである。人間社会において、唯一確実なものは変化である。
・専門知識は、それだけでは断片にすぎない。専門家の産出物は、ほかの専門家の産出物と統合されて初めて成果となる。必要なことは、ゼネラリストをつくることではない。知識労働者が彼自身と彼の専門知識を活用して成果をあげることである。言い換えれば、自らの産出物たる断片的なものを生産的な存在にするために、それを利用する者に「何を知ってもらい」「何を理解してもらわなければならないか」を徹底的に考えることである。
・ゼネラリストについての意味ある唯一の定義は、自らの狭い専門分野を、知識の全領域の中に正しく位置づけられる人のことである。たとえ複数の専門領域をもっていても、ゼネラリストとはいえない。単に、いくつかの専門領域のスペシャリストに過ぎない。
・人間関係に優れた才能をもつからといって、よい人間関係がもてるわけではない。自らの仕事や人としての関係において、貢献に焦点を合わせることにより、初めてよい人間関係がもてるのである。
仕事に焦点を合わせた関係において成果がなければ、温かな会話や感情も無意味である。逆に、関係者全員にとって成果をもたらす関係であるならば、失礼な言葉があっても人間関係を壊すことはない。
・仕事において貢献する者は、部下たちが貢献すべきことを要求する。「組織及び上司である私は、あなたに対しどのような貢献の責任をもつべきか」「あなたに期待するすべきことは何か」「あなたの知識や能力をもっともよく活用できる道は何か」を聞く。こうして初めて、コミュニケーションが可能となり、容易に行われるようになる。
・信じがたい力強さで人生のよろこびを歌いあげるあのオペラは、80歳の人の手によるものだった。…80歳という年齢で、なぜ並はずれてむずかしいオペラをもう一曲書こうという大変な仕事に取り組んだのかとの問いに答えた彼の言葉を知った。
「いつも失敗をしてきた。だからもう一度挑戦する必要があった」。
私はこの言葉を忘れたことがない。
・私は新しい仕事を始めるたびに、「新しい仕事で成果をあげるためには何をしなければならないか」を自問している。…昇進し、新しい仕事をまかされた有能な人たちのうち、本当に成功する人はあまりいない。…いちばん多いのは、期待したほどではなかったという例である。…10年あるいは15年にわたって有能だった人がなぜ急に凡人になってしまうのか。…彼らは、新しい任務に就いても、前の任務で成功したこと、昇進をもたらしてくれたことをやり続ける。…彼ら自身が無能になったからではなく、間違った仕事の仕方をしているために、そうなっている。
・新しい任務で成功するうえで必要なことは、卓越した知識や卓越した才能ではない。それは新しい任務が要求するもの、新しい挑戦、仕事、課題において重要なことに集中することである。
・[成長と自己変革を続けるために]
第一に、…努力を続けることこそ、老いることなく成熟するコツである。
第二に、…成果をあげ続ける人は、フェイディアスと同じ仕事観をもっている。つまり神々が見ているという考え方である。ということは、誇りをもち、完全を求めるということである。
第三に、そのような人たちに共通することとして、日常生活の中に継続学習を組み込んでいることである。昨日行ったことを今日も行うことに満足しない。何を行うにせよ、自らに対し、常により優れたことを行うことを課している。
第五に、きわめて多くの人たちが、…行動や意思決定がもたらすべきものについての期待を、あらかじめ記録し、後日、実際の結果と比較してきている。…彼らは自らの強みを知っている。…得意でないこと、したがって、他の人に任せるべきことまで知っている。
第六に、…新しい仕事が要求するものについて徹底的に考えるべきことを教えられ、実行させられてきたという。事実、新しい仕事というものは必ず、前の仕事とは違う何かを要求するものである。
しかし、これらのことすべての前提となるべきもっとも重要なこととして、成果をあげ続け、成長と自己変革を続けるには、自らの啓発と配属に自らが責任をもつということである。
・誰でも、自らの強みについてはよくわかっていると思っている。だが、たいていは間違っている。わかっているのは、せいぜい弱みである。それさえ間違っていることが多い。しかし、何事かを成し遂げるのは、強みによってである。弱みによって何かを行うことはできない。できないことによって何かを行うことなど、到底できない。
・自らがいかなる仕事の仕方を得意とするかは、強みと同じように重要である。実際には、強みより重要かもしれない。…強みと同じように、仕事の仕方も人それぞれである。個性である。生まれつきか、育ちかは別として、それらの個性は仕事につくはるか前に形成される。…修正できても、変更することはできない。少なくとも簡単にはできない。そして、ちょうど強みを発揮できる仕事で成果をあげるように、人は得意な仕方で仕事の成果をあげる。
・自らをマネジメントするためには、強みや仕事の仕方とともに、自らの価値観を知っておかなければならない。
組織には価値観がある。そこに働く者にも価値観がある。組織において成果をあげるためには、働く者の価値観が組織の価値観になじまなければならない。同一である必要はない。だが、共存できなければならない。さもなければ、心楽しまず、成果もあがらない。
…つまるところ、優先すべきは価値観である。
・成果をあげる者は、仕事からスタートしない。時間からスタートする。計画からもスタートしない。何に時間がとられているかを明らかにすることからスタートする。次に、時間を管理すべく、自分の時間を奪おうとする非生産的な要求を退ける。そして、最後にその結果得られた時間を大きくまとめる。すなわち、時間を記録し、管理し、まとめるという三つの段階が、成果をあげるための時間管理の基本となる。
・会議は元来、組織の欠陥を補完するためのものである。人は仕事をするか、会議に出るかである。同時に両方を行うことはできない。…理想的に設計された組織とは会議のない組織である。…何よりもまず、会議は原則ではなく、例外にしなければならない。みなが会議をしている組織は何ごともなしえない組織である。
・決定が満たすべき必要条件を明確にしなければならない。…必要条件を満たさない決定は、成果をあげられない不適切な決定である。実際、そのような決定は間違った必要条件を満たす決定よりもたちが悪い。もちろん、正しい必要条件を満たさない決定も、間違った必要条件を満たす決定も間違いである。だが、間違った必要条件を満たす決定ならば、救済することはできる。一応の成果はあがるからである。満たすべき条件を満たさない決定は、新しい問題を生むだけである。
・成果をあげる決定を行うには、それまでの評価測定の基準は正しくないものとみなさなければならない。そうでなければ、そもそも決定の必要はなく、簡単な調整で十分なはずである。昨日の意思決定は、昨日の評価測定の基準を反映している。新しい決定は必要になったということは、それまでの評価測定の基準が、もはや意味を失ったことを意味する。
・成果をあげるためには、教科書のいうような意見の一致ではなく、意見の不一致を生みださなければならない。満場一致を求めるようなものではない。相反する意見の衝突、異なる視点との対話、異なる判断の間の選択があって、初めてよく行いうる。したがって、決定において最も重要なことは、意見の不一致が存在しないときには、決定を行うべきではないということである。
・意見の不一致は、三つの理由から必要である。
第一に、組織の囚人になることを防ぐからである。
第二に、選択肢を与えるからである。
第三に、想像力を刺激するからである。
・意見の不一致は、もっともらしい決定を正しい決定に変え、正しい決定を優れた決定に変える。一つの行動だけが正しく、他の行動は全て間違っているという仮定からスタートしてはならない。「自分は正しく、彼は間違っている」という仮定からスタートしてはならない。そして、意見の不一致の原因は必ず突きとめるという決意からスタートしなければならない。
・人は好きなことをするために報酬を手にしているのではない。なすべきことをなすために、成果をあげる意思決定をするために報酬を手にしている。
今日意思決定は、少数のトップだけが行うべきものではない。組織に働くほとんどあらゆる知識労働者が、なんらかの方法で、自ら決定をし、あるいは少なくとも、意思決定のプロセスにおいて積極的な役割を果たさなければならなくなってきている。
・リーダーシップは、カリスマ性に依存しない。リーダー的資質、リーダー的特性なるものも存在しない。
効果的なリーダーシップの基礎とは、組織の使命を考え抜き、それを目に見える形で明確に定義し、確立することである。リーダーとは目標を定め、優先順位を決め、基準を定め、それを維持する者である。もちろん妥協することもある。
・リーダーと似非リーダーとの違いは目標にある。政治、経済、財政、人事などの現実の制約によって妥協せざるを得なくなったとき、その妥協が使命と目標に沿っているか離れているかによって、リーダーであるか否かが決まる。
・リーダーたる第三の要件は、信頼が得られることである。信頼が得られない限り、従う者はいない。そもそもリーダーに関する唯一の定義は、つき従う者がいるということである。
信頼するということは、必ずしもリーダーを好きになることではない。常に同意できるということでもない。リーダーの言うことが真意であると確信をもてることである。
・人の弱みに配慮して人事を行えば、うまくいったところで平凡な人事に終わる。強みだけの人間、完全な人間、完成した人間を探したとしても、結局は平凡な組織をつくってしまう。
大きな強みをもつ人は、ほとんど常に大きな弱みをもつ。山があるところには谷がある。しかも、あらゆる分野で強みをもつ人はいない。人の知識、経験、能力の全領域からすれば、偉大な天才も落第生である。申し分ない人間などありえない。そもそも何について申し分がないかも問題である。
・弱みをもとにすることは、組織本来の機能に背く。組織とは、強みを成果に結び付けつつ、弱みを中和し無害化するための道具である。
個人営業の税理士は、いかに有能であっても、対人関係の能力を欠くと重大な障害になる。だがそのような人も、組織の中にいるならば机を与えられ、外と接触しないですむ。組織のおかげで、強みだけを生かし、弱みを意味のないものにできる。
・あまりに大がかりな構想、産業に革命を起こそうとする計画はうまくいかない。多少の資金と人材をもって、限定された市場を対象とする小さな事業としてスタートしなければならない。さもなければ、調整や変更のための時間的な余裕がなくなる。イノベーションが、最初の段階からほぼ正しいという程度以上のものであることは稀である。
・イノベーションに成功するには、最初からトップの座をねらわなければならない。…最初からトップの座をねらわない限り、イノベーションとはなりえず、自立した事業とさえなれない。
・未来のためにイノベーションを行おうとしてはならない。現在のために行わなければならない。たしかにイノベーションは長期にわたって影響を与えるかもしれないし、20年たたなければ完成しないかもしれない。だが、「25年後には、大勢の高齢者がこれを必要とするようになる」と言うだけでは十分ではない。「これを必要とする高齢者は既に大勢いる。もちろん時間が味方だ。25年後には、もっと大勢の高齢者がいる」といえなければならない。
・イノベーションには相性も必要である。何ごとも、その価値心底信じていなければ成功しない。製薬会社が口紅や香水で施工することはあまりない。イノベーションの機会そのものが、イノベーションを行おうとする者の価値観と合っていなければならない。
・イノベーションはつまるところ、経済や社会の変革を目指さなければならない。それは、消費者、教師、農家、眼科医などの行動に変化をもたらさなければならない。
・イノベーションにはリスクが伴う。しかし、スーパーマーケットへパンを買いに行くことにも何がしかのリスクはある。あらゆる活動にリスクが伴う。しかも昨日を守ること、すなわちイノベーションを行わないことの方が明日をつくることよりも大きなリスクを伴う。…イノベーションに成功する者はリスク志向ではない。機会志向である。
・[第二の人生を設計する方法]
第一の方法は、文字通り第二の人生をもつことである。単に組織を変わることであってもよい。
第二の方法は、パラレル・キャリア(第二の仕事)、すなわち、本業にありながらもう一つ別の世界をもつことである。20年、25年続け、うまくいっている仕事はそのまま続ける。週に40時間、50時間を割く。あるいは、あえてパートタイムとなったり、コンサルタント的な契約社員になる。しかし、もう一つの世界をパラレル・キャリアとしてもつ。多くの場合、NPOで働く。週10時間といったところである。
第三の方法は、ソーシャル・アントレプレナー(篤志家)になることである。これは、企業人、医師、大学教授として成功した人たちに多い。仕事は好きだが、もはや心躍るほどのものでもない。…そして新しい仕事、特に非営利の仕事を始める。
・知識労働者にとって、第二の人生をもつことが重要であることには、もう一つ理由がある。誰でも仕事や人生において挫折することがありうるからである。昇進しそこねた42歳の有能なエンジニアがいる。大きな大学へ移ることが絶望的になった42歳の立派な大学教授がいる。離婚や、子供に死なれるなどの不幸もある。…知識社会では、成功が当然のこととされる。だが、全員が成功することはありえない。失敗しないことがせいぜいである。成功する人がいれば、失敗する人がいる。…第二の人生、パラレル・キャリア、篤志家としての仕事をもつことは、社会においてリーダー的な役割を果たし、敬意を払われ、成功の機会をもつということである。
・成果をあげるための第一歩は、行うべきことを決めることである。いかに効率があがろうとも、行うべきことを行っているのでなければ意味がない。しかる後に、優先すべきこと、集中すべきことを決めることである。そして、自らの強みを生かすことである。
・仕事が刺激を与えてくれるのは、自らの成長を期しつつ、自らの仕事の興奮と挑戦と変化を生み出しているときである。
自らの成長につながるもっとも効果的な方法は、自らの予期せぬ成功を見つけ、その予期せぬ成功を追求することである。ところが、ほとんどの人が問題にばかり気をとられ、成功の証を無視する。
・[何によって憶えられたいか]
今日でも私は、この「何によって憶えられたいか」を自らに問い続けている。これは、自らの成長を促す問いである。なぜならば、自らを異なる人物、そうなりきる人物として見るよう仕向けられるからである。
