家事代行サービスは、日本では不向きな商売では?
アメリカから持ち込んできた家事代行サービス
が、いよいよスタートしました。1983年4月15日です。この日は、東京ディズニーランドがオープンした日です。
スタッフも採用し研修も終わり、いつでも仕事があれば出ていける体制でした。
最初の料金は、三人でチームを組み1時間9000円という価格で売り出しました。
チラシを毎日のように配りました。中には、チラシを見て「貴方達消防署の人なの」と言われキョトンとしていましたら、家事サービ ス なんでしょ。家事と言えば、火事の方の消防署を連想されたようなんですね(=⌒▽⌒=)
しかし、仕事の注文はまったくありませんでした。
時々、変な電話が男性からかかってきて、三人もいらないよ。体が持たないから(ノ゚ο゚)ノという変な電話です。
半年間経過し、ダメかなと思っていた時に、プレスリリースと言うやり方を教えてもらいました。
家事代行サービス は、新しい仕事だからマスコミに売り込むといいよと言うアドバイスで、文章を作成しマスコミ各社に送りましたら、なんと「家庭画報」が取材をするということで、弊社に来ました。

ここに出たことで、問い合わせが増えて、仕事が埋まりました。そして、次から次へとマスコミに取り上げられ、NHKにも紹介されました。マスコミの力はすごく、どんどん仕事が増えていきました。
そして、1984年5月(昭和59年)には、荻窪にも開店しました。
諦めないでよかったと思った瞬間です。ミニメイドサービス が世に出る前に消えるところでした。
スタッフも採用し研修も終わり、いつでも仕事があれば出ていける体制でした。
最初の料金は、三人でチームを組み1時間9000円という価格で売り出しました。
チラシを毎日のように配りました。中には、チラシを見て「貴方達消防署の人なの」と言われキョトンとしていましたら、家事サービ ス なんでしょ。家事と言えば、火事の方の消防署を連想されたようなんですね(=⌒▽⌒=)
しかし、仕事の注文はまったくありませんでした。
時々、変な電話が男性からかかってきて、三人もいらないよ。体が持たないから(ノ゚ο゚)ノという変な電話です。
半年間経過し、ダメかなと思っていた時に、プレスリリースと言うやり方を教えてもらいました。
家事代行サービス は、新しい仕事だからマスコミに売り込むといいよと言うアドバイスで、文章を作成しマスコミ各社に送りましたら、なんと「家庭画報」が取材をするということで、弊社に来ました。

ここに出たことで、問い合わせが増えて、仕事が埋まりました。そして、次から次へとマスコミに取り上げられ、NHKにも紹介されました。マスコミの力はすごく、どんどん仕事が増えていきました。
そして、1984年5月(昭和59年)には、荻窪にも開店しました。
諦めないでよかったと思った瞬間です。ミニメイドサービス が世に出る前に消えるところでした。