2011年5月28日、UEFAチャンピオンズリーグ決勝 バルセロナ対マンチェスター・ユナイテッド。
まさにバルセロナの「完全試合」だった―
この試合の大きな見所は、バルセロナのパスサッカーに対してマンチェスターがどう対抗するかであった。バルセロナの特徴は中盤での細かいパス回しで敵陣を崩していくポゼッションサッカーで、そこにメッシのドリブルというアクセントが加わる。この大一番で、マンチェスターのファーガソン監督は、あえてバルセロナに自由にやらせるという一か八かの戦術を選んだ。マンチェスターは中盤でバルセロナにボールを回されても、それを決して無理には奪いに行かなかった。その代わり、ディフェンスラインのバランスをコンパクトに保った。「いくら相手に試合を支配されていても、失点を最小限に抑えて、数少ない決定機で得点を奪えば勝てる。」ファーガソン監督はそう考えていた。実際、試合を完全に支配されたチームが、1本のシュートで得点し勝つということはサッカーの世界ではよくある話だし、ヴィディッチとファーディナンドのセンターバックコンビの強固さ、ルーニーの決定力を考えれば、マンチェスターがそれを出来るだけの要素は十分にあったように思う。
しかし、マンチェスターの目論見は早々とピンチに陥る。前半27分、シャビのスルーパスに抜け出したペドロが先制点を決めたのだ。中盤でシャビがボールを持った時、ペドロとビジャがボールをもらおうと動きだした。ヴィディッチはファーディナンドの裏に抜け出そうとしたビジャにパスが出ると予測し、そのスペースにパスが出たらカットしようと狙っていた。それゆえ彼の背後にいたペドロへの意識が少し薄れていたのだが、これを見逃さなかったシャビは、少しタイミングをずらしてからペドロへとパスを送ったのだった。裏を突かれたヴィディッチにはもうどうすることもできず、フリーのペドロは落ち着いてファンデルサールの守るゴールへとシュートを決めた。この大舞台でも冷静に相手DFの動きを読むことができるシャビのプレーには脱帽するばかりだ。
それでも7分後、マンチェスターは自分たちの正当性を証明して見せた。右サイドでボールを受けたルーニーがキャリックとのワンツーで抜け出し、さらにオフサイドぎりぎりの位置にいたギグスとのワンツーでフリーになり、ペナルティエリア手前から右足を振り抜く。ボールはゴールネットへと吸い込まれ、スコアを1-1の振り出しに戻したのだった。完全に試合を支配されながらも数少ない決定機をものにすれば勝機があることを示して見せた。
後半に入ってもバルセロナは力を緩めなかった。それどころか、その勢いは増すばかりだった。後半8分、中盤でシャビからパスを受けたイニエスタは、まるで気が抜けたかのように、パスもドリブルもせず、相手の出方を見計らっていた。かと思うと、何か閃いたかのようにメッシに横パスを出した。メッシはトラップで前を向き1、2歩ドリブルで前に進むと、迷うことなくゴールへ向けて低い弾道の強烈なシュートを放った。GKの手をかすめたボールはゴールへと吸い込まれるようにして入っていった。イニエスタのゆったりとした動きから、メッシのキレのある動き。この緩急の変化にマンチェスターは対応できなかった。
さらにその15分後、バルセロナはマンチェスターの息の根を止めた。右サイドでボールを持ったメッシは、対峙したナニをワンフェイントで置き去りにすると、ドリブルでペナルティエリアに侵入。ボールはカットされたものの、こぼれたボールをブスケッツが拾い、後方にいたビジャへパス。ゴール右隅に狙いを定めたビジャは、巧みなボールコントロールでGKの届かない絶妙なポイントにシュートを叩き込んだ。これでほぼ試合を決めたバルセロナは、その後も主導権をマンチェスターに渡すことはなく、ボール回しを楽しみながら試合終了の笛を待った。
技術、判断力、シュート精度、球際の強さ、冷静さ、どこをとってもバルセロナを上回るチームは見当たらない。バルセロナのサッカーはより完成度を増し、いよいよ手のつけられないチームになってきた。対するマンチェスターは、ルーニーが決めたゴールシーン以外ほとんど何も出来ずに終わり、バルセロナを自由にさせた戦術が間違っていたことをつきつけられたファーガソン監督だが、積極的にプレッシャーをかけていたら、メッシにマンツーマンをつけていたら、結果は変わっていただろうか。もしかするとこのチームに対して布くべき戦術に正解などなかったのかもしれない。1986年以来、ずっとこのマンチェスターを指揮し、潮時のタイミングも近い「赤い悪魔」の指揮官だが、こういうチームを止めたいという感覚があるから辞められないのだろう。多くの人々を魅了する美しいパスサッカーが栄華を極めるのか、それともどこか他のチームがそれを止めるのか、止めるとすれば、どのような戦術なのか・・・。今からまた新たなシーズンが楽しみである。